花妻さまの香草茶館~鬼に娶られた鬼狩りの娘は愛を知って花笑む~

「想像以上に人の出が多いから、はぐれないように手を繋ぐか。これも逢引の基本だ」
「あっ、あいびき!?」
 
 てっきり桃花が慄いていることに気付いて手を貸してくれたのかと思っていたが、まさかの理由に声が裏返ってしまう。素っ頓狂な声を上げた桃花に対して、香雪は片手で荷物を持ち直すと、何ともない様子で「そう。逢引」と返しただけであった。

「これが俺たちの初めての逢引だからな。お互い楽しい思い出にしたいだろう」
「それは……そうかもしれませんが……」
「恥ずかしがらなくても、俺たちに与えられた区画はすぐそこだ。それまでの辛抱だから我慢しろよ」

 香雪に腕を引かれる形で歩く桃花だったが、心なしかさっきよりも注目を集めているような気がした。骨董市で逢引をしているのが場違いなのか、それとも鬼たちを束ねる元頭目の香雪が連れているからか。いずれにしても羞恥を覚えることに変わりはない。
 目線を下にして頬を染めながら歩いていると、ようやく桃花たちが与えられた区画に辿り着く。荷物を並べるござは主催者が用意してくれたようで、辛うじて大人二人が並んで座れるくらいの大きさのござが敷かれていた。持ち込んだ物を広げればすぐに露店を始められそうだった。

「石鹸を並べたらすぐに始めるからな。最初は一五銭から。値切り交渉をしてきたら、相手に合わせて少しずつ価格を下げて、最低でも九銭くらいで止める。銭貨は人間たちと同じものを使っているが、計算は問題ないか?」
「簡単な計算と読み書きは教わったので大丈夫だと思います。女中の仕事をするのに必要だからって、渋々女中長が教えてくれました」

 弟妹たちと違って桃花は小学校さえ通わせてもらえなかったが、万が一にも狩谷の娘を名乗ることになった際に最低限の教養はあった方が狩谷家の体裁が保てると、父が女中長に命じて教えさせた。
 自分の仕事が増えることに腹立たしさを隠さない女中長に半ば脅されるように、桃花は最低限の読み書きと計算を叩き込まれたのだった。
 
「それなら一安心だな。後は石鹼を買った客にこの引き札を渡す。買わなくても香草に興味を持った客がいたら遠慮なく渡してくれていい。宣伝は多ければ多い方が良い。伝聞で広めて貰える可能性もあるからな」
 
 手渡された引き札には香雪の流麗な文字で香草茶館の新しい名前が書かれていたので、つい桃花は読み上げてしまう。

「『香草茶館・椿……と桃』?」
「『香草茶館・椿桃(つばいもも)』って読むんだ。桃に似た果実の一種だ。仮だけどお前たちらしい名前だと思ってそれにした。茶館の門前に出している看板も昨夜の内に直したから心配いらない」
「そんな名前の果物があるんですね……。用意も早くて、手伝えなくてすみません……」
「いいって。お前にはこれから宣伝を頑張ってもらうからな。今日は張り切って香草と茶館の魅力を客に売り込んでくれ」

 そう意気込んだのも束の間、しばらくしても桃花たちの露店に立ち寄る者はいなかった。
 時間の経過と共に往来には人が増え、すぐ隣や近くの露店には鬼や人がひっきりなしに来ている。それなのに何故か桃花たちの露店は遠巻きに見られただけで素通りをされてしまう。
 危機感を覚えた桃花がなけなしの勇気を振り絞って、近くを通った鬼や人に自ら声を掛けたものの、皆一様に桃花とその後ろに座る香雪を見た途端、蜘蛛の子を散らすように去ってしまうのだった。

「どうして誰も立ち寄ってくれないのでしょうか……。私の声の掛け方が原因? それとも狩谷家の血を引いているから……?」
「桃は悪くない。原因があるとすれば……俺だな」

 項垂れた桃花の頭を軽く叩くと香雪は音もなく立ち上がる。両手を握りしめて、縋るように見上げるが香雪はござから出てしまう。

「しばらく席を外すから店番を頼む。俺がいなくたって、海石榴がいれば大丈夫だろう」
「そんなことを急に言われても……。あの、香雪が原因ってどういう意味……」

 桃花の問いに答えることもなく、香雪は足早にその場を去ってしまう。入れ違いに妖刀から海石榴が姿を現したので、再度同じことを聞くが、海石榴も首を傾げただけであった。

(どうして? やっぱり私に原因があるの? 香雪が悪いってどういうこと……?)

 香雪は桃花に愛想を尽かしていなくなってしまったのだろうか。一緒に居ても役に立たないどころか、商売の邪魔になるからと。
 香雪を追いかけて謝った方が良いのか逡巡していると、年嵩の女鬼二人が桃花たちの露店に近づいてきたので桃花は表情を明るくする。

「こ、こんにちは。ここでは香草を使った石鹸を……」
「嫌だわ。『逢魔の角なし』が視界に入るだけでも不愉快なのに、その連れの下賤な人間に声を掛けられるなんて……」

 袖で鼻や口を押さえて、汚いものを見たというように表情を歪ませると足早に通り過ぎようとしたので、すかさず追いかけると「待って下さい!」呼び止める。