赤く艶めく毒リンゴ。魅せられたように、白雪姫の華奢な腕がすっと伸びていく。
無垢な乙女は哀れ、魔女の罠にかかってしまう。
でも、それって本当かな。大人になったせいで、慣れ親しんだ童話をボクは疑ってしまう。
だって、ほら。
見れば見るほど美味しそうだ。きっと──心臓が止まっちゃうような、甘く痺れる恋の味がするはずだから。
日曜日のPM13時30分。駅前の人々の表情も、キラキラと眩い春の陽気のような明るさだ。
待ち合わせスポットの西口は、たくさんの人が行き交うのに、いくつかの視線が盗み見るようにボクへ向けられるのが分かる。
「ねぇ、あの子、もしかして……」
「あ、ネットで見たかも。白雪……じゃなくて、なんだっけ」
やれやれ、とボクは内心、肩をすくめる。変装用のキャップを目深に被っているのに、バレてしまった。幼なじみの「女王様」なら、きっと進んで舞台の中央に躍り出て、民衆の歓心を買いにいくんだろうけど、ボクは別に注目を浴びたいわけじゃない。
聞こえないフリをして、ボクはスマホの画面をタップする。
ボク宛てのDMは全てゴミ箱へ。マッチングアプリの「いいね」は一方通行にスライドしていく。
それでも操作する指は、深い茨の森をかき分けてしまう。
去年の冬に別れた束縛彼氏はブロック済み。
17歳の瑞々しい春、「新しい王子様」に出会う準備は整っているのに。
「──ねぇ、あの子もモデルかな。きれい」
雑踏の中からそんな囁き声が聞こえて、ボクは顔をあげた。
ボクから1メートルほど離れた隣に、その「きれいな男」が立っていた。
ノンフレームの眼鏡ごしに、切れ長の目が覗いた。水色と白の、ストライプのシャツが涼し気だ。栗毛色のふわりとした髪を春風に遊ばせて、文庫本を読んでいる。雑踏の中を立っているだけで映画のワンシーンのようだ。
「香住」
名前を呼ばれたのか、「きれいな男」が、パッと顔をあげた。さっきまでクールに本を読んでいたのに、つぼみが一斉にほころぶように笑うから、ボクは思わずどきりとする。
そんな笑顔を彼にさせたのは、短髪の、いかにもスポーツマンみたいな大男だった。黒いTシャツにチノパンのシンプルな格好。少し目つきが悪いけど、優しげな表情で彼を見つめている。
「待ったか」
「ううん、いま来たところ」
──そんなドラマみたいな台詞、リアルで聞くことあるんだ。隣で不覚にも盗み聞きしながら、ボクは思わずドキドキしてしまう。
「葉月くんちのお花屋さん、お手伝いできるの嬉しいな。今日はよろしくお願いします」
「こっちこそ助かる。──じゃ、行くか」
眼鏡の子の手荷物をさりげなく、短髪の男が持った。手慣れているのに、全然キザな感じがしない、自然な所作だった。そんな彼を、一人で待っている時よりもずっとあどけなくて、柔らかい微笑みで眼鏡の男が見つめている。
友人にしては……いや、無粋すぎる邪推はやめよう。とにかく、2人は幸せそうなのだから。
そのまま、楽しそうにお喋りを続けながら、彼等は商店街の方へ歩いていった。
(いいなぁ……今の)
思わず、うっとりとボクはため息をもらした。温かい日だまりのような余韻に包まれる。そんなボクの目の前にサッと黒い影が現れた。
「なんだ、雪峰。腑抜けた顔をして」
鎖骨を覗かせた黒ニットを着た凛ちゃんが、最高に高飛車な表情でボクを見ている。凛ちゃんこそ、あの初々しいカップルとすれ違っただろうに、なんとも思わないんだろうか……いや、視界に入れてもいないのだろう。
意地悪な顔をして笑う凛ちゃんに、さっきまでのロマンチックな気持ちが削がれてしまった。ボクはため息をついて、凛ちゃんに話をふってあげた。
「そう言う凛ちゃんは楽しそうだね。なんかあった?」
「フフフ……まぁな。最高の復讐を思いついたんだ、坂崎慎太郎への、な」
そう言いながら、凛ちゃんは禍々しい笑顔で「アイツをギッタンバッコンのボッコボコに……」と幼稚な悪役めいた台詞をブツブツ呟いている。
凛ちゃんはいつも楽しそうだ。そんな凛ちゃんのことを「美人だから」という理由ではなくて、そのシンプルな行動理念が面白くて、ボクは凛ちゃんのそばにいるのだ。
凛ちゃんは、昔から見てて飽きない。
自分のことが大好きで、四六時中、自分のことばかり考えている。今は敵とやらを見つけて不穏なことを言っているが、普段は他人への関心がほとんどない人なのだ。好意もないが、妬みも嫌悪も相手にぶつけたりしないから、まったくの悪人でもない。
ただただ鏡を見て、自分の美しさにうっとり酔いしれてる凛ちゃん。それはそれで幸福だし、羨ましいとも思う。
でも、本当は……どうなんだろ。ボクはどうしたいのかな。
柔らかい春の日差しに包まれたような、ささやかな幸福で満たされたようなあの2人が、頭に浮かんだ。
あんな王子様が──いや、短髪の彼は白馬の王子様とかけ離れていたし、きっと眼鏡の彼もそんなものは求めていないんだろう。でもきっと「彼」ではなくてはいけない。「彼」じゃなきゃあんな優しい笑顔にならない。そういうのを運命の恋っていうんだろう。
スマホをタップして、王子様だの運命だのを無機質に探す行為も、時々虚しくはなるけれど、やっぱり探さなきゃ仕方ない。
現代のお姫様は棺の中でキスを待ってちゃ始まらないのだ。
「おい!雪峰、呆けるな!お前も協力しろよ、いいな?」
凛ちゃんがギロリと睨みつけた。大きな目は迫力がすごいけれど、僕は飄々として女王陛下の圧を受け流し、眉をひそめた。
「えーやだよ。趣味悪い。凛ちゃんが勝手にやってよ。僕、その、坂なんたら君に興味ないし」
「坂崎だ!坂崎!敵の名前を間違えるな!」
女王をここまで怒らせた、眼鏡のぼやーとした彼を思い出す。ひた隠しにしていた成績を暴露されて、凛ちゃんの額に青筋が走っていた。あれは正直、可笑しかった。
でも……
(なんか、どっかで見たことある気がするんだよな、坂なんたら君……)
「そうとなったら作戦会議だ!行くぞ、雪峰!」
そう豪語すると、凛ちゃんはこっちのことなんか気にせずにどんどん先を歩いていく。
……一人で勝手に盛り上がってる凛ちゃんを見てたら、なんだか黙っていた方がいいような気がしてきた。凛ちゃんの不慣れな復讐とやらが成功しても失敗しても、なんだか、面白いものが見れそうだし。
「……もうー。しょうがないなぁ、凛ちゃんってば」
ボクの手はスマホをタタタッと軽くタップした。
美味しいアップルパイのお店が確かこの近くにあるはずだ。話を聞いてあげるふりをして、凛ちゃんに奢らせようとボクは企み始めていた。



