花妻さまの香草茶館~鬼に娶られた鬼狩りの娘は愛を知って花笑む~

「ただいま……って。お前ら何をやっているんだよ!!」

 一触即発の空気を切り裂くような明るい声は庭に繋がる引き戸から入って来た香雪が発したものだった。その声に張りつめていた身体が軽くなった桃花は鈴振から距離を取ると、三人から離れたところで溢れた涙を拭う。
 気持ちを落ち着かせながら手の甲で目を擦っていると、事情が分からないながらも駆け寄ってきた香雪に抱きしめられたのだった。

「俺が出掛けている間に何があったんだよ。みんなして桃を虐めて、こんなに泣かせて……」
「ち、ちがいますっ……! 私が勝手に泣いているだけで……海石榴ちゃんもその鬼の人も関係ないです……」
「関係ないわけあるか! ほら、どこが痛い? 俺が妖力で治してやるから、な?」

 掌で桃花の頬を包んだ香雪が残った涙を唇で吸い取ってくれる。涙筋にまで舌を這わされて、桃花は「ひゃぁ!?」と悲鳴に似た声と共に香雪を突き飛ばしてしまう。

「どこも怪我していません! 他の人が見ている前で恥ずかしいです!!」
「他の奴らって……どっちも身内だから大丈夫だって。なぁ?」

 香雪に話を振られた二人を見れば、海石榴は嬉しそうにニコニコと笑い、対して鈴振は眼鏡を押さえながら真っ赤になった顔を明後日の方向に向けていた。前者は良いとして、後者はとても大丈夫とは思えない。
 やがて鈴振は大きく咳払いをすると、わざとらしく眼鏡の位置を直したのだった。

「そろそろ教えていただけますか。そちらの女人はどなたでしょうか。()()
「なんだ。自己紹介もまだしてなかったのか。こいつの名前は桃花。狩谷家から嫁いだ俺の自慢の花妻だ」
「兄者の伴侶!? それも狩谷の娘ですか!?」

 穴が開くほどに桃花を凝視した鈴振だったが、やがて困惑の表情を浮かべる。

「よりにもよって、どうして狩谷の娘を娶るのですか!? 私たちはあの一族に海石榴を奪われた復讐を企てていたはずです! 宿敵の娘を選ぶなど、一体どのような風の吹き回しですか!?」
「どうしてと聞かれても……誰かを好きになるのに理由が必要なのか?」
「それは……」

 すっかり鈴振が香雪に言いくるめられる形となったところで、「あの……」と桃花がおずおずと話しを切り出す。

「おふたり……いえ、海石榴ちゃんを含めて、三人はどういった関係なんでしょうか?」
「紹介するよ。こいつは鈴振。俺の弟で、海石榴の兄。今は鬼の一族をまとめる頭目の役割を担っている」
「弟で兄ということは、三人は兄弟なんですか?」
「そうだ。俺たち三人は同じ日に同じ親から産まれた。まあ三つ子って奴だな」
「三つ子なんですか?」
「そっ。俺が兄貴で真ん中が鈴振。一番下が海石榴だ。親父が鬼の一族を束ねる頭目で、俺と鈴は跡継ぎになるべく育てられたってわけ」

 言われて見比べれば、確かに三人はよく似ていた。香雪と鈴振は髪色や服装が違うだけで、ほとんど同じ顔形をしており、海石榴にも二人の兄と同じ要素を感じられた。
 桃花と下の弟妹たちは腹違いということもあり、ほとんど似てなかった。同じ母親から生まれた弟妹は顔や雰囲気、好みが似通っているだけではなく、癖まで同じだった。不義の子として嫌われていることに加えて、家族と違う自分だけ異質な存在に思えてしまい、あの家での桃花はますます疎外されているような気がしてならなかった。

