毒リンゴは、時間をかけて煮詰めれば煮詰めるほど魅惑的な味になっていく。
「なぁ、慎太郎。今日の昼メシ、一緒に食わないか?」
登校早々、俺はクラスメイトたちの前で、わざとらしく甘い声を出し、坂崎の腕を絡めとった。
先週末、成績を晒されて激昂していた女王が、その男に親しげに寄り添う。桃色に上気した頬、潤んだ瞳を全て、1人の男に向けながら。周囲の空気がざわつき、心なしか、じっとりとした嫌な眼差しが坂崎に向きはじめるのを俺は感じ取った。
坂崎は服を脱ぐように、俺の腕をゆっくり外し、めんどくさそうな顔で俺を見た。
「……急に馴れ馴れしいですね、黒鵜くん」
「えー?!いいじゃん、慎太郎。俺たち、金曜日、あんなにじっくり『お勉強』した仲⋯⋯だろ?」
俺は少し背伸びをして、坂崎の耳元で囁いた。先週の放課後の密室。仏頂面の眼鏡の下で、女王から与えられる甘い囁きに、密かに胸を高鳴らせているとしたら。数学の問題なんかより、断然そっちのほうが面白い。
「勉強以外でもお前と仲良くなりたいな、って。──お前だけなんだぞ、こんなこと俺に言わせるのは」
チラッと恥じらっているような目配せをして、「お前だけ」にゆっくりと力をこめる。少し過剰演出で吐き気もするが、仕方ない。勿論、「観衆」たちへ見せつけるためにだ。
──冴えない男が女王となにかあったらしい。なにがあったんだ。いや、なんであんな奴が。
好奇心が、やがて嫉妬や嫌悪に変わるのも時間の問題だろう。俺は心の中で舌をだした。
坂崎はといえば、相変わらず感情の死んだ目で俺を見ていた。嫌がる風でもなく、かといって喜ぶ風でもない。まるで、まとわりつく羽虫を眺めるような、そんな無機質な視線だ。
ハァ、とめんどくさそうなため息が、坂崎の口から漏れた。
「勝手にしてください」
そう言い捨てると、坂崎はもう俺に用はないと言わんばかりに鞄から文庫本を取り出し、読み始めた。観客を思うがままに支配したというのに、全く動じない坂崎の態度にはカチンときてしまう。
──コイツ、俺がここまでやってんのに何とも思わないのか。
血も涙もないどころか、心臓が石でできてるのかもしれない。沸々と怒りが再燃してきたが、こんな序盤からぶち壊しては復讐もなにもあったものではない。
「⋯⋯や、ヤッター!じゃあ、天気もいいから中庭集合な!楽しみにしてるぞ、慎太郎!」
ブチギレる寸前でなんとか堪えながら、俺は明るく声を張り上げて、坂崎の肩をポンと叩いた。坂崎は全くこちらを見ない。
な、なんなんだ、コイツ、マジで。
「凛ちゃん、凛ちゃん。顔、顔ー!」
遠くから演出家よろしく、雪峰が声をかける。ハッとして俺は頬をパンパンと叩くと、雪峰の席へ逃げるように退散した。
「凛ちゃん、ダイコンすぎない?子どものお遊戯会の方が百倍マシだったよ」
「うるせぇ。看板俳優っていうだろ?俺の場合はそれだ、それ」
「⋯⋯意味ぜんぜん違うと思うんだけど」
甘ったるいストロベリー・フラペチーノを、ちゅーっと吸いながら、雪峰はちらりと坂崎を見た。
「あの人、ほんとに凛ちゃんのこと好きなの?ぜんぜん、そんな風に見えないよ」
「そこがまたアイツのややこしい所なんだよな」
俺は鼻で笑った。
「わざわざ、数学の課題っていうささやかな接点を見いだしたのに、この俺と二人きりになれた途端、あまりの美しさに怯んで、あんな態度を取っちまうんだろうな。
