宮水圭章は、自分が結婚相手として望ましい条件を揃えていると思われていることは、理解しているつもりだった
古い祝具師の家に生まれ、神気にも体格にも剣の才にも恵まれた。おまけに容貌も悪くないらしい。
守代として討伐に出て、成果を上げて英雄と呼ばれ、名声を手に入れた。
後輩を庇った怪我が原因で引退。名誉ある引退だった。そのまま継いだ家には財産がある。
いくら条件がどうであろうと、結婚相手を好みで選べるとは、さらさら思っていない。
子の残し、血を後世に伝えるのが神気を持つ者の務めだからだ。
初めて婚約した相手は、男爵家の娘だった。巫女だと言う祖母の血を引き、神気を宿していた。
華族とのつながりと後継の才を保証。
宮水家に願ってもないこの婚約は、男爵家からの申し込みだった。
華族の娘らしく貞淑で物静か。善き妻になるという触れ込みでもって、男爵は文字通り、娘を売り込みに来た。
事業で失敗した借金があるのだと言う。
宮水家が借金を肩代わりすることで、婚約は成立した。
「お願いです。家に帰していただけませんか。婚約をなかったことにしていただきたいのです」
婚約者として宮水家に入って、一月。元婚約者は泣きながら頭を下げた。
「わたくしは、あなた様が何をお考えなのかわかりません」
理由を問うても泣くばかり。
様々な事情があったとしても、縁あって婚約者となった相手だ。
圭章は、不便のない暮らしをさせるつもりだった。むしろ、彼女の好きにしていいと思っていた。それなのに。
「わたくしを床の間の飾りとお思いですか!?」
涙の跡をそのままに、無神経だ、察しが悪いと圭章をなじる様子に、圭章は婚約の解消を拒めなかった。
自覚はないまま、傷つけてしまったのだろう。詫びとして、圭章は自分からの婚約解消ということにして、借金分は慰謝料とした。
結局、理由はわからないままだった。
おまけにその婚約破棄の話が広まり、圭章には婚約者を金で買った男と言う不名誉な評判が立ってしまった。
──もう、こりごりだ──
元々、結婚に対して前向きな気持ちはなかった上に、この体たらく。
自分に結婚は向かぬと投げ出してしまいたかったが、厄介なことにそれは許されない。
家督を譲ったのだから、次は身を固めよと父は急かし、次々見合い話を持ってくる。
──どうやら私は、結婚にも、人と暮らすのにも向かないらしい──
そんな中、圭章の元に迷い込んできた透明な祝石。
それが、圭章に新たな縁をもたらした。
新たな加護の正体を求めて赴いた加護の里で出会った、石拾いの少女。七珠那。
呪いだと身に覚えのないことで責められ、追い詰められる様子に、胸が痛んだ。加護と呪いの区別もつかぬ明官や巫女達に怒りを感じた。このまま、ここに置いておけない。せっかくの加護を失うわけにはいかない。
同時に思う。
(もう、この娘で構わないんじゃないか)
婚約というのは、娘を連れ出すいい理由になる。
粗末な服装をしていたが、礼儀作法を身に着けさせ、身なりを整えれば、若い娘というものはそれだけで見栄えがするものだ。
巫女ではないが、巫女のようなもの。父も納得するだろう。
石拾いをしていたのなら、根気強いはず。なにより、帰る場所のない娘だ。
ちょっとやそっとのことで逃げださないだろう。
凍えることも、飢えることもない生活を、与えることが出来る。過酷な労働からも解放してやれる。
むしろ、圭章に感謝して、夫によく仕える妻になってくれるはず。
(本当に……あの娘は……)
身売りされた娘。過酷な労働に従事し、呪いだと言いがかりをつけられ、追放寸前になった。そして、また身売り同然によく知らない相手の婚約者に据えられた。
自分が一枚嚙んでいるというのに、圭章は思う。的外れな感想ではないはずだ。
「哀れだな……」
呟いた自分の声が、鼓膜を揺らす。
その響きに不意に、脳裏によみがえるものがあった。
守代の役目を降りる自分を見送るために整列する同僚、後輩たち。
英雄と呼ばれた男を惜しむ一方、陰でこう囁いていた者がいることを、圭章は知っていた。
「哀れなことだ」
同じ守代だけではない、新たに関わることになった祝具師、神職達。
圭章に面と向かっては言わないのに、背中に向かって囁くのだ。
「後輩を庇ったとか。英雄ともあろう者が」
何も戦えない民だけが、守るべきものではない。大事な後輩とてそうだ。
「戦えぬわけではないが、今までと同じにはいかないらしい」
後悔はしていない。いずれ自分が先に去るのだから。少し時期が早まっただけ。
頼もしい後輩は、きっと誰かを守ってくれるだろう。
