人は生まれてすぐに、その存在を「顔」で語られる。
「凛の目元はパパ似だねぇー。大きくていい目」
「唇はお母さんかな。きれいな形をしてるわね」
──かわいい。きれい。宝物だよ。
「ぶうぶ」とか「ワンワン」とか言えずとも、大人たちが口々に可愛がる言葉は、子どもにとってきっとたまらなく幸せに響くのだろう。
もっと褒めてほしい。もっと可愛いって認めてほしい。
そんな欲求も年を取れば限界がくるはずだった。
しかし、幼少期に大人たちから惜しみなく与えられた称賛が、俺の場合、けして身内びいきばかりではないのだと、ランドセルを背負う頃には既に分かるようになっていた。
「──凛くんはさ、好きな子とか、いるの?」
媚びる言葉、上気した頬。潤んだ瞳で俺を見つめる彼女たち。
彼女たちを見て、初めて俺は俺が何者であるかを知った。
選ぶ権利は自分が持っている。美しいが故に。
「私ね、凛くんのこと、ずっと前から──」
──好き。愛してる。夢中なの。
放課後の体育館裏や教室で告白される度に、俺はいつだって真剣に彼女たちの話を聞いてやった。
俺のことをいつから見ていて、俺のどこが好きで、俺がいかに素晴らしいのか。はにかみながら語る姿が愛おしかった。俺への愛を饒舌に語ってくれる、顔の描かれた人形たち。何度も何度も巻き戻して、リピート再生してくれさえすれば良かったのに。
──ねぇ、付き合ってくれる?
それは過度な要求だろう。「NO」を言い続けている内に、誰の好意も一切受け取らない俺への悪口が囁かれるようになる。冷血漢だの、女たらしだの、あることないこと、有象無象の罵詈雑言だ。
俺が美しいのは確かに君たちが証明してくれた。
だがなぜ、そんな俺を手に入れられると思ったのだろう。
挙句の果てには「お試しでもいいから付き合って!」などと泣き縋る不届き者まで現れ、俺は女を相手にするのに嫌気が差した。甘くて可愛い砂糖菓子たちに食傷気味になって、その結果……俺は進路を男子校に決めた。
男子校の空気は想像以上に快適だった。まず女がいない故に、面倒な色恋問題は皆無だった。そして女がいない故に、顔がいいだけでチヤホヤされた。むさ苦しい男子校の「鑑賞物」として褒めそやされるのは、かえって好都合だった。
──黒鵜って綺麗な顔してるよな。
そう、そのシンプルな称賛だけで十分なのだ。
時折、思春期の性衝動を発散させたいのか、過度なスキンシップを図ろうとする輩もいたが、俺が男であるが故に必ず躊躇いがあった。ジョークとしての振る舞い。別にそういう意味じゃない、と建前があっての口説き文句。別に誰も俺を本気でモノにしたい訳では無いのだ。それならば俺も「男子校の女王」を演じてやってもよかった。
俺は美を、皆は崇拝を。美しい相互扶助が成り立っている……はずだった。
「どこからわかりませんか、黒鵜くん」
完璧な俺の王国に土足で入り込んで、女王の名誉を衆目のもとに汚した異邦人。今もなお、礼儀も弁えず、無表情な顔で嫌な言い方をしやがる。
(黒鵜くん、昨年度補習を受けていましたね。1年生の時の試験平均値は47.3……もしかして分からないですか、数学。なら、僕が助けてあげます。今日の放課後空けておいてください)
言いたいだけ言い捨てて、勝手な約束まで突きつけたこの男。
失礼な要求を撥ねつけて、さっさと帰ってもよかった。しかし、帰りのホームルームが終わったあと、背中に坂崎の視線がじっとりと絡みついて離れなかった。
その視線を辿りながら、同情なのか、面白がってるのか分からない悪友が俺に囁いた。
「凛ちゃん、行ってきなよ。坂なんたら君も仕事なんだし。パパッとやってササッとね。じゃまた明日!」
雪峰はポンと肩を軽く叩いて軽快な足取りで帰っていった。
そして、今、俺はこの不愉快で不気味な、坂なんたら……もとい坂崎慎太郎の顔を睨みつけている。
「……たかが課題ぐらいで面倒くせぇな」
「同感です。僕も部活に行かなきゃなので早く終わらせてほしいんですけど」
「だったら」
「係の仕事なので付き合います」
だったらやめようぜ、と言いかけた言葉を、坂崎は一蹴した。俺が反抗的な目を向けつつも、全くシャープペンが動かないので察したのだろう。ハァ、と諦めたようなため息をついて、坂崎のシャープペンがサラサラと動きだした。
