圭章が取り寄せた無垢石は、掌よりも二回りほども小さいものが三つと屑石だった。
かえでや橘花が採ってきたものだろう。七珠那は、無垢石を見分して、表情を硬くした。
(正直、質はそこそこだけど、小さすぎる)
七珠那は突然里を出てることになり、かえでも調子が悪い状況だった。次の石拾いも、まだ手配できていないのかもしれない。
加護の里に残してきた後輩たちのことを考えると、心配は尽きない。
七珠那は頭を大きく横に振り、無理やり心配を頭から追い出した。
(ううん──今は、まず、自分がすべきことをするの)
加護の里を出た今の七珠那に、出来ることは無い。
いつか、石拾い達が成長し、一人前になるのを待つしかないのだ。
七珠那に出来ることは、与えられた無垢石に精一杯の祈りを捧げるだけ。
この器に、どれほどの加護が宿るのか。巫女ではない七珠那にはわからなかった。
圭章は、宮水家の空き部屋を、急遽、七珠那の祈祷のためにあつらえてくれた。
御野山の方向へ小さな祭壇を組み、札と捧げものを並べる。無垢石を清め、三方の上に置く。
瞼を閉じた七珠那の脳裏に、背中に妖魔の爪痕を残して息絶えた両親の姿が蘇る。妖魔の恐怖に怯えながら農作業をする村人の姿。首都の洗練された街を飛び交う小さな妖魔。目前に迫った炎の熱。成すすべもなく、座り込んでいた自分。
(でも、この力があるから、出来ることがある。守れるものがある。役に立つことが出来る)
三方を掲げ、祝詞を口に上らせると、自分の神気が注がれていくのが分かる。感じたことのない温かなものに満たされる。
(これが──加護の力)
見えない力が、無垢石へと降り注いでいるのが、わかる。
(どの神様が、私に加護をくれたのかわからない。確かに、力はある──!)
呪いだと詰られたこの力は、七珠那にとって奇跡のようなものだった。
目を開き、掲げていた三方を下ろす。艶やかな白い無垢石は、透明な光を放つ祝石へと転じていた。
「──どうぞ。圭章様」
七珠那は、祈祷を済ませた祝石を圭章へと差し出した。
圭章はしかと頷き、透明な祝石を押し頂いた。
祝石纏う武器もまた、神の力を宿すに足るものでなければならない。
鉄屋彦神のおわす山で素材を採掘し、麓の里で鍛えられた刃のみが使われる。鍛冶の里と呼ばれるそこは、加護の里とは対照的に、男の里だった。女の里の加護と男の里の武器、それを祝具師がつなぎ、祝具となるのだ。
圭章が、透明な祝石のために用意したの小刀や短刀だった。
柄の部分に丸いくぼみがある。圭章は、己の神気を込めながら祝石を削り、磨き、武器に加護を纏わせていく。
そうして出来上がったのは、短刀と小刀だった。短刀には小さな祝石が、小刀には屑石がはめ込まれている。
新たな神の加護を纏った祝具は、桐の箱に納められ、守代へ届けられるために引き取られていった。
まず、あの急ごしらえの祝具で、加護の力を確認するのだそうだ。
七珠那は圭章と共に工場の前で、祝具が運び出されていくのを見送った。
「お前を怒らせてしまった後、自分も余計なお世話だと思ったことを思い出した」
「え……?」
唐突に、圭章が口を開いた。七珠那は、頭一つ分近く高い場所にある彼の顔を見上げた。
七珠那の視線を受け、圭章は腰をかがめた。
袴の裾を持ち上げる。未だに赤黒い傷跡が、脛から膝にかけて生々しく走っているのが見えた。
「圭章様──! やはり足に怪我を……!」
それなのに、あんなに走って動いていた。障りは無いだろうかと、七珠那はあたふたしてしまう。
「日常の中で少し走るぐらいなら、問題はない。戦うのは──駄目だった」
圭章は、無念そうに言う。
「倒れた守代の後輩を庇った怪我だ。有望な若者だった。後悔はしていないが、私がどう思おうと、他人には関係ないらしい」
自嘲するように掠れた笑い声。
続く言葉に、七珠那は胸を突かれたように感じた。
「志紅を責めるつもりもない。私の不注意が招いたことなのだから。それに、十分戦えずとも出来ることがある。満足しているつもりだったし、家業を継げたことを誇りに思っている。だが、他人にとって私はいつまでたっても不出来な後輩を庇って引退に追い込まれた哀れな英雄に見えるようだ」
孤児で石拾いの七珠那と名家の出で元英雄の圭章。
まったく違う立場のはずなのに、通じるものがあるように思えたのだ。
(私だって、巫女にはなれなくても、石拾いにも意味がある。出来ることがあるって思ってた……)
でも、自分がどう思おうと、他人は七珠那を見下す。
巫女になれない下々の民。石拾いしか能のない雑草娘、と。
