男子校の女王は、冴えない鏡に暴かれる


──主人公はどこにでもいる、ごく普通の青年「A」である。

「A」は時々、同じ夢を見る。
美しい「女王」の夢だ。彼女はいつも、違う国で、違う言葉の、違う時代の服装を身にまとっている。
十二単だったり、ロココ調の華美なドレスであったり、あるいは黒い喪服のドレスだったり。

けれど彼女の赤い口紅と、濡れた烏の羽のような黒髪は変わらず輝き続ける。多くの人々がそんな「女王」に恋をし、魅了される。

青年「A」は夢を繰り返し見る内に、「女王」は自分の前世なのではないか……と思うようになる。
「A」が口元を右手で覆えば、「女王」もまた同じ動作をする。
涼やかな目元も、花開く薔薇の唇も、生々しいほど「青年」の身体感覚とリンクするのだ。

そう思うと、途端に「A」は、夢の中の「恋人」に会いたくなる。

「女王」の「恋人」もまた、違う国、違う言葉、違う時代の服を着て、「女王」に熱烈な愛の告白をするのだ。
彼女は冷ややかな目で「恋人」を見つめているが、「女王」自身でもある「A」には、彼女もまた恋人を愛してやまないことを知る。

「女王」は今すぐにでも「恋人」を抱きしめたいと思いながら、謎めいた言葉を夢の終わりに呟く。

「あなたの愛が本当ならば、1000年後のこの場所で必ず私に会いに来て下さい。私はその時、初めてあなたのものになりますから」と……。




「意味がまっっったくわからん」

放課後の体育館。パイプ椅子の背もたれにもたれかかり、台本を眺めながら、俺は呟いた。

学園祭での演劇部の舞台は『鏡の中のあなたへ』という抽象的で意味深なタイトルだった。まずそこから小難しそうで、俺は眉間に皺を寄せていた。

脚本家兼演出家の竹中イズルは、俺の不機嫌そうな反応に、目を丸くし、慌てた口調で問うた。

「な、何が分からないんだ、黒鵜凛?!君にはこの青年「A」の夢の中の「女王」を演じてほしいんだが……」

「俺が美しい女王を演じるのは当然だ。それぐらい分かる」
 
俺はビシッと人差し指をイズルに向け、答えた。

「結局「青年A」と「女王」は同一人物なのか?前世とかややこしいな。大体、なんで「女王」と「恋人」は愛し合ってるのにわざわざ千年後に会うんだよ。意味分からなすぎだろ」

「そ、それはつまり、「女王」はメタファーなんだ、その」

「すみません。凛ちゃん、『ももたろう』で読解力止まってるんで」

「おい!雪峰!お前はさっさと帰れよ!お前は呼ばれてないだろ!」

保護者のようにペコペコと謝る雪峰に俺は怒鳴った。俺の癇癪に慣れっこな雪峰は平然と「だって心配なんだもん、凛ちゃんのこと」と言ってのける。「心配」じゃなくて「面白そう」だろ。なにせ……

「イズルくん、僕の台詞がないんですが」

台本を読みながら坂崎が淡々と問うた。眼鏡も外した素顔なくせに、やっぱり何の感情も読み取れない。

竹中イズルは坂崎の質問にニヤリと笑って答えた。

「この台本はまだ制作中でね。なに、お前のアドリブを見て後から書けばいいだろう」

「悪趣味ですね、相変わらず」

坂崎がチラリと周囲に目を向けた。

「わざわざ昼休みに僕らに声をかけたのも、注目を集めてギャラリーを呼び込むためですか」

体育館の舞台に上がる俺たちを一目見ようと、暇な生徒たちがスマホ片手に集まっていた。竹中は台本の表紙をトントンと叩きながら、声を張り上げた。

「今のトレンドは『男子高の女王』と『元天才子役』だからな。集客するためにも必要なデモンストレーションだった訳だ。さぁ、始めよう。台本を持ちながらで構わない。今日は立ち位置や雰囲気を押さえてほしい」

坂崎はイズルのやり方に慣れているのか、それ以上は何も言わなかった。台本をパイプ椅子に置き、舞台に上がっていく。

(お手並み拝見──ってとこだな)

