「今日もお恵みがありますように」
七珠那は呟きながら、湿った草を踏みしめた。
御野山の茂みは深い。杖で先を突き、草を払い、道を探していく。
七珠那は背嚢を胸の前で結わえなおした。ずっしりとした重さを感じるが、目当てのものはまだそこに入っていない。
動きやすいように濃紺の小袖にたすきをかけ、袴の裾は脛布を巻き付けてあるが、背負ったものも腰に下げた金属の工具も重く、七珠那の足を留めにかかる。
(そろそろ戻らないと日暮れなのに……)
人の手の入らない森は、薄暗い。好き勝手に枝を伸ばし、葉を茂らせた木々に日光が遮られるせいで、日の光は届きにくい。
気を抜いて、日暮れに気が付かなければあっという間に暗闇に閉ざされてしまう。
(どこかに無いかな……。もっと立派で大きな無垢石)
「天御玉比売、どうぞお導きください」
世界の極東に位置する和東国。
古より八百万の神に守られるこの国の中心には、天御玉比売がおわす御野山と呼ばれる霊山がある。
聖域として立ち入りが禁じられている場所ではあったが、嫁入り前の若い──というよりも幼い娘だけが例外とされている。
七珠那は十六。
少々年を食ってはいるが、幸い、天御玉比売に拒まれることなく、安定した数と質の無垢石を見つけることができていた。
(晶瑚様が里を出るまであまり時間がないのに。希望に沿うものが見つからなかったら……)
晶瑚様の冷ややかな微笑みを想像して、七珠那は身震いした。
(かといって、望んでどうにかなるものでもないし……)
七珠那は用心深く周囲を伺う。
十の時に奉公に来てから六年。数えきれないほど御野山へ足を踏み入れたが、無垢石が採れる場所はしょっちゅう変わる。
精一杯足と目を使い、運を天に任せるしかない。
不意に、七珠那の視界の端に、僅かな白い光が入り込んだ。まるで靄のような儚い光だったが、七珠那には十分だった。
「見つけた……」
七珠那は、一目散に岩場に駆け寄った。顔を近づけると、岩肌の隙間から僅かに白いものが覗いている。
大きさの目算をつける、鶴嘴を突き立てて岩肌を削っていく。
大まかに削り終えたら、石の外周の少し外側あたりに鏨をあて、金槌で鏨の背をたたいていった。
やがて、岩肌の中から、拳程の白い石が転がり落ちた。
月の光を寄せ集めたような色だった。濁りのない色で不思議な艶がある。砂を払い、光にかざすと表面が虹色に輝いた。
文句なしの質。大きさだった。
この無垢石に、神の加護を得た巫女が祈りを捧げることで、石は色を宿して輝く。
加護を得た無垢石を武器に纏わせることで、この世のよからぬもの──妖魔を払うことが出来るのだ。
「うん。これなら、晶瑚様の嫁入り道具にぴったり」
そう頷き、七珠那は無垢石を大事に手ぬぐいに包み、背嚢の中に入れた。
背嚢の中には、すでに今日ここまでに拾い集めた大小形が様々な無垢石が詰め込まれている。
七珠那は、役目を終えたことに肩をなでおろし、しっかしとした足取りで帰路へついた。
足取りは軽く、鼻歌がこぼれそうな心地だった。
(きっと、晶瑚様は喜んでくれる)
巫女としての務めを終え、来月には嫁入りをする彼女の頼みで、七珠那は懸命に立派な無垢石を探していたのだ。
(綺麗だろうな……)
七珠那は白無垢を着た晶瑚の姿を想像し、うっとりと目を細めた。
巫女達の中でも一番の美人だ。きっと輝かんばかりの美しさだろう。
(少しだけ、羨ましい。私には手に入らないものだから)
七珠那は、ふと自分の手に視線を落として、苦く笑う。
岩を掘ることになれたごつごつとした手。働き者の足手を七珠那は誇りに思っているが、娘らしい幸せを今更と笑って捨てる程、達観できていなかった。
「でも、私は不幸じゃない。十分幸せだもの。私が拾った無垢石が、誰かを守って助けるの──役目があるんだから」
七珠那は呟きながら、山を下り始めた。
その時だった。
