──七珠那が宮水家にやってきて、二月が経った。
「おはようございます! 圭章様」
「おはよう……」
「今日の朝餉は、しじみ汁ですよ!」
その頃には圭章を起こし、部屋に日の光と風を取り込むのが、七珠那の仕事になっていた。
「あぁ……」
のそのそと体を起こした圭章は、まだ目が開ききっていない様子だった。
無理もない。昨日は、守代や祝具師、それを取りまとめる上役達との会合があり夜が遅かった。酒も出たようで、しかめっ面で帰って来たのだ。
圭章は飲めぬわけではないが、強くないらしい。
だというのに、最近は会合が頻繁にあり、圭章はよく外出していた。
(私の加護の話もあるのかもしれない)
圭章は、どんな話が出たのか、七珠那には言わない。
だが、言われずとも想像がついた。だからこそ、七珠那は懸命に圭章を支えようとしていた。
「二日酔いに効きますから」
「助かる……」
圭章が、着替えに手を付けたのをみて、七珠那は部屋を出ようとする。
その背を、圭章が呼び止めた。
「昨日の会合で、七珠那の加護の祝石の話になった」
「はい」
力は明らかになっても、どの神かもわからぬ、そして、新しい加護だ。
歓迎されることばかりではないと身をもって知っているからこそ、七珠那は身構えてしまう。
淡く笑い、圭章は続けた。
「祈祷を頼むことが増えると思う」
「そう、ですか──」
そこまで悪い結論に至ったわけではないらしい。
七珠那は、ほっと肩の力を抜いた。
「お待ちしていますね。私はいつでも、いくつでも大丈夫です」
「無理はしなくていい。清子から、家事も女主人としての役割も熱心だと聞いている。手は余っているのだから好きにすればいい」
圭章は、その言葉がかつて七珠那を傷つけたことを思い出したのだろう。気まずい顔をする。
だが、七珠那は、笑って流した。
「働きたいので働きますね!」
「あぁ、そうか……。お前はそういう娘だったな」
圭章の苦笑を背に、七珠那は今度こそ部屋を辞して、朝食を用意するために台所へ向かった。
「あら、七珠那様」
台所では、清子がすでに配膳の準備をしていた。
とはいっても、しじみ汁は七珠那が作ったものだし、香の物も切ってあった。清子の役目は膳を整えるだけになっていた。
「七珠那様がなんでもこなしてしまうから、私のお役目がなくなってしまいそうです」
「そんな……清子さんに教えていただかなければ、私は何もわかりませんから。──昼は八杯豆腐にしようと思うんですが、いかがでしょうか?」
「七珠那様はすっかり、旦那様のことがお分かりですね。私、お伝えしたわけではないんですが」
酒を飲んだ翌日、圭章は食欲が落ちる。朝は汁物と米と香の物で軽く済ませ、昼は軽いものしか口にしない。
「見ていて、なんとなく、です」
「本当に、私は気兼ねなく楽させていただけます」
清子の冗談めかした大げさな言葉に、七珠那は笑った。
頼られることも、役に立つことも嬉しい。
七珠那は、自分から役目や仕事を探しに行くようになった。
掃除を積極的に手伝い、台所に入った。始めのうちは、扱いに困っていた使用人たちは、新しい女主人が、働きたがりなのだと知るとあっさり受け入れてくれた。
通常、家のことは女主人が仕切ることなのだ。
圭章の母親が別邸に去って以降、女主人の不在が長く続いた家だ。この家の使用人は自分達で動くことに慣れているが、新しい女主人の気持ちを知ると、七珠那を頼ってくれるようになった。
この家の誰もが、すっかり七珠那のいる生活を受け入れてくれていた。
「そういえば、旦那様に聞きました。お手柄ですね。七珠那様」
「え?」
「七珠那様の加護の話です。祝具の検証を拡大するとか」
「そう、みたいです。新しく祈祷をお願いされたので」
「首都に、厄介な小物の妖魔が出てしばらく経つんですが、数が多い分、対処が難しくて」
「小物の妖魔が群れで出るのは、首都では多いことなんですか? 村では大きな妖魔しかでなかったから、私、数の多さに驚いたんです」