「そんなことも忘れて、お前を哀れんでいたのだと思う。口先では、欠かせない役割と言いながらも、所詮、石拾いと見下していた。強がりを言っているだけで、恵まれた生活をすれば、嬉しいだろう。楽な生活が嫌いな人間はいないだろう、と」
率直に言葉にするには、七珠那への配慮がない言葉だった。
怒ってもいい場面なのだろうが、七珠那は黙して聞くにとどめた。
今この場で言う、ということは、後悔しているということなのだろうから。
「前の婚約者も、ひょっとしたらそうだったのかもしれないと思うと、自分が情けなくなる」
「前の……?」
「あぁ、借金を宮水家で請け負う約束で家に来た。借金がどうであれ、縁あってのことだ心安く過ごせればと思ったのだが」
「ひょっとして、私と同じように、好きにしろって言いませんでしたか? 家事もしなくていいと」
七珠那の問いかけに、圭章は頷く。
「言ったな」
「……小間物屋を呼んだり?」
「そうだな。娘は皆好きなものだろう。だから──」
「それは、婚約者様も腹立たしく思えたのではないでしょうか」
予想外の指摘だったのだろう。圭章は僅かに目を丸くした。
「借金の返済と引き換えの結婚なら、圭章様の財産で贅沢が出来ないはずです。好きにしろと言われても出来るはずがない。せめて、心を込めてお仕えしようにも、しなくていいとなると、気持ちの行き場がなくなります」
「そう、なのか……」
「私も、同じです。何かしたかったんです」
圭章は、深く息を吐いた。そうなのか、と小さな声で繰り返す。
「言葉にしてくれればよかった。言わずに去られると、どうしていいのかわからなくなる。──いや、私が聞かなかっただけか」
その瞳の色が、和らぐ。かすかに下がった目じり。片側だけがほんの少し持ち上がった唇。
微笑んだのだと気づいて、七珠那は圭章の表情から目が離せなくなった。
「気づけて良かった」
心から、そう思っているのだろう。安堵したような、吐息交じりの声だった。
「七珠那、お前が言ってくれたからだ。ありがとう」
「いいえ、私は、何も──」
七珠那は今更ながら、自分の行いを振り返って恥じた。
「本当に何もしなかったんです」
役目がないことを嘆いて、自分から手を伸ばそうとしなかった。
知らない場所や知らない人に囲まれる生活に戸惑い、萎縮するばかり。堪えて、爆発するまで我慢して──圭章に助けられて、謝らせさえしているのに、七珠那は受け身で誰かが周りを整えてくれるのを待っていた。
(そんなの、卑怯よ。何より、私らしくない)
自分で選んだと偉そうに言っていたのに、流されるまま、怒涛の出来事に溺れていただけ。
(私は、雑草娘なんだから)
逞しく、図太く。目立たずとも、生命力にあふれる。
花瓶に生けられるのではない。種が行きついた場所で背を伸ばし、咲くのだ。
それが、雑草というものではないだろうか。
「圭章様。私、やってみたいことがあるんです」
突然の申し出だったが、圭章は、しっかりと七珠那を見た。
「美しい帯も簪も、いつかは欲しくなるかもしれません。でも、今じゃないんです」
(圭章様のことを、もっと知りたい)
それを、面と口に出して言う勇気は、七珠那にはなかった。その代わりになるように言葉を紡ぐ。
「些細な家事でも構いません。私にやらせてください。圭章様にお仕えするのですから、知らなければいけないことは沢山あるんです。屑石でも、小さな無垢石でも祈祷をさせてください。私は自分が出来ることを知りたい、見つけたいんです」
七珠那を見つけて、迎え入れてくれた人。助けに来て、迎えに来てくれた。
(支えたい。報いたい)
今、七珠那は圭章が差し出してくれた的外れで不器用なやさしさに、改めて心から感謝した。
「あぁ」
圭章は、そう短く頷く。感情の乏しい声だったが、七珠那には十分だった。
七珠那は、今更ながら自分が大胆な態度をとってしまったような気がして、俯いた。
下がった視線の先に、ごつごつとした大きな手がある。躊躇う七珠那を連れてきてくれた手だ。
(手に、触れてみたい。もう一度)
思うより先に、七珠那の手が動いた。けれど、手を持ち上げた直後、動きが止まる。あまりにも図々しいではないか。
半端に浮いた手を下ろす前に、手を握られた。熱い程の掌に、七珠那の心臓が激しく脈を打った。
「今日──私が見つけたのが、七珠那でよかったと心から思った」
七珠那は、無言で圭章の手を握り返した。
喉に感情が詰まって、言葉が出ない。熱いものに胸が満たされる。
初めての気持ちだった。
(でも── ひょっとしたら、この気持ちが──)
