圭章と共に店に入ると上品な妙齢の女性が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。宮水様」
店の中は広く、一段上がった畳の上のあちこちで客と店員が談笑したり、生地を広げたりしている。
「宮水様が、婚約者様を連れて来られるなんて嬉しいこと。やっとおめでたい出来事がやってきましたね」
店員は、その一角に案内してくれた。すでに鮮やかな反物が置かれている。
「事前に伺った通り、お若いお嬢様に合う明るい色合いのものをご用意しました。婚約ということですが、まだ結婚されていないんですもの。せっかくですから、娘らしい明るく華やかなものをぜひ。お召しになれるのは、今のうちですから」
(こ、こんなに……! 初めて見る……!)
小山の様に積み上げられた反物に、七珠那は眩暈がした。
生まれ育った村ではつぎの当たった擦り切れた着物ばかり、加護の里では丈夫だが質素な小袖や袴。
お役目が休みの巫女達ですら、その立場から派手な装いを避けていた。
こんな華やかな布を、それもこんなに沢山なんて、見たことがない。
「好きなものを……」
圭章は、そう七珠那を促しかけて、言葉を止める。不安そうに見上げてくる七珠那に気づいたのだろう。
「七珠那は何色が好きなのだ? どんな模様がいい?」
「わからないです……たくさんありすぎて。そもそも、こんな素敵なもの、着たことがないんです」
七珠那は自分が貧しい育ちであることよりも、圭章を困らせていることが堪えた。
圭章は、ちゃんと色々なものを見せて、七珠那にどうしたいか聞いてくれたのに、七珠那はうまく返事が出来ないのだ。
二人の間に一瞬漂う気まずい空気。
店員が、それを吹き消すように華やいだ声をあげた。
「お見立てならわたくしにお任せくださいませ」
手始めにと言わんばかりに、一番上の反物を手に取り、広げて見せた。光沢のある淡黄蘗色が広がる。
「人の魅力というものは、その人が思っているものに限ったものではありません。身近な人がこうだと決めつけている場合もあります。そんな時のために、わたくし達がおりますの」
七珠那と圭章は顔を見合わせた。
お互いほっとしたような顔をしていて、それが妙におかしくて笑えてしまう。
「さぁ、まずはこちらから。お嬢様はお健やかなお肌をしていますので、もっと華やかで若々しいお色がお似合いかもしれませんが。──こちらはどの方からも好まれるお色ですのよ」
そうして、店員に手伝ってもらいながらいくつもの反物を合わせた。
色だけでなく、手触りも、七珠那が今まで触れたことのないような上質なものばかり。七珠那はそれが自分の肩や首筋に触れるたび、どぎまぎしてしまった。
何度か繰り返しているうちに、緊張が薄れていく。
反物の山が減っていく頃には、七珠那は楽しみながら店員と一緒にあぁでもないこうでもないと言える余裕が出てきたのだった。
「やはり、この三つがお似合いですわね」
そうして残ったのは、薄浅葱色、藤色、薄紅色の反物だった。
「どれがお好みですか?」
店員に聞かれて、七珠那は迷った。どれもこれも素晴らしいし、七珠那も好きだと思う。
「圭章様は……いかがでしょうか?」
七珠那は黙って待つ圭章に、恐る恐る尋ねた。
この着物を着て、圭章の隣に立つのだ。
(圭章様に、好きだと思ってもらえるものを、素敵だと思ってもらえるものを着てみたい)
本人に尋ねるには、ひどく勇気がいるものだった。
心臓が激しく動いてる。どこか硬い表情で返事を待つ七珠那に、圭章は言った。
「こちらの薄紅色は明るく見える。こちらの藤色はしとやかにみえる。薄浅葱色は知性を感じられる」
まぁと笑ったのは店員だった。
「宮水様、それではただの印象ですわ。宮水様の意見やお好みを伺いたいのですよ」