「数年前まで、首都にも大型の妖魔が多かったんですよ。特に厄介だったのが、地震を起こす妖魔で」
清子は、お湯を急須に注ぎつつ、続けた。香しい匂いが湯気と共に立ち上ってくる。
「今、あちこちに新しい建物が沢山建てられているでしょう? その妖魔のせいで工事が止まったり、せっかく建てたものが壊れたり、難儀していたんです──それを討伐したのが旦那様」
清子は誇らしげに胸を張った。
「そこから一気に工事が進むようになって、旦那様が英雄と呼ばれるようになったんです」
なるほど、と七珠那は納得した。
(だから、圭章様は、時期に恵まれたと仰ったのね)
自分のおかげで首都が栄えたのだと誇ることもできただろうに、そうしない姿勢に、七珠那は尊敬の念を抱いた。
「でも、その後、急に妖魔が小型化してしまって、群れで出る様になったんです。建物がいっぱい建てられて、人が増えた後だから、逃げ場がなくって……。どうして、妖魔ってのは、あの手この手と狙い撃ちで人を困らせに来るんでしょうか」
妖魔とは、そういうものなのだ。
人を脅かすために、最も効果的な方法をとると言われている。
対策を取れば、次第にその対策が効かない妖魔が現れる。人と妖魔はいたちごっこを続けているのだ。
清子は僅かに表情を曇らせたが、切り替えるように笑った。
「これで、皆がまた安心して過ごせるでしょうね。本当によかった」
「いいえ。私だけじゃないです。石を拾ってくる女の子がいて、刀を作る男の里の方がいる。その結果です」
守代だけではない。石拾いだけではない。平和であれと願う人が、成したことなのだ。
七珠那は、そこに関わる誰かを蔑ろにしたくなかった。
(でも……屑石ばかり回ってくるのが、少し心配……)
この二月の間、何度か圭章に言われるまま無垢石に祈祷をしたが、屑石や小さな無垢石ばかりだった。
(他の場所には、ちゃんと大きな無垢石が回っているのかしら……。かえでは、橘花は大丈夫なの?)
七珠那は、加護の里に残してきた後輩二人に思いを馳せた。
「それに、旦那様も一層やりがいがあるでしょうし。もともと刀を持っていた方なんでですから、前線を退くことになって無念もありますでしょうし」
その言葉に、思考が中断される。
「え?」
七珠那は清子を見た。清子は、おしゃべりをしながら手を止めるのをやめない。まるで、何気ないことのようだった。
「圭章様が、そう仰っていたんですか?」
「いいえ。どこかでその気持ちがあるのでは、と清子は思っているのです。守代の中には、刀を持ってこそと思う方も多いですから」
(そう、なの……?)
清子は七珠那よりも長く圭章と一緒にいる。でこそわかることもあるだろうが、七珠那はどこか納得しきれない気持ちになった。
彼が過去を語る際に、時折見せる無念そうな顔は、戦えないからなのだろうか。
七珠那から見れば、圭章は常に自分が出来ることを探して、見つけて、前へ進んでいる。
出来なくなったことをいつまでも悔やむものだろうか。
「七珠那、今日、昼から構わないか」
朝餉の膳を待たず、圭章が台所へ顔を出した。七珠那は手を止め、圭章の元へ歩み寄った。
「はい。時間はありますが……」
「来客だ。お前に」
「私、ですか?」
家族もおらず、追放されるように加護の里を出てきた七珠那だ。訪ねてくるような客人など、心当たりがなかった。
「玖遠は覚えているか」
「鷹司玖遠様、ですね」
「奥方が、お前に会いたいらしい」
「え?」
玖遠の妻は、かつて加護の里の巫女だったのだという。
嫌な予感がしたが、確証もなく会いたいという相手を拒めず、七珠那はぎこちなく頷いた。
加護の里での巫女からどんなふうに扱われていたか、圭章も知っているだろう。
かといって、改めて彼の前で雑草娘と嗤われる姿を見られるのかと思うと、気持ちが塞いだ。
だが、来訪者は、予想外の人物だった。
「七珠那。本当に七珠那なのね!」
「衿禾様……!?」
──七珠那に神気があるなら、巫女になればいいのに。私が明官様に言ってあげる。七珠那なら、きっといい巫女になれるわ──
