「本当に今更なんですが……どうして、いきなり着物を買いに行くことになるんですか?」
七珠那は改めて圭章に問いかけた。
鷹司夫婦の訪問を受けた三日後、七珠那は圭章と共に、宮水家御用達だという呉服屋の前にいた。
(こんな立派なお店……入ったことがない)
藍に屋号が染め抜かれた暖簾を前に、七珠那は尻込みしてしまう。
「玖遠の妻が言っていたではないか」
一方、圭章は慣れた様子だった。暖簾を腕であげつつ、今にも潜ろうとしている。
「夫の役目は、いくつもあると教えられた。守るのはもちろん、着飾らせるのも甲斐性だと」
「そういう、ことですか……」
どうやら、話の中で、夫の役目という言葉から、連鎖的に甲斐性だと説明された事柄を思い出したらしい。
立派な店構えに気圧されていた七珠那は、腹に力を入れた。
「とてもありがたいことです。私も、圭章様の妻としてふさわしい恰好や振る舞いをしなければいけませんから」
そう気合を込める七珠那に、圭章は僅かに顔を曇らせた。
「あの事を、気にしているのか?」
「いえ、あの──」
そんなことない、と否定しようとしたのに、すぐに言葉が出なかった。
「……気にしていないというと、嘘になります」
思いがけず、すねたような口調になってしまう。
七珠那は自分が思っている以上に、圭章の言う「あの事」に傷ついていたのだと思い知った。
──それで、噂の婚約者殿はどこに? この機会にご挨拶をしたいものですな──
圭章の婚約者たる七珠那の前でそう言ったのは、上役の一人だった。
圭章が顔を出す会合には、有力な守代や祝具師、まとめ役となる上役達が顔を揃えている。上役達は、いずれも実績を持って引退した守代や祝具師達で、会合の中で妖魔の対策について総合的な話し合いがもたれているのだそうだ。
その上役の一人が、圭章に用があるのだと言って、宮水家に現れた。
まさに昨日の事だった。
来客の予定は聞いておらず、清子は買い物、圭章は作業場、七珠那は箒で玄関の掃き掃除をするなどしながら、思い思いに過ごしていたのだった。
「いやね。近くまで来たものだから。ちょうど圭章殿に見せてもらいたいものもあって」
丸い腹と頬をした初老の男は、そう言って灰色になった頭を掻いた。
仕方なしに上役をその場に待たせ、作業場まで走って圭章に知らせると、連れてきて欲しいと言われたため、七珠那が手を止めて案内することになったのだった。
「相変わらず、圭章殿は熱心ですな」
玄関から家の廊下、そして渡り廊下を通る。短い間だったが、上役の男は七珠那相手によく喋った。
「いやはや、新しい加護のことも熱心だ。そりゃあ、ご自身の婚約者殿が新しい加護を授かったとなると気合も入るでしょう」
「そう、かもしれません」
その加護を授けた人間として、返答に困る話題だった。
来客相手に話題を拒否することもできず、無視も失礼すぎる。七珠那は曖昧に返事をするしかなかった。
元々口の軽い質なのかもしれない。
上役は、七珠那相手に聞きたくもないことまで言い始める。
「何でも、加護の里で無垢石拾いをしていたとか」
「えぇ。そ、そうですね」
「石拾いが加護を得るなんて珍しいことだ。圭章殿も、なんというか、実用性を重んじる所は美点ですな。巫女ではなく、石拾いなら働き者でしょうし」
そう言って大笑いする上役に、七珠那は嫌な気持ちになった。
巫女ではなく石拾い。見劣りするものを嫁にしたと言っているのだ。
情けなくなる。
面と向かってそんなことを言われなければならない自分自身が。
言い返すこともできず、愛想笑いを浮かべるだけの身が。
世慣れぬ七珠那は、角を立ててはいけない相手に、不快であることをそれとなく伝えるにはどういう言えばいいのか、わからない。
圭章は、石拾いだといって七珠那を見下すことはない。
だが、世の中の大半の者にとって、巫女と石拾いの間には大きな隔たりがあるのだ。加護の里で散々感じたことなのに、首都と言う場で改めて突き付けられて、七珠那は足元がぐらつくのを感じた。
作業場から、丁度圭章が顔をだした。
「あぁ。ご足労いただきまして」
「いえいえ。こちらも急な訪問だったわけですから」
微笑みを絶やさずに話に付き合い、なんとか客人を圭章の元へ導けた時、七珠那は心底ほっとした。
「先日聞いた、新しい祝具を拝見したくて」
「試作品ですが」
あぁと浅く頷き、圭章は上役の男を作業場へ通そうとする。
「あの、私はここで失礼します」
「悪かったな。手を止めさせた」
「いいえ──」
「あぁ、そういえば、圭章殿」
軽く頭を下げ、踵を返す七珠那の耳に、あの言葉が聞こえてきたのだった。
「噂の婚約者殿は不在ですかな? この機会に挨拶をしたいのですが」