「ここは、この公式を使ってですね……」
坂崎が解説をしながら俺のノートを埋め始めた。出来の悪い生徒に教えるような、いや、それすらもやめて、独り言のようにブツブツと口にしながら、坂崎は俺の課題を仕上げていく。
なんだ。結局お前がやるのかよ。それならわざわざ俺の成績をみんなに暴露しないで、最初からやっとけよ。昼休みに受けた屈辱と、この無意味な時間のせいで、怒りを沸々と煮えたぎらせていたが、ふと、俺は気づいた。
(こいつ、まさか)
俺と二人っきりになりたくて、あえてこんな面倒くさいことを──。
面倒な色恋事情とは随分離れていたが、長年のモテ遍歴からして間違いない。俺の去年の成績を知り尽くしているのも、あえて皆の前で俺に恥をかかせたのも、全てのことに合点がいく。
どんな人間にも靡かない「男子校の女王」。対する自分は少し勉強ができるぐらいの冴えない男。
そうか、俺と二人きりになるためには、こんな強引な方法しかなかったのかもしれない。
そうと分かれば1時間ぐらい続いている、「こんな問題もわかんないんですか」とか「これは去年習いましたよ」とかいちいち癪に触る言動も、熱烈な愛の告白のように聞こえてきた。
「──だから、答えはこうなるんですけど、聞いてますか、黒鵜くん」
坂崎がチラリと俺を見た。その目も、心なしか、俺から歓心を得たがってる男の目に見えて、ゾクリとする。
「そうか、なるほどな」
「やっとわかりましたか」
俺は唇に指を添えて、名探偵よろしく微笑んだ。坂崎は無表情だが、それも俺への恋慕の気持ちを必死に押し隠しているのだと思うといじらしい。
「──坂崎のおかげで助かったよ。ありがとな」
俺はすっと坂崎の手に自分の手を添えた。放課後の教室。高嶺の花からの思わぬ接触。きっと身も震えるほどの喜びだろう。
だが、俺は受けた屈辱は必ず返す。それも最も残酷なやり方でだ。
「俺、こんなこと、皆には言えないけどさ。実は、今回の試験も心配なんだ。だから坂崎さえ良ければ」
長いまつげを伏せて、表情に翳りをつくる。唇をわずかに開くことで、扇情的な吐息が漏れる。普段はこんなサービス滅多にしないが、坂崎への「攻撃」だと思えば、俺は過剰な演出をし続けた。
「これからも、勉強見てほしいな。──だめか?」
トドメだ、と言わんばかりに、縋るような上目遣いで坂崎を見つめる。重たい前髪がかかって坂崎の表情はよく読み取れない。無反応。返事さえもない。俺の色気がすごすぎてショートしてしまったのだろうか。──だが、杞憂だった。
「毎週金曜日なら部活がないので、1時間ぐらいならいいですけど」
勝った。思わず勝利のガッツポーズをしたくなるが、俺は柔らかく感謝の表情を装う。
全ては女王の思うがままだ。今は余裕ぶった面を取り繕っているが、やはり立場というものをわからせねばならない。コイツに俺と付き合えるものだと誤解させて、それこそ、コイツが俺にしたように、クラスメイトたちの前で恥をかかせてやるのだ。
──黒鵜と付き合える訳ねぇだろ。なに本気にしてんだ。気持ち悪いな。
男子校という閉鎖空間で、容赦ない辛辣な言葉が坂崎に浴びせられるだろう。そんな結末が容易に予想できる。
なんなら、そんな哀れな坂崎をかばってやったっていい。女王としての品格とはそういうものなのだ。
俺は坂崎の手をギュッと両手で掴み、礼を言った。
「ありがとう、坂崎。恩に着るよ」
「いえ。お家でももう少し勉強してきてくださいね。手間が省けるので」
「はは!そうだな、頑張るよ」
そうとなれば今日はもうコイツに用はない。来週からの復讐ストーリーを練らねば。
俺は手早く荷物を鞄に仕舞うと、「じゃ、またな!」と快活に挨拶をし、教室をあとにした。
……一人、教室に残された坂崎が、俺の触れた掌を頬に当てている。
オレンジ色の夕日がやがて暗闇に溶け込んでいく。机や、椅子、坂崎本人の影もすうっと長く伸びていき、混ざり合う。
「さて、どうしようかな、どうしたら」
──黒鵜くんは壊れてくれるのかな。
そう、坂崎が意味深に呟くのも、その真意も、この時の俺が知るはずもなかった。