俺もその後ろ姿を睨みつけながら、壇上にあがった。



舞台には赤いソファが一つだけ置かれている。演劇部の生徒に、そこへ横になり、上体だけ起こして観客を見るよう指示された。テレビでも見るかのようなくつろいだ姿勢だが、舞台ともなると落ち着かない。スポットライトがパッと俺にだけ当たり、思わず目を細めた。

さっき渡されたばかりの台本にはここで「青年A」役のナレーションが入ると書いてあった。地味な男子生徒が前にすすみ、よく通る声で話し始めた。

「最近、夢を見るんだ。濡れた烏の羽のような黒髪。赤々とした薔薇の唇。この世のものとも思えない、絶世の美女。いつの時代にも、どこの国にも現れる彼女を、けれど俺はけっして捕まえることはできない──何故なら彼女は俺の前世、なのだから。」

さすが演劇部だ。淀みなく長ったらしい台詞を言ってのける。さて、次は俺の出番だ。今日は初日だ。台詞を言うタイミングの確認さえできればいいだろう。俺は台本のページを開き、台詞を読み始めた。

「わたしはいつの時代にも、どこの国にも現れる……女王。昨日は東の国で和歌を詠み、明日は西の海岸線から船乗りたちを……見送りました」

たどたどしく、一応読んではいるが、やっぱり訳が分からない。観客たちも、突拍子もないシーンに困惑し、退屈したような顔をしてる。

スポットライトの光の中に坂崎がすっと現れ、膝をついた。俺の前でお辞儀をし、膝を屈して崇拝のポーズをとる坂崎に、演技とは言え、俺はほくそえむ。台本を横目で確認し、俺は続けた。

「私を欲する人は何百人、何千人といたけれど、移りゆく私を追いかけてくる人はあなただけ。さぁ……えっと、今日もいと……愛しい……あなたからの激しい……愛の……愛の……」

言いながら、沸騰したポットのように、顔が熱くなる。舞台の下で雪峰が「あちゃー」って顔をしてるが、台本を投げて俺は叫んだ。

「言えるか!こんな恥ずかしい台詞!馬鹿!」

「おい!まだ序盤も序盤だぞ!」

竹中イズルも怒りを顕に絶叫した。

「台詞を暗記しろとは言わないが、せめて世界観を理解する努力はしてくれ!演技初心者とは知っていたがこんなにひどいとは思わなかったぞ!」

「理解もなにも言えるか、こんな愛だのなんだの小っ恥ずかしい台詞!」

「観客をうっとりさせる重要なシーンなんだ!せっかく美しい君をキャスティングしたのに……これじゃお遊戯会のほうがまだマシだ!」

「な、なんだと!うぅ……うるさい!」

雪峰にも同じことを言われた気がする。毛並みを逆立てる猫のように、竹中イズルと罵りあっていると、俺の足元で跪く坂崎が、めんどくさそうに顔をあげた。
盛大なため息をつきながら、イズルも坂崎を見た。

「まずは台詞の言い方からだな。坂崎、お前のパートからやっていこう。手本を見せてくれ」

ハナからダメ出しを受けたうえに、坂崎の演技を手本にしろと言われ、俺の不快指数は更に高まった。しかし、だ。どうせこいつも「子役」から「何者」にもなれなかった──本人曰く、「終わった人間」なのだ。ブランク10年では、俺と大差ないはずだ。ましてイズルの「悪趣味」のせいでこいつの台詞はこいつが作り上げなければいけないのだ。愛だの恋だの、こんな鉄面皮の男にできるはずが。

空気が変わった。

首筋がチリッとざわついた。鳥肌だ。坂崎が俺を見てる。灰色がかった目が潤んでいる。制服姿で跪いたまま、表情だけがまったく別人で、まるで、まるで。

「愛しい人よ」

ヴァイオリンが奏でるソナタのように、ゆっくりと悲しげな低い声が、しんと静まり変える体育館に響いた。

「あなたは夏の夜明けに咲く花。冬の光に照らされた霜柱。秋には南国へ飛び去り、春には東の国の歌を追いかけてしまう。あぁ、どうしたら」

坂崎がその両腕を俺の足元へ向けた。指一本も触れていないが、なぞるように俺の足から上へ上がっていく動きに俺は、体を強張らせる。まるで石像にでもなったみたいだ。この男の声、指、それに目に囚われてしまう。