甲高い猿のような声が頭上から降って来て、七珠那は空を見上げた。
僅かに太陽が傾きかけた空を、影が横切る。
木立を揺らしながら、影が群れを成して横切っていく。
鳥にしては大きすぎる。四枚の翼、蛇のような曲線の尾──妖魔だ。
霊山に、妖魔は立ち入ることのできない。襲われる心配はないと知っていても、妖魔が近くを通っていく恐怖はぬぐえない。
羽ばたきの音が消え、七珠那は詰めていた息を吐いた。
「かしこみかしこみ──」
それは、巫女達が祈祷の際に口する祝詞だった。
七珠那は巫女ではないけれど、六年も傍にいたものだからすっかり覚えてしまった。
心細くなったり寂しくなった時、七珠那は時々、祝詞を口に上らせ、自分を励ますのだ。
「東の和の国の御神々よ、道を守りし御神よ──」
背嚢に仕舞った無垢石が、淡く輝いたことにも気づかず、七珠那はひたと前を見据えて、足を踏み出すのだった。
妖魔は、御野山を越え、東へ進み──やがて首都へとたどりつく。
和東国の首都は、外つ国へと開かれて数十年。西洋の様式を取り入れ、発展の一途をたどっている。
昨年、蔵屋敷跡に建てられたばかりの首都銀行本店の上を、四枚の翼を持つ妖魔が漣の様に鳴き声を連ねながら過ぎていく。
丸屋根の上に不気味な影が落ちるのを、道行く人は足を止め、息を止めて見送っていた。
「またか……小物のくせに数が多い」
危機が去ったのを見て、人々が胸をなでおろし、日常へと戻っていく。
その流れの真っただ中で足を止める男が一人。
半端に伸びた黒髪が、風に煽られて舞う。露わになった秀麗な横顔は、妖魔が去った空を睨んでいた。
「妖魔は行ったのか……! 襲われたものはいないか!」
武器を手に駆けてくる者たちへ、男は視線をやる。
刀に埋め込まれた輝く石。巫女により授けられた加護を持つそれを横目で見ながら、男は踵を返した。
悔しそうに、ひとりごちる。
「──足りない。その加護では、じきに間に合わなくなる」
七珠那は呟きながら、湿った草を踏みしめた。
御野山の茂みは深い。杖で先を突き、草を払い、道を探していく。
七珠那は背嚢を胸の前で結わえなおした。ずっしりとした重さを感じるが、目当てのものはまだそこに入っていない。
動きやすいように濃紺の小袖にたすきをかけ、袴の裾は脛布を巻き付けてあるが、背負ったものも腰に下げた金属の工具も重く、七珠那の足を留めにかかる。
(そろそろ戻らないと日暮れなのに……)
人の手の入らない森は、薄暗い。好き勝手に枝を伸ばし、葉を茂らせた木々に日光が遮られるせいで、日の光は届きにくい。
気を抜いて、日暮れに気が付かなければあっという間に暗闇に閉ざされてしまう。
(どこかに無いかな……。もっと立派で大きな無垢石)
「天御玉比売、どうぞお導きください」
世界の極東に位置する和東国。
古より八百万の神に守られるこの国の中心には、天御玉比売がおわす御野山と呼ばれる霊山がある。
聖域として立ち入りが禁じられている場所ではあったが、嫁入り前の若い──というよりも幼い娘だけが例外とされている。
七珠那は十六。
少々年を食ってはいるが、幸い、天御玉比売に拒まれることなく、安定した数と質の無垢石を見つけることができていた。
(晶瑚様が里を出るまであまり時間がないのに。希望に沿うものが見つからなかったら……)
晶瑚様の冷ややかな微笑みを想像して、七珠那は身震いした。
(かといって、望んでどうにかなるものでもないし……)
七珠那は用心深く周囲を伺う。
十の時に奉公に来てから六年。数えきれないほど御野山へ足を踏み入れたが、無垢石が採れる場所はしょっちゅう変わる。
精一杯足と目を使い、運を天に任せるしかない。
不意に、七珠那の視界の端に、僅かな白い光が入り込んだ。まるで靄のような儚い光だったが、七珠那には十分だった。
「見つけた……」