「それで、実家を継ぐと? まぁ、継ぐものがあるのは幸いなことだ」
守代が、祝具師になって何が悪いというのだ。
自分の作った武器が、守代を支える。圭章もそうやって支えられてきた。
次は、自分がそうしようと思っただけだ。本当に幸いなことに、圭章にはすぐにそこに飛び込める環境があった。
「しかし──英雄と呼ばれた男が、怪我で退くなど、哀れなことだ」
余計なお世話だ。本当に。
(しまった……)
圭章は、ようやく自分の失態に気が付いた。
(彼女『も』怒って当然だ……)
自分がかつて腹立たしいと思った相手と同じことをしてしまっていたのだ。
「くそ……!」
圭章は、自分自身に悪態をつく。あまりにも間抜けだ。
「詫びなければ……」
彼女が、頭を下げているのを困惑して眺めている場合ではなかった。
襖を開けると、丁度、清子と行き会った。
「あら、旦那様」
「清子。──彼女は? 部屋か?」
「七珠那様ですか?」
清子は怪訝そうに首を傾げた。
「先ほど、散歩に行くと出られましたけど……」
返事もそこそこに、圭章は、慌ただしく廊下を速足で進む。
(遠くに行っていないはずだ)
土地勘はないだろうあの娘が、帰れなくなるような場所へ行くとは思えなかった。
乱暴に玄関を開け、門を潜った直後、急ぎ足だった圭章の歩みがとまった。
茫然と佇み、見上げる。
空が、裂けていた。
獣の一筋の爪痕のように、空に亀裂が走り、どす黒い闇が覗いている。
あの亀裂が生まれれば、妖魔がやってくる。
(まさか、あちらへ行ったのではないだろうな……!)
そうであって欲しいと願うのに、圭章には七珠那が亀裂の近くにいるような気がしてならなかった。
圭章は、自室へ取って返した。
床の間に置かれた刀掛け。そこには、蒼の祝石が埋め込まれた刀が置かれている。かつて圭章が守代として使っていたものだ。
そして、その傍らには白鞘に納められた真新しい小刀が置かれていた。
圭章は、小刀を──妻となる娘が宿した加護を、懐に仕舞いこんだ。
(あの娘は──七珠那は、口に出して、言ってくれたんだ──!)
急げと叫ぶ気持ちのままに、足を踏み出す。
力強く地面を踏みしめたつもりの足に、思ったような力が入らず、がくんと膝が折れかけた。
(くそ……!)
怪我のせいで、未だに力の加減がわからない。
自分の悪態をつきつつ、圭章は空の裂け目を目指して駆け出して行った。
古い祝具師の家に生まれ、神気にも体格にも剣の才にも恵まれた。おまけに容貌も悪くないらしい。
守代として討伐に出て、成果を上げて英雄と呼ばれ、名声を手に入れた。
後輩を庇った怪我が原因で引退。名誉ある引退だった。そのまま継いだ家には財産がある。
いくら条件がどうであろうと、結婚相手を好みで選べるとは、さらさら思っていない。
子の残し、血を後世に伝えるのが神気を持つ者の務めだからだ。
初めて婚約した相手は、男爵家の娘だった。巫女だと言う祖母の血を引き、神気を宿していた。
華族とのつながりと後継の才を保証。
宮水家に願ってもないこの婚約は、男爵家からの申し込みだった。
華族の娘らしく貞淑で物静か。善き妻になるという触れ込みでもって、男爵は文字通り、娘を売り込みに来た。
事業で失敗した借金があるのだと言う。
宮水家が借金を肩代わりすることで、婚約は成立した。
「お願いです。家に帰していただけませんか。婚約をなかったことにしていただきたいのです」
婚約者として宮水家に入って、一月。元婚約者は泣きながら頭を下げた。
「わたくしは、あなた様が何をお考えなのかわかりません」
理由を問うても泣くばかり。
様々な事情があったとしても、縁あって婚約者となった相手だ。
圭章は、不便のない暮らしをさせるつもりだった。むしろ、彼女の好きにしていいと思っていた。それなのに。
「わたくしを床の間の飾りとお思いですか!?」
涙の跡をそのままに、無神経だ、察しが悪いと圭章をなじる様子に、圭章は婚約の解消を拒めなかった。
自覚はないまま、傷つけてしまったのだろう。詫びとして、圭章は自分からの婚約解消ということにして、借金分は慰謝料とした。
結局、理由はわからないままだった。
おまけにその婚約破棄の話が広まり、圭章には婚約者を金で買った男と言う不名誉な評判が立ってしまった。
──もう、こりごりだ──
元々、結婚に対して前向きな気持ちはなかった上に、この体たらく。
自分に結婚は向かぬと投げ出してしまいたかったが、厄介なことにそれは許されない。
家督を譲ったのだから、次は身を固めよと父は急かし、次々見合い話を持ってくる。
──どうやら私は、結婚にも、人と暮らすのにも向かないらしい──