⋯⋯可哀想な坂崎。俺がしっかりエスコートして、それで」
あの鉄面皮のような坂崎が、頬を染め、潤んだ瞳で俺を見つめる。
「黒鵜くん、ごめんなさい。僕、君が好きで、それで⋯⋯あんなひどいことを言ってしまったんです……」
この時を、俺は待ち望んでいたのだ。巨大なメガフォンをスッと取り出した俺が、学校中に響き渡る声で喋りはじめる。
「えーー!お前、俺のこと、好きだったの?お前みたいな冴えない男が、この美しい俺を?無理矢理手に入れようと?そんな、ひどい。俺は、お前のことを友達だと思っていたのにーーー!」
「⋯⋯最低」
飲み終わったストローをガジガジと噛みながら、雪峰が軽蔑しきった顔で俺の完璧な計画を罵る。
「ポイントは、俺が直接手を下さない、ということだ。あとは愚かなアイツの思い上がりを、皆が勝手に叱責してくれるだろうよ」
「さらに最低だよ、凛ちゃん」
俺と雪峰のヒソヒソ話を他所に、坂崎は小難しそうな本のページをペラリとめくっている。その取り澄ましたような顔は今だけだぞ、と俺は不敵に笑った。
昼休みのチャイムが鳴った。それが俺にはゴングのように聞こえる。ラウンドガールが「2」と書かれたパネルを持ち上げて微笑む。仕込み始めた、毒リンゴからは怪しい臭気が漂い始めた。
そんな脳内イメージとは裏腹に、春の暖かな陽気が中庭に差し込んでいた。早いもの順のベンチも、俺がやってくると、サササッと席が全て空いてしまう。
俺のあとに「凛ちゃん1人じゃ心配だからね」と余計な世話を焼きたがる雪峰と、さらに遅れて、イヤイヤという感じで坂崎が続く。本当は、愛しい俺とのランチに胸を高鳴らせているだろうに。それもいつまで持つのやら。俺はニヤリと笑いながらベンチに座った。
「慎太郎は俺の隣な!ほら」
坂崎はうんともすんとも言わずに、俺の隣に座った。それぞれの昼食をテーブルに出す。
「……黒鵜くんはそれだけなんですか」
坂崎の眼鏡が俺のランチボックスに向く。
塩麹で味付けした、鶏むね肉のソテー。隣にはブロッコリーと大豆の、キヌアサラダが添えられている。ファッション雑誌を参考にした、俺特製の美容ランチだ。
「凛ちゃんはね、美容と健康のために毎日カロリー計算とかしてスムージーとかも作ってるんだよ。すごいよね」
「はい。そういうところは尊敬できますね」
「そういうところは」が若干引っかかるが、ようやく坂崎から褒め言葉めいたものを聞くことが出来た。しめしめ、と俺は思い、坂崎の昼食に目を向けた。
「さか、いや、慎太郎のは⋯⋯なんだこれ」
俺は思わず絶句した。ビニール袋からは、俺の彩り鮮やかなサラダが裸足で逃げ出しそうな菓子パンがいくつも出てくる。メロンパン、チョコレート、ウィンナーとマヨネーズの……糖分に、脂質に、食品添加物……カロリー計算したら失神しそうだ。
俺がたじろいでいる横で、坂崎は両手で抱えるような巨大メロンパンを一口かじった。
「よ、よく食えるな、そんなの」
「僕は黒鵜くんと違って頭を使うのでお腹が減るんです」
「なっ…!?」
「あ、このチョコビスケットパン、美味しいよね。ボクも好き」
「もし良かったら、雪峰くん、どうぞ。たくさんあるので」
「え?いいの?慎太郎くん、優しいー!じゃあ、ボクのお弁当からもとっていいよ。卵焼き、どうぞ」