すっと、前に体を動かし、俺の顔へ坂崎の両腕が向けられた。苦しそうに眉を寄せ、漏れたため息さえも耳に熱く届いた。その吐息に胸が高鳴る。あえて触れてこない男の腕をとって、抱きしめてほしいとさえ願ってしまう。

俺だけじゃない。この場にいる観客全員が今、同じことを「思わされて」いる。

そんなはずないのに。この男は──今、俺に恋をしているのだと。

「どうしたら、あなたは僕のものになってくれるんですか。あなたを恋い慕う心臓はとうにあなたのものだというのに」

坂崎がすっと目を細めた。一瞬だけ「恋人」から「坂崎」の顔に戻り、俺はハッとする。次は俺のセリフだと言いたいのだろう。俺はしどろもどろになりながら、この場面の決めゼリフを口にした。

「あ、あなたの愛が本当ならば、1000年後の……この場所で必ず私に会いに来て下さい。……私はその時、初めて……あなたのものになりますから」

坂崎の、いや「恋人」の顔が苦痛に歪む。1000年とは無理難題だ。命をもって愛を証明しろとは、なんて残酷なやり方だろう。そう言いたげだ。

だが、男は悲しげに笑った。俺の我儘でさえ、愛おしそうに。

「必ず会いにいきましょう、残酷な女王よ。あなたが時と国を超え、やがて姿形を変えたとしても必ずあなたを見つけます。

──私はとっくにあなたの思うがままなのだから」

坂崎の指がそっと俺の顎にかかる。灰色がかった瞳が優しい熱を帯びていて、その瞳から目が離せない。花びらに触れるようにそっと柔らかく、俺の唇をかさついた男の指がなぞり、そして。

「その時、思った。俺はこの男を待ち続けなければいけない。1000年後の未来に待つと、恋しい男にそう約束したのだから」

先程の「青年A」役の生徒のナレーションが響いた。俺は肩をビクッと動かしたが、坂崎の大きな手がそれをそっと押さえた。

舞台の明かりがすべてつくまで、体育館は余韻に包まれたように静かだった。

「ブラボー!坂崎!やっぱりお前、さすがだな!素晴らしい!」

イズルの合図で、坂崎が俺の肩から手を離す。さっきまで愛を囁いていた相手を、観察するように冷ややかな目で見下ろしている。

周囲のざわつきも戻ってきた。聞きたくなくてもわかる。誰がすごくて、誰に失望したのか。自分が一番思い知らされていた。俺は胸をギュッと押さえた。

「たかが学園祭の演目だと思わないでほしいんだ、黒鵜凛」

イズルの労るような声が、穏やかに響いた。

「坂崎ほどうまくやれとは言わない。そんなのは素人には無理だ。……だが、そうだな。コツを言うなら、キャラクターを理解してほしい。女王がどんな人物で、何を思っているのかを読み込んでほしい」

今日は流れを見てもらえればいいから、とそう励ますイズルの声が優しくて、かえって無性に悔しさが募った。

「なんだよ……それ……」

出来る訳ないだろ、とは言えず、俺の声は弱々しく消えた。他人のことなんか、一度だって考えた事なかった。幼い俺を溺愛し、可愛がる両親。俺に愛を告げる女子生徒たち。俺の顔を称賛する有象無象の奴ら。どんな顔で、何を思っていたかなんて、そんなこと、考える必要なかった。

「僕は黒鵜くんのことならわかりますよ」

ギャラリーたちが撤退し、運動部たちが練習の準備をし始めた体育館で、坂崎が口を開いた。

「黒鵜くんは自分の美しさを誇りに思っていて、それを維持しようと努力しています。美しさに自信があって全ての人間が自分の美しさにひれ伏すと自負している。まさにこの女王そのものですね」

灰色がかった目が、俺の本質を見抜いているように細められる。

こいつの才能に支配されたままの俺は、指一つ動かせず、ただ呆然とすることしかできない。

あの圧倒的な坂崎の演技を前に、俺の鏡にヒビが入ってしまった。その鏡の前に立つと、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。

(黒鵜くん、あなたは美しいですよ。だけど)

いつか見た夢のように、坂崎が低く囁く。

絶世の美を誇る女王を、自分だと思いこむ「青年A」。

見せかけの幻を自分のものだと思い込む虚無こそ、お前の本性だと、坂崎の目が俺に告げていた。