七珠那は、一目散に岩場に駆け寄った。顔を近づけると、岩肌の隙間から僅かに白いものが覗いている。
大きさの目算をつける、鶴嘴を突き立てて岩肌を削っていく。
大まかに削り終えたら、石の外周の少し外側あたりに鏨をあて、金槌で鏨の背をたたいていった。
やがて、岩肌の中から、拳程の白い石が転がり落ちた。
月の光を寄せ集めたような色だった。濁りのない色で不思議な艶がある。砂を払い、光にかざすと表面が虹色に輝いた。
文句なしの質。大きさだった。
この無垢石に、神の加護を得た巫女が祈りを捧げることで、石は色を宿して輝く。
加護を得た無垢石を武器に纏わせることで、この世のよからぬもの──妖魔を払うことが出来るのだ。
「うん。これなら、晶瑚様の嫁入り道具にぴったり」
そう頷き、七珠那は無垢石を大事に手ぬぐいに包み、背嚢の中に入れた。
背嚢の中には、すでに今日ここまでに拾い集めた大小形が様々な無垢石が詰め込まれている。
七珠那は、役目を終えたことに肩をなでおろし、しっかしとした足取りで帰路へついた。
足取りは軽く、鼻歌がこぼれそうな心地だった。
(きっと、晶瑚様は喜んでくれる)
巫女としての務めを終え、来月には嫁入りをする彼女の頼みで、七珠那は懸命に立派な無垢石を探していたのだ。
(綺麗だろうな……)
七珠那は白無垢を着た晶瑚の姿を想像し、うっとりと目を細めた。
巫女達の中でも一番の美人だ。きっと輝かんばかりの美しさだろう。
(少しだけ、羨ましい。私には手に入らないものだから)
七珠那は、ふと自分の手に視線を落として、苦く笑う。
岩を掘ることになれたごつごつとした手。働き者の足手を七珠那は誇りに思っているが、娘らしい幸せを今更と笑って捨てる程、達観できていなかった。
「でも、私は不幸じゃない。十分幸せだもの。私が拾った無垢石が、誰かを守って助けるの──役目があるんだから」
七珠那は呟きながら、山を下り始めた。
その時だった。
甲高い猿のような声が頭上から降って来て、七珠那は空を見上げた。
僅かに太陽が傾きかけた空を、影が横切る。
木立を揺らしながら、影が群れを成して横切っていく。
鳥にしては大きすぎる。四枚の翼、蛇のような曲線の尾──妖魔だ。
霊山に、妖魔は立ち入ることのできない。襲われる心配はないと知っていても、妖魔が近くを通っていく恐怖はぬぐえない。
羽ばたきの音が消え、七珠那は詰めていた息を吐いた。
「かしこみかしこみ──」
それは、巫女達が祈祷の際に口する祝詞だった。
七珠那は巫女ではないけれど、六年も傍にいたものだからすっかり覚えてしまった。
心細くなったり寂しくなった時、七珠那は時々、祝詞を口に上らせ、自分を励ますのだ。
「東の和の国の御神々よ、道を守りし御神よ──」
背嚢に仕舞った無垢石が、淡く輝いたことにも気づかず、七珠那はひたと前を見据えて、足を踏み出すのだった。
妖魔は、御野山を越え、東へ進み──やがて首都へとたどりつく。
和東国の首都は、外つ国へと開かれて数十年。西洋の様式を取り入れ、発展の一途をたどっている。
昨年、蔵屋敷跡に建てられたばかりの首都銀行本店の上を、四枚の翼を持つ妖魔が漣の様に鳴き声を連ねながら過ぎていく。
丸屋根の上に不気味な影が落ちるのを、道行く人は足を止め、息を止めて見送っていた。
「またか……小物のくせに数が多い」
危機が去ったのを見て、人々が胸をなでおろし、日常へと戻っていく。
その流れの真っただ中で足を止める男が一人。
半端に伸びた黒髪が、風に煽られて舞う。露わになった秀麗な横顔は、妖魔が去った空を睨んでいた。
「妖魔は行ったのか……! 襲われたものはいないか!」
武器を手に駆けてくる者たちへ、男は視線をやる。
刀に埋め込まれた輝く石。巫女により授けられた加護を持つそれを横目で見ながら、男は踵を返した。
悔しそうに、ひとりごちる。
「──足りない。その加護では、じきに間に合わなくなる」