そんな中、圭章の元に迷い込んできた透明な祝石。
それが、圭章に新たな縁をもたらした。
新たな加護の正体を求めて赴いた加護の里で出会った、石拾いの少女。七珠那。
呪いだと身に覚えのないことで責められ、追い詰められる様子に、胸が痛んだ。加護と呪いの区別もつかぬ明官や巫女達に怒りを感じた。このまま、ここに置いておけない。せっかくの加護を失うわけにはいかない。
同時に思う。
(もう、この娘で構わないんじゃないか)
婚約というのは、娘を連れ出すいい理由になる。
粗末な服装をしていたが、礼儀作法を身に着けさせ、身なりを整えれば、若い娘というものはそれだけで見栄えがするものだ。
巫女ではないが、巫女のようなもの。父も納得するだろう。
石拾いをしていたのなら、根気強いはず。なにより、帰る場所のない娘だ。
ちょっとやそっとのことで逃げださないだろう。
凍えることも、飢えることもない生活を、与えることが出来る。過酷な労働からも解放してやれる。
むしろ、圭章に感謝して、夫によく仕える妻になってくれるはず。
(本当に……あの娘は……)
身売りされた娘。過酷な労働に従事し、呪いだと言いがかりをつけられ、追放寸前になった。そして、また身売り同然によく知らない相手の婚約者に据えられた。
自分が一枚嚙んでいるというのに、圭章は思う。的外れな感想ではないはずだ。
「哀れだな……」
呟いた自分の声が、鼓膜を揺らす。
その響きに不意に、脳裏によみがえるものがあった。
守代の役目を降りる自分を見送るために整列する同僚、後輩たち。
英雄と呼ばれた男を惜しむ一方、陰でこう囁いていた者がいることを、圭章は知っていた。
「哀れなことだ」
同じ守代だけではない、新たに関わることになった祝具師、神職達。
圭章に面と向かっては言わないのに、背中に向かって囁くのだ。
「後輩を庇ったとか。英雄ともあろう者が」
何も戦えない民だけが、守るべきものではない。大事な後輩とてそうだ。
「戦えぬわけではないが、今までと同じにはいかないらしい」
後悔はしていない。いずれ自分が先に去るのだから。少し時期が早まっただけ。
頼もしい後輩は、きっと誰かを守ってくれるだろう。
「それで、実家を継ぐと? まぁ、継ぐものがあるのは幸いなことだ」
守代が、祝具師になって何が悪いというのだ。
自分の作った武器が、守代を支える。圭章もそうやって支えられてきた。
次は、自分がそうしようと思っただけだ。本当に幸いなことに、圭章にはすぐにそこに飛び込める環境があった。
「しかし──英雄と呼ばれた男が、怪我で退くなど、哀れなことだ」
余計なお世話だ。本当に。
(しまった……)
圭章は、ようやく自分の失態に気が付いた。
(彼女『も』怒って当然だ……)
自分がかつて腹立たしいと思った相手と同じことをしてしまっていたのだ。
「くそ……!」
圭章は、自分自身に悪態をつく。あまりにも間抜けだ。
「詫びなければ……」
彼女が、頭を下げているのを困惑して眺めている場合ではなかった。
襖を開けると、丁度、清子と行き会った。
「あら、旦那様」
「清子。──彼女は? 部屋か?」
「七珠那様ですか?」
清子は怪訝そうに首を傾げた。
「先ほど、散歩に行くと出られましたけど……」
返事もそこそこに、圭章は、慌ただしく廊下を速足で進む。
(遠くに行っていないはずだ)
土地勘はないだろうあの娘が、帰れなくなるような場所へ行くとは思えなかった。
乱暴に玄関を開け、門を潜った直後、急ぎ足だった圭章の歩みがとまった。
茫然と佇み、見上げる。
空が、裂けていた。
獣の一筋の爪痕のように、空に亀裂が走り、どす黒い闇が覗いている。
あの亀裂が生まれれば、妖魔がやってくる。
(まさか、あちらへ行ったのではないだろうな……!)
そうであって欲しいと願うのに、圭章には七珠那が亀裂の近くにいるような気がしてならなかった。
圭章は、自室へ取って返した。
床の間に置かれた刀掛け。そこには、蒼の祝石が埋め込まれた刀が置かれている。かつて圭章が守代として使っていたものだ。
そして、その傍らには白鞘に納められた真新しい小刀が置かれていた。
圭章は、小刀を──妻となる娘が宿した加護を、懐に仕舞いこんだ。
(あの娘は──七珠那は、口に出して、言ってくれたんだ──!)
急げと叫ぶ気持ちのままに、足を踏み出す。
力強く地面を踏みしめたつもりの足に、思ったような力が入らず、がくんと膝が折れかけた。
(くそ……!)
怪我のせいで、未だに力の加減がわからない。
自分の悪態をつきつつ、圭章は空の裂け目を目指して駆け出して行った。
