初めて託された家宝は重かった。まるで人一人宿っているかのように。
それでも地面に置くわけにはいかなかった。ようやく家族の一員として父に認められたのだから――。
(もう少し……!)
まだ冬の気配が残る白月に目を焼かれそうになりながら、桃花は手近に落ちていた石を投げる。鬼を封じていたという松の大木を擦り抜けた投石はそのまま繁みの中へと消えると、闇夜に紛れて影も形も見えなくなったのだった。
肩で息をしながら、腰に佩いた家宝の妖刀の位置を直そうとしたところで、桃花は自分の掌に血が滲んでいることに気付く。尖った石の先で切ってしまったに違いない。
(冬場の水仕事ですっかり手荒れしていたから、余計に傷がつきやすいのかも……)
そんなことを考えながら、桃花は擦り切れて色褪せた海老茶色の紬の袖で掌を乱暴に拭うと、妖刀の柄が汚れてしまわないように古びた手拭いで傷口を縛る。
(今度こそ……!)
桃花の制球力に問題があるのか、それともこの方法が正しいのか考える余地はない。家長である父の命令は絶対。特に鬼狩りについて、父の右に出る者はいないのだから。
先程よりも大きな石を拾って腕を振り上げた桃花だったが、その弾みで足を取られて身体が傾いでしまう。後ろに転倒することを覚悟して目を瞑った時、後ろから頭上の石と腰を支えられたのだった。
「さっきから何をやっている」
近くから聞こえてきた低い声に顔を上げると、白い月明かりを背に受けながら桃花を見下ろす鼻梁の整った男の姿があった。
桃花より少し年上と思しき若い男は均整が取れた容姿に加えて、仕立ての良さそうな赤茶色の着流しと黒色の羽織を身に纏っていた。一見すると遊び人のような格好ではあるが、とりわけ桃花が目を奪われたのは珍しい赤錆色の短髪と――その頭から生える黒い一本の角であった。
「お、に……」
「鬼が珍しいか、人間?」
鬼に対する物珍しさよりも男の凄艶さに言葉を失う。あやかしは人間の美しさを超越すると噂で聞いていたが、まさかここまで絶美とは思わなかった。初めて感じる肌が粟立つような感覚に目が潤みかける。
白月を背に受けているからか、鬼の男が持つ優美さと妖艶さが増しているような気さえして、取り憑かれたように男に吸い寄せられる。背筋が冷たくなりながらもまじまじと見つめ返していると、男の切れ長の黒い瞳に呆けた顔の桃花が映る。どこか高貴な雰囲気を纏う男とは違って、下賤な生まれと揶揄されて家族に小間使いとして扱われてきた薄汚い貧相な顔の桃花が――。
膝が震えて今にも崩れ落ちそうになっていると、不意に男が自信に満ちた笑みを浮かべる。何をされるのか息を呑んで見守っていると、男の指が桃花の腰を撫でたのだった。
「どうした? 俺を狩りに来たのだろう。それとも俺に惚れたか?」
「……っ! ち、ちがっ!」
男はますます桃花の耳元に顔を近づけると、誘惑するように甘言を囁く。
「そう恥ずかしがることもない。ここには俺とお前しかいない。惚れた鬼にとくと触れるといい……」
呼吸さえ忘れて男の腕の中で身動きが取れなくなっていると、いつの間にか腰に触れていた男の手が妖刀の柄に伸びていた。咄嗟に手を払いのけると、男を突き飛ばして距離を取る。
「ちっ! 失敗したか。もう少しでその妖刀を回収できたんだけどな……」
不愉快そうに舌打ちする男の姿から、どうやら先程までの甘い言葉の数々は桃花を油断させて妖刀を奪うための演技だったと気付かされる。桃花が夢見心地の少女のままだったら、危うく引っ掛かるところだった。
――本当にあの家から自分を救い出してくれるんじゃないかと。夢を見そうになった。
それでも地面に置くわけにはいかなかった。ようやく家族の一員として父に認められたのだから――。
(もう少し……!)
まだ冬の気配が残る白月に目を焼かれそうになりながら、桃花は手近に落ちていた石を投げる。鬼を封じていたという松の大木を擦り抜けた投石はそのまま繁みの中へと消えると、闇夜に紛れて影も形も見えなくなったのだった。
肩で息をしながら、腰に佩いた家宝の妖刀の位置を直そうとしたところで、桃花は自分の掌に血が滲んでいることに気付く。尖った石の先で切ってしまったに違いない。
(冬場の水仕事ですっかり手荒れしていたから、余計に傷がつきやすいのかも……)
そんなことを考えながら、桃花は擦り切れて色褪せた海老茶色の紬の袖で掌を乱暴に拭うと、妖刀の柄が汚れてしまわないように古びた手拭いで傷口を縛る。
(今度こそ……!)
桃花の制球力に問題があるのか、それともこの方法が正しいのか考える余地はない。家長である父の命令は絶対。特に鬼狩りについて、父の右に出る者はいないのだから。
先程よりも大きな石を拾って腕を振り上げた桃花だったが、その弾みで足を取られて身体が傾いでしまう。後ろに転倒することを覚悟して目を瞑った時、後ろから頭上の石と腰を支えられたのだった。
「さっきから何をやっている」
近くから聞こえてきた低い声に顔を上げると、白い月明かりを背に受けながら桃花を見下ろす鼻梁の整った男の姿があった。
桃花より少し年上と思しき若い男は均整が取れた容姿に加えて、仕立ての良さそうな赤茶色の着流しと黒色の羽織を身に纏っていた。一見すると遊び人のような格好ではあるが、とりわけ桃花が目を奪われたのは珍しい赤錆色の短髪と――その頭から生える黒い一本の角であった。
「お、に……」
「鬼が珍しいか、人間?」
鬼に対する物珍しさよりも男の凄艶さに言葉を失う。あやかしは人間の美しさを超越すると噂で聞いていたが、まさかここまで絶美とは思わなかった。初めて感じる肌が粟立つような感覚に目が潤みかける。
白月を背に受けているからか、鬼の男が持つ優美さと妖艶さが増しているような気さえして、取り憑かれたように男に吸い寄せられる。背筋が冷たくなりながらもまじまじと見つめ返していると、男の切れ長の黒い瞳に呆けた顔の桃花が映る。どこか高貴な雰囲気を纏う男とは違って、下賤な生まれと揶揄されて家族に小間使いとして扱われてきた薄汚い貧相な顔の桃花が――。
膝が震えて今にも崩れ落ちそうになっていると、不意に男が自信に満ちた笑みを浮かべる。何をされるのか息を呑んで見守っていると、男の指が桃花の腰を撫でたのだった。
「どうした? 俺を狩りに来たのだろう。それとも俺に惚れたか?」
「……っ! ち、ちがっ!」
男はますます桃花の耳元に顔を近づけると、誘惑するように甘言を囁く。
「そう恥ずかしがることもない。ここには俺とお前しかいない。惚れた鬼にとくと触れるといい……」
呼吸さえ忘れて男の腕の中で身動きが取れなくなっていると、いつの間にか腰に触れていた男の手が妖刀の柄に伸びていた。咄嗟に手を払いのけると、男を突き飛ばして距離を取る。
「ちっ! 失敗したか。もう少しでその妖刀を回収できたんだけどな……」
不愉快そうに舌打ちする男の姿から、どうやら先程までの甘い言葉の数々は桃花を油断させて妖刀を奪うための演技だったと気付かされる。桃花が夢見心地の少女のままだったら、危うく引っ掛かるところだった。
――本当にあの家から自分を救い出してくれるんじゃないかと。夢を見そうになった。