そう言ってくれた巫女だった。
「おはようございます! 圭章様」
「おはよう……」
「今日の朝餉は、しじみ汁ですよ!」
その頃には圭章を起こし、部屋に日の光と風を取り込むのが、七珠那の仕事になっていた。
「あぁ……」
のそのそと体を起こした圭章は、まだ目が開ききっていない様子だった。
無理もない。昨日は、守代や祝具師、それを取りまとめる上役達との会合があり夜が遅かった。酒も出たようで、しかめっ面で帰って来たのだ。
圭章は飲めぬわけではないが、強くないらしい。
だというのに、最近は会合が頻繁にあり、圭章はよく外出していた。
(私の加護の話もあるのかもしれない)
圭章は、どんな話が出たのか、七珠那には言わない。
だが、言われずとも想像がついた。だからこそ、七珠那は懸命に圭章を支えようとしていた。
「二日酔いに効きますから」
「助かる……」
圭章が、着替えに手を付けたのをみて、七珠那は部屋を出ようとする。
その背を、圭章が呼び止めた。
「昨日の会合で、七珠那の加護の祝石の話になった」
「はい」
力は明らかになっても、どの神かもわからぬ、そして、新しい加護だ。
歓迎されることばかりではないと身をもって知っているからこそ、七珠那は身構えてしまう。
淡く笑い、圭章は続けた。
「祈祷を頼むことが増えると思う」
「そう、ですか──」
そこまで悪い結論に至ったわけではないらしい。
七珠那は、ほっと肩の力を抜いた。
「お待ちしていますね。私はいつでも、いくつでも大丈夫です」
「無理はしなくていい。清子から、家事も女主人としての役割も熱心だと聞いている。手は余っているのだから好きにすればいい」
圭章は、その言葉がかつて七珠那を傷つけたことを思い出したのだろう。気まずい顔をする。
だが、七珠那は、笑って流した。
「働きたいので働きますね!」
「あぁ、そうか……。お前はそういう娘だったな」
圭章の苦笑を背に、七珠那は今度こそ部屋を辞して、朝食を用意するために台所へ向かった。
「あら、七珠那様」
台所では、清子がすでに配膳の準備をしていた。
とはいっても、しじみ汁は七珠那が作ったものだし、香の物も切ってあった。清子の役目は膳を整えるだけになっていた。
「七珠那様がなんでもこなしてしまうから、私のお役目がなくなってしまいそうです」
「そんな……清子さんに教えていただかなければ、私は何もわかりませんから。──昼は八杯豆腐にしようと思うんですが、いかがでしょうか?」
「七珠那様はすっかり、旦那様のことがお分かりですね。私、お伝えしたわけではないんですが」
酒を飲んだ翌日、圭章は食欲が落ちる。朝は汁物と米と香の物で軽く済ませ、昼は軽いものしか口にしない。
「見ていて、なんとなく、です」
「本当に、私は気兼ねなく楽させていただけます」
清子の冗談めかした大げさな言葉に、七珠那は笑った。
頼られることも、役に立つことも嬉しい。
七珠那は、自分から役目や仕事を探しに行くようになった。
掃除を積極的に手伝い、台所に入った。始めのうちは、扱いに困っていた使用人たちは、新しい女主人が、働きたがりなのだと知るとあっさり受け入れてくれた。
通常、家のことは女主人が仕切ることなのだ。
圭章の母親が別邸に去って以降、女主人の不在が長く続いた家だ。この家の使用人は自分達で動くことに慣れているが、新しい女主人の気持ちを知ると、七珠那を頼ってくれるようになった。
この家の誰もが、すっかり七珠那のいる生活を受け入れてくれていた。
「そういえば、旦那様に聞きました。お手柄ですね。七珠那様」
「え?」
「七珠那様の加護の話です。祝具の検証を拡大するとか」
「そう、みたいです。新しく祈祷をお願いされたので」
「首都に、厄介な小物の妖魔が出てしばらく経つんですが、数が多い分、対処が難しくて」
「小物の妖魔が群れで出るのは、首都では多いことなんですか? 村では大きな妖魔しかでなかったから、私、数の多さに驚いたんです」
「数年前まで、首都にも大型の妖魔が多かったんですよ。特に厄介だったのが、地震を起こす妖魔で」