愛おしいというものなのかもしれない。
かえでや橘花が採ってきたものだろう。七珠那は、無垢石を見分して、表情を硬くした。
(正直、質はそこそこだけど、小さすぎる)
七珠那は突然里を出てることになり、かえでも調子が悪い状況だった。次の石拾いも、まだ手配できていないのかもしれない。
加護の里に残してきた後輩たちのことを考えると、心配は尽きない。
七珠那は頭を大きく横に振り、無理やり心配を頭から追い出した。
(ううん──今は、まず、自分がすべきことをするの)
加護の里を出た今の七珠那に、出来ることは無い。
いつか、石拾い達が成長し、一人前になるのを待つしかないのだ。
七珠那に出来ることは、与えられた無垢石に精一杯の祈りを捧げるだけ。
この器に、どれほどの加護が宿るのか。巫女ではない七珠那にはわからなかった。
圭章は、宮水家の空き部屋を、急遽、七珠那の祈祷のためにあつらえてくれた。
御野山の方向へ小さな祭壇を組み、札と捧げものを並べる。無垢石を清め、三方の上に置く。
瞼を閉じた七珠那の脳裏に、背中に妖魔の爪痕を残して息絶えた両親の姿が蘇る。妖魔の恐怖に怯えながら農作業をする村人の姿。首都の洗練された街を飛び交う小さな妖魔。目前に迫った炎の熱。成すすべもなく、座り込んでいた自分。
(でも、この力があるから、出来ることがある。守れるものがある。役に立つことが出来る)
三方を掲げ、祝詞を口に上らせると、自分の神気が注がれていくのが分かる。感じたことのない温かなものに満たされる。
(これが──加護の力)
見えない力が、無垢石へと降り注いでいるのが、わかる。
(どの神様が、私に加護をくれたのかわからない。確かに、力はある──!)
呪いだと詰られたこの力は、七珠那にとって奇跡のようなものだった。
目を開き、掲げていた三方を下ろす。艶やかな白い無垢石は、透明な光を放つ祝石へと転じていた。
「──どうぞ。圭章様」
七珠那は、祈祷を済ませた祝石を圭章へと差し出した。
圭章はしかと頷き、透明な祝石を押し頂いた。
祝石纏う武器もまた、神の力を宿すに足るものでなければならない。
鉄屋彦神のおわす山で素材を採掘し、麓の里で鍛えられた刃のみが使われる。鍛冶の里と呼ばれるそこは、加護の里とは対照的に、男の里だった。女の里の加護と男の里の武器、それを祝具師がつなぎ、祝具となるのだ。
圭章が、透明な祝石のために用意したの小刀や短刀だった。
柄の部分に丸いくぼみがある。圭章は、己の神気を込めながら祝石を削り、磨き、武器に加護を纏わせていく。
そうして出来上がったのは、短刀と小刀だった。短刀には小さな祝石が、小刀には屑石がはめ込まれている。
新たな神の加護を纏った祝具は、桐の箱に納められ、守代へ届けられるために引き取られていった。
まず、あの急ごしらえの祝具で、加護の力を確認するのだそうだ。
七珠那は圭章と共に工場の前で、祝具が運び出されていくのを見送った。
「お前を怒らせてしまった後、自分も余計なお世話だと思ったことを思い出した」
「え……?」
唐突に、圭章が口を開いた。七珠那は、頭一つ分近く高い場所にある彼の顔を見上げた。
七珠那の視線を受け、圭章は腰をかがめた。
袴の裾を持ち上げる。未だに赤黒い傷跡が、脛から膝にかけて生々しく走っているのが見えた。
「圭章様──! やはり足に怪我を……!」
それなのに、あんなに走って動いていた。障りは無いだろうかと、七珠那はあたふたしてしまう。
「日常の中で少し走るぐらいなら、問題はない。戦うのは──駄目だった」
圭章は、無念そうに言う。
「倒れた守代の後輩を庇った怪我だ。有望な若者だった。後悔はしていないが、私がどう思おうと、他人には関係ないらしい」
自嘲するように掠れた笑い声。
続く言葉に、七珠那は胸を突かれたように感じた。
「志紅を責めるつもりもない。私の不注意が招いたことなのだから。それに、十分戦えずとも出来ることがある。満足しているつもりだったし、家業を継げたことを誇りに思っている。だが、他人にとって私はいつまでたっても不出来な後輩を庇って引退に追い込まれた哀れな英雄に見えるようだ」
孤児で石拾いの七珠那と名家の出で元英雄の圭章。
まったく違う立場のはずなのに、通じるものがあるように思えたのだ。
(私だって、巫女にはなれなくても、石拾いにも意味がある。出来ることがあるって思ってた……)
でも、自分がどう思おうと、他人は七珠那を見下す。
巫女になれない下々の民。石拾いしか能のない雑草娘、と。