坂崎は雪峰のうさぎ型のランチボックスを覗き込みながら「美味しそうですね」なんてコメントをしている。……心なしか、雪峰にはアタリが優しくないか。俺との扱いの差にイラッとしながら、俺は咳払いをした。まだまだ「作戦」はこれからなのだ。
「⋯⋯よし、そうだ。慎太郎、自撮り撮ろうぜ!初ランチ記念ってことで!」
俺はスマホを取り出し、坂崎と自分がツーショットになるよう、無理やりフレームに収めた。
美しく、完璧にセットされた俺の顔。
その隣に、野暮ったい黒縁眼鏡に、手入れのされていない重たい前髪の坂崎。
「なぁ、よく撮れたからSNSに投稿していいか?」
「いいですけど別に」
一応許可を取り、俺は早速SNSにコメントを打ち始めた。30秒もかからず、坂崎と俺のツーショットが投稿される。
『新しくできた「友達」。数学を教えてもらってるんだ。今日は初ランチ記念』
投稿してものの数分。通知が止まなくなる。
『黒鵜くんの友達、意外(笑)』
『ダサ……いや、交友関係広すぎ』
『凛さまの美しさが際立ちすぎて、隣の人がもはや風景の一部』
スマホの画面を流れる、赤の他人からの心ない揶揄やジョークめかした罵倒。坂崎を「醜いアヒル」に仕立て上げるための、俺の計算通りの反応だ。
俺は画面を坂崎に見せつけ、ニヤニヤと唇を歪めた。
「ほら、見てみろよ、慎太郎。お前、すごい評判いいぞ」
だが、坂崎は俺のスマホを一瞥しただけで、無造作にメロンパンを口に運んだ。
「画面が明るすぎて、目が疲れます」
「……それだけか?」
「はい」
メロンパンを頬袋につめて、モキュモキュッと坂崎は変な擬音をたてながら咀嚼している。こいつにはプライドというものがないのか。屈辱を感じないのか。
「凛ちゃん、やりすぎ。それに、慎太郎くんもオシャレしたらさ。……ちょっと、慎太郎くん、ごめんね」
坂崎の無関心ぶりに拍子抜けしている俺を批判しながら、雪峰がひょいと坂崎の顔を覗き込んだ。
「ほら、前髪とかあげるだけで、結構変わる……」
雪峰が唐突に手を伸ばし、坂崎の重たい前髪をぐいと持ち上げた。
「ん?」
雪峰の手が止まる。
眼鏡の奥に隠されていた、坂崎の素顔。鋭く、けれどどこか寂寥感を湛えたその瞳が、一瞬だけ露わになった。
「……離してください」
坂崎が冷たく雪峰の手を払った。その仕草はあまりに速く、そして、どこか「手慣れた」拒絶だった。
「ご、ごめん。触ったりして嫌だったよね」
「いえ、いいんです。僕こそ、すみません」
さっきの冷たい声とは一変し、前髪を元に戻しながら、穏やかな声で坂崎は雪峰に応えた。
やっぱりだ。コイツ、雪峰にはなんか甘いぞ。仮面をつけるのを忘れて、俺が睨みつけていると、坂崎が、俺へと視線を向けた。
「黒鵜くん。あなたは、僕と友達になりたいんですか。今朝からやたら絡んでくるというのはそういうことだと思ったんですが」
「んな訳……!」
言いかけて、俺は慌てて「女王」の仮面を被り直した。
「ま、まあな!慎太郎は今まであったことないタイプだし。えっと、その、もっと仲良くなりたいなーって」
もちろん、それは復讐のための嘘だ。坂崎は俺をじっと見つめた。
「そうですか。じゃあ、今度は僕の話を聞いてください」
「え?」
「今日の放課後、美術室に来てください。黒鵜くんには、僕のことを知ってほしいです」
「黒鵜くんには」をやたら、ゆっくりと言うと、坂崎は食べかけのパンを持って、のっそりと立ちあがった。