店員が、後押しをしてくれる。七珠那は緊張に声を震わせながら、もう一度尋ねた。
「圭章様は妻には明るくいて欲しいものでしょうか? しとやかな方が、知性を感じられる方が良いですか?」
「七珠那のような妻であれば、いいと思う。明るく勤勉で、気配りが出来る」
即答だった。
返答を聞いて、店員の笑い声がはじけた。七珠那は恥ずかしさのあまり蹲ってしまいそうだった。
(ひょっとして、質問の仕方が悪かったのかも……)
圭章の返答は的外れに違いないのだが、それではまるで、着物云々よりも七珠那がいいといっているように聞こえる。
結局、薄紅色と薄浅葱色の反物を訪問着に仕立ててもらうことになり、着物選びは終わった。
始終笑顔の店員と、全く動じた様子のない圭章に囲まれ、七珠那はどこかに頭を突っ込める穴がないものかと心から思ったのだった。
それでも、七珠那は自分を望んでもらえたことが、恥ずかしくも嬉しかった。
「ありがとうございました。圭章様」
店を出た後、七珠那は満ち足りた気持ちで、圭章にお礼を言った。
「気に入ったものがあったのなら、よかった」
その返答に、微笑みを浮かべた時だった。
「──これはこれは。圭章殿」
声が掛けられ、二人は振り返った。
「圭章殿も、呉服屋に用でしょうか?」
志紅だった。傍らに、美しい女性を伴っている。
七珠那にとって、よく知った顔だったが、記憶の中の姿よりも、格段に華やかだった。
「晶瑚様……」
加護の里で、かつて同じ時を過ごした巫女だった。
志紅と婚約していることは知っていた。どこかで会うかもしれないと薄々予想はしていた。
だが、この邂逅は、七珠那にとって予想外の出来事だった。
七珠那は次いで、晶瑚の後ろで風呂敷を持って立つ小さな影に気づき、茫然とした。
「かえで──」
加護の里に残してきた石拾いの後輩までもが、そこにいたのだ。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。宮水様」
店の中は広く、一段上がった畳の上のあちこちで客と店員が談笑したり、生地を広げたりしている。
「宮水様が、婚約者様を連れて来られるなんて嬉しいこと。やっとおめでたい出来事がやってきましたね」
店員は、その一角に案内してくれた。すでに鮮やかな反物が置かれている。
「事前に伺った通り、お若いお嬢様に合う明るい色合いのものをご用意しました。婚約ということですが、まだ結婚されていないんですもの。せっかくですから、娘らしい明るく華やかなものをぜひ。お召しになれるのは、今のうちですから」
(こ、こんなに……! 初めて見る……!)
小山の様に積み上げられた反物に、七珠那は眩暈がした。
生まれ育った村ではつぎの当たった擦り切れた着物ばかり、加護の里では丈夫だが質素な小袖や袴。
お役目が休みの巫女達ですら、その立場から派手な装いを避けていた。
こんな華やかな布を、それもこんなに沢山なんて、見たことがない。
「好きなものを……」
圭章は、そう七珠那を促しかけて、言葉を止める。不安そうに見上げてくる七珠那に気づいたのだろう。
「七珠那は何色が好きなのだ? どんな模様がいい?」
「わからないです……たくさんありすぎて。そもそも、こんな素敵なもの、着たことがないんです」
七珠那は自分が貧しい育ちであることよりも、圭章を困らせていることが堪えた。
圭章は、ちゃんと色々なものを見せて、七珠那にどうしたいか聞いてくれたのに、七珠那はうまく返事が出来ないのだ。
二人の間に一瞬漂う気まずい空気。
店員が、それを吹き消すように華やいだ声をあげた。
「お見立てならわたくしにお任せくださいませ」
手始めにと言わんばかりに、一番上の反物を手に取り、広げて見せた。光沢のある淡黄蘗色が広がる。