その瞬間、空気が凍ったのを、七珠那は感じた。
七珠那の自分自身の体温が失せていくように思えた。
確かに、七珠那が着ているものは、黒と灰と赤茶色の縞模様の着物だった。臙脂の帯もさほど凝らずに結んである。
七珠那は、普段から使用人に立ち混じって働くことを好むから、質素で汚れが目立ちにくいものばかりを選んでしまう。
勿論、加護の里で着ていたものよりも格段に良いものだが、名家の若奥様としては地味すぎる。
だから、使用人と思われたのだ。
そのことに気が付き、七珠那は顔から火が出るのではないかと思った。
なにより、圭章に恥をかかせてしまったことが、申し訳なくてたまらなかった。
「──あれは、仙波殿が早とちりをしただけだ。私も、七珠那の人となりを話していなかった。あらかじめ、七珠那がどういう者なのかを知っていれば、間違えることもなかっただろう」
「でも……私が、圭章様の婚約者として足りないのがいけないのです」
実際、足りないものばかりなのだろう。
例えば、これが晶瑚だったのなら、いくら地味な恰好をしていても間違えられることは無かっただろう。
内からにじみ出るもの。例えば自信や威厳のようなもの。それから、圭章にふさわしい美しさ。
それらが、きっと七珠那に欠けているものなのだ。
「婚約者として、よくやってくれている。これ以上望むものもない」
圭章は、落ち込む七珠那にそう声をかける。
「足りぬものなど誰にでもある。それが、私にとって重要かそうでないかというだけだ」
「圭章様……」
「七珠那でよかったと思っている。その気持ちは変わらないのだから」
さぁ、と促されて、七珠那は圭章に従い、暖簾をくぐる。
(今の私を気に入ってくださるのなら、卑下はしない。でも……)
七珠那は心持ち、しゃんと胸を張った。
貧しい暮らしが長いせいか、煌びやかな模様の着物を見ると気後れしてしまうから、七珠那は大振りの模様の入った着物を避けがちだった。今日の灰桜の着物は模様こそ少ないが、仕立ての良いものだ。
丁寧に着つけて、きちんと髪も整えてきた。清子に化粧品を借りて、化粧の仕方も教えてもらってきた。
今の七珠那に出来る精一杯のことだった。
(少しでも、隣に並んで恥ずかしくないように)
傍で支えるだけではない。
見合う妻になりたいと思うことは、そのために努力することは、悪いことではないはずだ。
七珠那は改めて圭章に問いかけた。
鷹司夫婦の訪問を受けた三日後、七珠那は圭章と共に、宮水家御用達だという呉服屋の前にいた。
(こんな立派なお店……入ったことがない)
藍に屋号が染め抜かれた暖簾を前に、七珠那は尻込みしてしまう。
「玖遠の妻が言っていたではないか」
一方、圭章は慣れた様子だった。暖簾を腕であげつつ、今にも潜ろうとしている。
「夫の役目は、いくつもあると教えられた。守るのはもちろん、着飾らせるのも甲斐性だと」
「そういう、ことですか……」
どうやら、話の中で、夫の役目という言葉から、連鎖的に甲斐性だと説明された事柄を思い出したらしい。
立派な店構えに気圧されていた七珠那は、腹に力を入れた。
「とてもありがたいことです。私も、圭章様の妻としてふさわしい恰好や振る舞いをしなければいけませんから」
そう気合を込める七珠那に、圭章は僅かに顔を曇らせた。
「あの事を、気にしているのか?」
「いえ、あの──」
そんなことない、と否定しようとしたのに、すぐに言葉が出なかった。
「……気にしていないというと、嘘になります」
思いがけず、すねたような口調になってしまう。
七珠那は自分が思っている以上に、圭章の言う「あの事」に傷ついていたのだと思い知った。
──それで、噂の婚約者殿はどこに? この機会にご挨拶をしたいものですな──
圭章の婚約者たる七珠那の前でそう言ったのは、上役の一人だった。
圭章が顔を出す会合には、有力な守代や祝具師、まとめ役となる上役達が顔を揃えている。上役達は、いずれも実績を持って引退した守代や祝具師達で、会合の中で妖魔の対策について総合的な話し合いがもたれているのだそうだ。
その上役の一人が、圭章に用があるのだと言って、宮水家に現れた。
まさに昨日の事だった。
来客の予定は聞いておらず、清子は買い物、圭章は作業場、七珠那は箒で玄関の掃き掃除をするなどしながら、思い思いに過ごしていたのだった。
「いやね。近くまで来たものだから。ちょうど圭章殿に見せてもらいたいものもあって」
丸い腹と頬をした初老の男は、そう言って灰色になった頭を掻いた。
仕方なしに上役をその場に待たせ、作業場まで走って圭章に知らせると、連れてきて欲しいと言われたため、七珠那が手を止めて案内することになったのだった。