「そんなことも忘れて、お前を哀れんでいたのだと思う。口先では、欠かせない役割と言いながらも、所詮、石拾いと見下していた。強がりを言っているだけで、恵まれた生活をすれば、嬉しいだろう。楽な生活が嫌いな人間はいないだろう、と」
率直に言葉にするには、七珠那への配慮がない言葉だった。
怒ってもいい場面なのだろうが、七珠那は黙して聞くにとどめた。
今この場で言う、ということは、後悔しているということなのだろうから。
「前の婚約者も、ひょっとしたらそうだったのかもしれないと思うと、自分が情けなくなる」
「前の……?」
「あぁ、借金を宮水家で請け負う約束で家に来た。借金がどうであれ、縁あってのことだ心安く過ごせればと思ったのだが」
「ひょっとして、私と同じように、好きにしろって言いませんでしたか? 家事もしなくていいと」
七珠那の問いかけに、圭章は頷く。
「言ったな」
「……小間物屋を呼んだり?」
「そうだな。娘は皆好きなものだろう。だから──」
「それは、婚約者様も腹立たしく思えたのではないでしょうか」
予想外の指摘だったのだろう。圭章は僅かに目を丸くした。
「借金の返済と引き換えの結婚なら、圭章様の財産で贅沢が出来ないはずです。好きにしろと言われても出来るはずがない。せめて、心を込めてお仕えしようにも、しなくていいとなると、気持ちの行き場がなくなります」
「そう、なのか……」
「私も、同じです。何かしたかったんです」
圭章は、深く息を吐いた。そうなのか、と小さな声で繰り返す。
「言葉にしてくれればよかった。言わずに去られると、どうしていいのかわからなくなる。──いや、私が聞かなかっただけか」
その瞳の色が、和らぐ。かすかに下がった目じり。片側だけがほんの少し持ち上がった唇。
微笑んだのだと気づいて、七珠那は圭章の表情から目が離せなくなった。
「気づけて良かった」
心から、そう思っているのだろう。安堵したような、吐息交じりの声だった。
「七珠那、お前が言ってくれたからだ。ありがとう」
「いいえ、私は、何も──」
七珠那は今更ながら、自分の行いを振り返って恥じた。
「本当に何もしなかったんです」
役目がないことを嘆いて、自分から手を伸ばそうとしなかった。
知らない場所や知らない人に囲まれる生活に戸惑い、萎縮するばかり。堪えて、爆発するまで我慢して──圭章に助けられて、謝らせさえしているのに、七珠那は受け身で誰かが周りを整えてくれるのを待っていた。
(そんなの、卑怯よ。何より、私らしくない)
自分で選んだと偉そうに言っていたのに、流されるまま、怒涛の出来事に溺れていただけ。
(私は、雑草娘なんだから)
逞しく、図太く。目立たずとも、生命力にあふれる。
花瓶に生けられるのではない。種が行きついた場所で背を伸ばし、咲くのだ。
それが、雑草というものではないだろうか。
「圭章様。私、やってみたいことがあるんです」
突然の申し出だったが、圭章は、しっかりと七珠那を見た。
「美しい帯も簪も、いつかは欲しくなるかもしれません。でも、今じゃないんです」
(圭章様のことを、もっと知りたい)
それを、面と口に出して言う勇気は、七珠那にはなかった。その代わりになるように言葉を紡ぐ。
「些細な家事でも構いません。私にやらせてください。圭章様にお仕えするのですから、知らなければいけないことは沢山あるんです。屑石でも、小さな無垢石でも祈祷をさせてください。私は自分が出来ることを知りたい、見つけたいんです」
七珠那を見つけて、迎え入れてくれた人。助けに来て、迎えに来てくれた。
(支えたい。報いたい)
今、七珠那は圭章が差し出してくれた的外れで不器用なやさしさに、改めて心から感謝した。
「あぁ」
圭章は、そう短く頷く。感情の乏しい声だったが、七珠那には十分だった。
七珠那は、今更ながら自分が大胆な態度をとってしまったような気がして、俯いた。
下がった視線の先に、ごつごつとした大きな手がある。躊躇う七珠那を連れてきてくれた手だ。
(手に、触れてみたい。もう一度)
思うより先に、七珠那の手が動いた。けれど、手を持ち上げた直後、動きが止まる。あまりにも図々しいではないか。
半端に浮いた手を下ろす前に、手を握られた。熱い程の掌に、七珠那の心臓が激しく脈を打った。
「今日──私が見つけたのが、七珠那でよかったと心から思った」
七珠那は、無言で圭章の手を握り返した。
喉に感情が詰まって、言葉が出ない。熱いものに胸が満たされる。
初めての気持ちだった。
(でも── ひょっとしたら、この気持ちが──)
愛おしいというものなのかもしれない。