「親父が身罷って狩谷家に封印されるまでは俺が頭目だったけど、今は鈴が頭目の任についている。元より自由人な俺よりも根っからの役人肌な鈴の方が頭目に適してるから、鈴が頭目を継いでくれて鬼の一族も安泰だろうさ」
「頭目に相応しいのは私ではなく兄者の方です。前頭目である親父殿の長兄なのですから。封印から目覚めた以上は、早く頭目の座に戻ってください」
「嫌だよ。俺はこの茶館を経営しつつ、桃や海石榴と一緒に余生を謳歌するんだ。『角なし』の俺より、よほどお前の方が頭目に相応しい」
「『角なし』であったとしても、兄者には他のどの鬼も敵わない稀有な妖力を持っています。貴方以上に頭目に相応しい人はいません」

 二人が繰り返す「角なし」が指すものに気付いた桃花は顔を曇らせる。嫌な想像が頭を過ぎり、聞かずにはいられなかった。
 
「香雪が『角なし』って呼ばれる理由って、私をあの家から連れ出すために自分の角を折ったからですか……? そのせいで香雪が不憫な目に……?」
「ちがうちがう! 桃は関係ない。狩谷家にくれてやったのはただのつけ角。俺の頭に角が無いのは生まれついてのことだから」

 触るように香雪に促されて、桃花は中腰になった香雪の赤銅色の頭に指を這わせるが、頭には角が生えていた形跡すら残っていなかった。最初から何も無かったかのような香雪の頭に目を瞬かせる。

「本当ですね……」
「鬼の中には先天的に角が生えない者が稀に存在する。そういった鬼のことを、あやかしたちは『角なしの鬼』と呼ぶんだ。俺たちが生まれた頃はまだ珍しかったが、今では生まれてくる鬼の一、二割は『角なし』だ。当然、怪我や病気で角を失う者もいるから、人工的にはもっと多いけどな」
「確か鬼の角には妖力が詰まっているんですよね。その妖力はあやかしにとっての魂みたいなものとか……。角が生えていない鬼っていうのは、妖力を生み出せないんじゃないですか。でも香雪は私の傷を治して、屋敷の結界を破りましたが……」
「『角なし』だからといって、必ずしも妖力を持っていないとは限りません」

 鈴振は眼鏡の奥から黒曜石のような目を真っ直ぐに向けてくる。

「『角なしの鬼』は大きく分けて二通りに分けられます。一つは何らかの理由で妖力を持てなかった鬼。角が生えていないことを除けば、見た目は鬼ですが、妖力を持たない以上、人間と同じように歳を重ねて、身体も老化します。対して、もう一つは生まれながらに強力な妖力を持つ鬼です。角が生えていなくても、自らの体内で妖力を生成することが出来ます。寿命も他の鬼と同じかそれ以上、身体の成長も好きな時に止められます。兄者は後者の鬼なのです」

 あやかしが持つ妖力というのは、人間が持つ精力とほぼ同じものを指す。違いがあるとすれば不可思議な幻術を使うところと、人間離れした見目麗しい姿、そして果てしなく長い寿命であるが、あやかしも決して不老不死では無い。一定の年齢に達すると身体の成長は止まるが、それでも少しずつ老いていく。
 少しでも若さと長寿を長引かせるのに必要なのが妖力だが、その妖力も生きた年数だけ少しずつ衰えていく。角からの妖力の配給が滞ると、やがて寿命は尽きてしまうが、強力な妖力を持つ『角なし』はそうしたことが無い。
 体内で生成された妖力に身体を満たされた『角なし』たちは、角による妖力の制御が無い分、自由に妖力を使用できる。身体の成長や老化の操作に限らず、永遠に近い寿命を生きることも可能であるが、その代わり妖力の使用に制約が無いため、一歩間違えれば力の使い過ぎで命を落とすこともある。
 自分で生み出せる妖力の許容範囲を超えた場合、角を失った鬼と同じように『角なし』も霞のように消えてしまう。体内で妖力を生み出せると言っても、一度に生み出せる量には限界がある。それを超えてしまうと、たとえ強力と呼ばれる『角なし』であってもひとたまりもない。
 そんな『角なしの鬼』にとっての妖力の使用というのは、まさに自分の命と引き換えになる諸刃の剣と言えるだろう。