「相変わらず、圭章殿は熱心ですな」
玄関から家の廊下、そして渡り廊下を通る。短い間だったが、上役の男は七珠那相手によく喋った。
「いやはや、新しい加護のことも熱心だ。そりゃあ、ご自身の婚約者殿が新しい加護を授かったとなると気合も入るでしょう」
「そう、かもしれません」
その加護を授けた人間として、返答に困る話題だった。
来客相手に話題を拒否することもできず、無視も失礼すぎる。七珠那は曖昧に返事をするしかなかった。
元々口の軽い質なのかもしれない。
上役は、七珠那相手に聞きたくもないことまで言い始める。
「何でも、加護の里で無垢石拾いをしていたとか」
「えぇ。そ、そうですね」
「石拾いが加護を得るなんて珍しいことだ。圭章殿も、なんというか、実用性を重んじる所は美点ですな。巫女ではなく、石拾いなら働き者でしょうし」
そう言って大笑いする上役に、七珠那は嫌な気持ちになった。
巫女ではなく石拾い。見劣りするものを嫁にしたと言っているのだ。
情けなくなる。
面と向かってそんなことを言われなければならない自分自身が。
言い返すこともできず、愛想笑いを浮かべるだけの身が。
世慣れぬ七珠那は、角を立ててはいけない相手に、不快であることをそれとなく伝えるにはどういう言えばいいのか、わからない。
圭章は、石拾いだといって七珠那を見下すことはない。
だが、世の中の大半の者にとって、巫女と石拾いの間には大きな隔たりがあるのだ。加護の里で散々感じたことなのに、首都と言う場で改めて突き付けられて、七珠那は足元がぐらつくのを感じた。
作業場から、丁度圭章が顔をだした。
「あぁ。ご足労いただきまして」
「いえいえ。こちらも急な訪問だったわけですから」
微笑みを絶やさずに話に付き合い、なんとか客人を圭章の元へ導けた時、七珠那は心底ほっとした。
「先日聞いた、新しい祝具を拝見したくて」
「試作品ですが」
あぁと浅く頷き、圭章は上役の男を作業場へ通そうとする。
「あの、私はここで失礼します」
「悪かったな。手を止めさせた」
「いいえ──」
「あぁ、そういえば、圭章殿」
軽く頭を下げ、踵を返す七珠那の耳に、あの言葉が聞こえてきたのだった。
「噂の婚約者殿は不在ですかな? この機会に挨拶をしたいのですが」
その瞬間、空気が凍ったのを、七珠那は感じた。
七珠那の自分自身の体温が失せていくように思えた。
確かに、七珠那が着ているものは、黒と灰と赤茶色の縞模様の着物だった。臙脂の帯もさほど凝らずに結んである。
七珠那は、普段から使用人に立ち混じって働くことを好むから、質素で汚れが目立ちにくいものばかりを選んでしまう。
勿論、加護の里で着ていたものよりも格段に良いものだが、名家の若奥様としては地味すぎる。
だから、使用人と思われたのだ。
そのことに気が付き、七珠那は顔から火が出るのではないかと思った。
なにより、圭章に恥をかかせてしまったことが、申し訳なくてたまらなかった。
「──あれは、仙波殿が早とちりをしただけだ。私も、七珠那の人となりを話していなかった。あらかじめ、七珠那がどういう者なのかを知っていれば、間違えることもなかっただろう」
「でも……私が、圭章様の婚約者として足りないのがいけないのです」
実際、足りないものばかりなのだろう。
例えば、これが晶瑚だったのなら、いくら地味な恰好をしていても間違えられることは無かっただろう。
内からにじみ出るもの。例えば自信や威厳のようなもの。それから、圭章にふさわしい美しさ。
それらが、きっと七珠那に欠けているものなのだ。
「婚約者として、よくやってくれている。これ以上望むものもない」
圭章は、落ち込む七珠那にそう声をかける。
「足りぬものなど誰にでもある。それが、私にとって重要かそうでないかというだけだ」
「圭章様……」
「七珠那でよかったと思っている。その気持ちは変わらないのだから」
さぁ、と促されて、七珠那は圭章に従い、暖簾をくぐる。
(今の私を気に入ってくださるのなら、卑下はしない。でも……)
七珠那は心持ち、しゃんと胸を張った。
貧しい暮らしが長いせいか、煌びやかな模様の着物を見ると気後れしてしまうから、七珠那は大振りの模様の入った着物を避けがちだった。今日の灰桜の着物は模様こそ少ないが、仕立ての良いものだ。
丁寧に着つけて、きちんと髪も整えてきた。清子に化粧品を借りて、化粧の仕方も教えてもらってきた。
今の七珠那に出来る精一杯のことだった。
(少しでも、隣に並んで恥ずかしくないように)
傍で支えるだけではない。
見合う妻になりたいと思うことは、そのために努力することは、悪いことではないはずだ。