清子は、お湯を急須に注ぎつつ、続けた。香しい匂いが湯気と共に立ち上ってくる。
「今、あちこちに新しい建物が沢山建てられているでしょう? その妖魔のせいで工事が止まったり、せっかく建てたものが壊れたり、難儀していたんです──それを討伐したのが旦那様」
清子は誇らしげに胸を張った。
「そこから一気に工事が進むようになって、旦那様が英雄と呼ばれるようになったんです」
なるほど、と七珠那は納得した。
(だから、圭章様は、時期に恵まれたと仰ったのね)
自分のおかげで首都が栄えたのだと誇ることもできただろうに、そうしない姿勢に、七珠那は尊敬の念を抱いた。
「でも、その後、急に妖魔が小型化してしまって、群れで出る様になったんです。建物がいっぱい建てられて、人が増えた後だから、逃げ場がなくって……。どうして、妖魔ってのは、あの手この手と狙い撃ちで人を困らせに来るんでしょうか」
妖魔とは、そういうものなのだ。
人を脅かすために、最も効果的な方法をとると言われている。
対策を取れば、次第にその対策が効かない妖魔が現れる。人と妖魔はいたちごっこを続けているのだ。
清子は僅かに表情を曇らせたが、切り替えるように笑った。
「これで、皆がまた安心して過ごせるでしょうね。本当によかった」
「いいえ。私だけじゃないです。石を拾ってくる女の子がいて、刀を作る男の里の方がいる。その結果です」
守代だけではない。石拾いだけではない。平和であれと願う人が、成したことなのだ。
七珠那は、そこに関わる誰かを蔑ろにしたくなかった。
(でも……屑石ばかり回ってくるのが、少し心配……)
この二月の間、何度か圭章に言われるまま無垢石に祈祷をしたが、屑石や小さな無垢石ばかりだった。
(他の場所には、ちゃんと大きな無垢石が回っているのかしら……。かえでは、橘花は大丈夫なの?)
七珠那は、加護の里に残してきた後輩二人に思いを馳せた。
「それに、旦那様も一層やりがいがあるでしょうし。もともと刀を持っていた方なんでですから、前線を退くことになって無念もありますでしょうし」
その言葉に、思考が中断される。
「え?」
七珠那は清子を見た。清子は、おしゃべりをしながら手を止めるのをやめない。まるで、何気ないことのようだった。
「圭章様が、そう仰っていたんですか?」
「いいえ。どこかでその気持ちがあるのでは、と清子は思っているのです。守代の中には、刀を持ってこそと思う方も多いですから」
(そう、なの……?)
清子は七珠那よりも長く圭章と一緒にいる。でこそわかることもあるだろうが、七珠那はどこか納得しきれない気持ちになった。
彼が過去を語る際に、時折見せる無念そうな顔は、戦えないからなのだろうか。
七珠那から見れば、圭章は常に自分が出来ることを探して、見つけて、前へ進んでいる。
出来なくなったことをいつまでも悔やむものだろうか。
「七珠那、今日、昼から構わないか」
朝餉の膳を待たず、圭章が台所へ顔を出した。七珠那は手を止め、圭章の元へ歩み寄った。
「はい。時間はありますが……」
「来客だ。お前に」
「私、ですか?」
家族もおらず、追放されるように加護の里を出てきた七珠那だ。訪ねてくるような客人など、心当たりがなかった。
「玖遠は覚えているか」
「鷹司玖遠様、ですね」
「奥方が、お前に会いたいらしい」
「え?」
玖遠の妻は、かつて加護の里の巫女だったのだという。
嫌な予感がしたが、確証もなく会いたいという相手を拒めず、七珠那はぎこちなく頷いた。
加護の里での巫女からどんなふうに扱われていたか、圭章も知っているだろう。
かといって、改めて彼の前で雑草娘と嗤われる姿を見られるのかと思うと、気持ちが塞いだ。
だが、来訪者は、予想外の人物だった。
「七珠那。本当に七珠那なのね!」
「衿禾様……!?」
──七珠那に神気があるなら、巫女になればいいのに。私が明官様に言ってあげる。七珠那なら、きっといい巫女になれるわ──
そう言ってくれた巫女だった。