「人の魅力というものは、その人が思っているものに限ったものではありません。身近な人がこうだと決めつけている場合もあります。そんな時のために、わたくし達がおりますの」
七珠那と圭章は顔を見合わせた。
お互いほっとしたような顔をしていて、それが妙におかしくて笑えてしまう。
「さぁ、まずはこちらから。お嬢様はお健やかなお肌をしていますので、もっと華やかで若々しいお色がお似合いかもしれませんが。──こちらはどの方からも好まれるお色ですのよ」
そうして、店員に手伝ってもらいながらいくつもの反物を合わせた。
色だけでなく、手触りも、七珠那が今まで触れたことのないような上質なものばかり。七珠那はそれが自分の肩や首筋に触れるたび、どぎまぎしてしまった。
何度か繰り返しているうちに、緊張が薄れていく。
反物の山が減っていく頃には、七珠那は楽しみながら店員と一緒にあぁでもないこうでもないと言える余裕が出てきたのだった。
「やはり、この三つがお似合いですわね」
そうして残ったのは、薄浅葱色、藤色、薄紅色の反物だった。
「どれがお好みですか?」
店員に聞かれて、七珠那は迷った。どれもこれも素晴らしいし、七珠那も好きだと思う。
「圭章様は……いかがでしょうか?」
七珠那は黙って待つ圭章に、恐る恐る尋ねた。
この着物を着て、圭章の隣に立つのだ。
(圭章様に、好きだと思ってもらえるものを、素敵だと思ってもらえるものを着てみたい)
本人に尋ねるには、ひどく勇気がいるものだった。
心臓が激しく動いてる。どこか硬い表情で返事を待つ七珠那に、圭章は言った。
「こちらの薄紅色は明るく見える。こちらの藤色はしとやかにみえる。薄浅葱色は知性を感じられる」
まぁと笑ったのは店員だった。
「宮水様、それではただの印象ですわ。宮水様の意見やお好みを伺いたいのですよ」
店員が、後押しをしてくれる。七珠那は緊張に声を震わせながら、もう一度尋ねた。
「圭章様は妻には明るくいて欲しいものでしょうか? しとやかな方が、知性を感じられる方が良いですか?」
「七珠那のような妻であれば、いいと思う。明るく勤勉で、気配りが出来る」
即答だった。
返答を聞いて、店員の笑い声がはじけた。七珠那は恥ずかしさのあまり蹲ってしまいそうだった。
(ひょっとして、質問の仕方が悪かったのかも……)
圭章の返答は的外れに違いないのだが、それではまるで、着物云々よりも七珠那がいいといっているように聞こえる。
結局、薄紅色と薄浅葱色の反物を訪問着に仕立ててもらうことになり、着物選びは終わった。
始終笑顔の店員と、全く動じた様子のない圭章に囲まれ、七珠那はどこかに頭を突っ込める穴がないものかと心から思ったのだった。
それでも、七珠那は自分を望んでもらえたことが、恥ずかしくも嬉しかった。
「ありがとうございました。圭章様」
店を出た後、七珠那は満ち足りた気持ちで、圭章にお礼を言った。
「気に入ったものがあったのなら、よかった」
その返答に、微笑みを浮かべた時だった。
「──これはこれは。圭章殿」
声が掛けられ、二人は振り返った。
「圭章殿も、呉服屋に用でしょうか?」
志紅だった。傍らに、美しい女性を伴っている。
七珠那にとって、よく知った顔だったが、記憶の中の姿よりも、格段に華やかだった。
「晶瑚様……」
加護の里で、かつて同じ時を過ごした巫女だった。
志紅と婚約していることは知っていた。どこかで会うかもしれないと薄々予想はしていた。
だが、この邂逅は、七珠那にとって予想外の出来事だった。
七珠那は次いで、晶瑚の後ろで風呂敷を持って立つ小さな影に気づき、茫然とした。
「かえで──」
加護の里に残してきた石拾いの後輩までもが、そこにいたのだ。
