(Side 黒鵜 凛)
学園祭2日目も、初日同様の晴天に恵まれた。中庭に作られた特設ステージは、男子校伝統の催しが開催され、大いに盛り上がっていた。
「レディース・アンド・ジェントルメン!ついに最後のエントリーにして最優秀候補の登場だ!我が男子高の『白雪姫』!キュートで無垢な笑顔に世界が恋をする!雪峰……爽ッ!」
やかましいMCの声と、最新のヒットソングをBGMに煽られて、われんばかりに歓声があがった。水色のカーテンがサッとあがると、『男子校の白雪姫』が甘い笑顔をギャラリーに向けながら、軽やかなステップでランウェイを歩き出した。
真っ白なシフォン生地の袖が甘やかなのに、初夏の眩しい光に晒されたオフショルダーのトップスが挑戦的だ。普通の男が着るのが困難な衣装も、雪峰の華奢なボディラインが完璧に着こなしている。ドレスではなく、真っ白なレース生地のハーフズボンとロングブーツなのが、かえってジェンダーレスな魅力を際立たせている。
ミルクティカラーの髪は、天使のようにくるくると巻かれ、とろんと甘えるような垂れ目の下には泣きぼくろがついている。
「かわいいぞー!雪峰ー!」
「雪峰くーん!こっち向いてー!」
学園祭に来場した「レディース」よりも野太い「ジェントルメン」の声援が目立つ気がする。
雪峰はランウェイで立ち止まると、意味深に観客席を見渡した。そして、ニコリと微笑むと、どこからともなく、真っ赤なリンゴを一つ取り出した。
柔らかそうな唇にそのリンゴを当てると──あぁ、食べたらダメなのに、それは──と観客が固唾を呑んだその瞬間、ちゅっと小さくキスをして、観客達にウィンクをした。
食べないよ?ビックリした?──そう言いたげに、悪戯めいた表情で、雪峰は微笑んだ。
そして、くるりとターンをすると、軽やかにランウェイを戻っていく。歩く度に、ふわりとレースの裾が揺れた。
恋の魔法にあてられて、観客達は、すっかり『白雪姫』に心を奪われてしまっていた。
「よくやるよな、アイツも」
目立つのは好きじゃない、とか、凛ちゃんの尻ぬぐいだからね、とか散々文句を言っていた割には、雪峰はノリノリだ。これじゃ、去年バズった『男子校の女王』も『白雪姫』のストーリーに塗り替えられるだろう。
「──こんなところで見てないで、舞台近くで見てあげたらいいじゃないですか」
窓辺に寄りかかってミスコンの様子を見ている俺に、冷ややかな声がかかった。
「人混みが嫌なんだよ。それに『ここ』なら、高みの見物ってのができるだろ」
「相変わらずですね、あなたも」
相変わらず、のあとは何が続くのか。つまらなそうに文庫本をめくる眼鏡姿を睨みながら、俺は「フン」と鼻を鳴らした。
美術部の展示は、いまや一人のお客もいない。みんな、ビッグイベントのミスコンを見に行っているのだ。
白いカーテンがはためく美術室に、絵の具の乾いた匂いがする。遠く聞こえる拍手や歓声、講堂から聞こえる軽音部の演奏が、かえってこの部屋の静寂を感じさせた。
昨日までは「女王」と「騎士」で舞台で対峙していた俺たちは、今、この美術室で、「暇つぶしの男子学生」と「接客する気のない美術部員」として過ごしている。長い夢の余韻が、まだ体のどこかにある。中庭の木々の葉が、風と光に揺れ動くのを見ながら、俺は坂崎に問うた。
「それより、お前の展示物は?」
本番前日、演劇部のリハーサルよりも美術部の展示へ行くのだと告げた坂崎に、俺は不安な気持ちを隠して、こう返事したのだ。
(そっか。お前、美術部もあるんだよな。忙しいな)
(はい。でもまぁ、僕の展示は……)
あの時、そうやって言葉を濁した坂崎は、表情を変えずに簡潔に答えた。
「ありません」
やっぱりな。ここの展示を見渡して、こいつの名前がついた作品は一つもなかった。俺のリアクションを待たずに、坂崎の声が淡々と続いた。
「僕は元々作業が遅いんです。その上、演劇部や黒鵜くんの個人レッスンに付き合わされてなかなか作業ができなかったんです」
「下手くその言い訳かよ」
俺は頬杖をついて、中庭を見下ろしながら、嫌味を言った。ミスコンでは、セーラー服を着た、柔道部のゴツい出場者が、雪峰をお姫様だっこして、歓声が上がっていた。太い首にしがみついて雪峰も楽しそうにはしゃいでる。なにやってんだか。
「ええ、そうですよ。こんな『落書き』しか描けてませんから」
いつの間にか近づいてきた坂崎が、スッと、1枚の紙を俺に渡した。
スケッチだ。
乱雑に描かれた、描きかけの線でもこの美術室の風景だと分かった。
中央に座る、制服姿の男。俺だ。これは──。
(……黒鵜くん、黒鵜くん。困ったな、寝ちゃったみたい。)
眠りから目覚める直前、美術部部長 竹中ユズルの、そんな声が聞こえたのを思い出す。
坂崎の描いたモノクロのラフスケッチに、あの日の赤い夕日が蘇った。
坂崎は、あの時、顔をこちらに向けずに、温度のない声で俺に呼びかけていた。
(起きましたか、黒鵜くん)
(……嘘だろ、俺、寝てた?)
(はい、よだれ垂れてますよ)
確か、そんなやりとりをしていた。あの時、坂崎の膝に置かれていた重たそうな画集。あの上で、坂崎は、このスケッチを描いていたのか。
「……俺、こんな顔で寝てるんだな」
荒い線の中に、俺の姿は丁寧で美しい筆致で描かれていた。鉛筆の濃淡が、俺の輪郭を、強く、淡く描き分けている。
この絵が上手いのか、下手なのか、俺には分からない。だが、優しい絵だ。
「あの時、どうして、この絵を描こうと思ったのか、自分でも分かりません」
坂崎の重たい前髪が、黒縁眼鏡が表情を隠している。
「でも、きっと描かせたのは、あなたなんです、黒鵜くん。あなたには、人を惹きつける輝きがあります。舞台でも、モデルでも、人々を虜にする。抗うことのできない、天性の光です」
僕にはないものです、という呟きが、中庭から響く笑い声の中、微かに聞こえた。
「──昨日のアドリブは、最後の台詞は、どういうつもりですか、黒鵜くん」
若葉の匂いが風に混じっていた。俺の手の中で、坂崎の描いたスケッチが小さく揺れた。
第3幕が始まる直前、俺は竹中イズルに、申し出たのだ。
(お前の精魂込めたこの舞台を、俺も全力で演じきる。だから……最後の幕で、アドリブの台詞を一つだけ、俺に言わせてくれ)
イズルは驚いたように目を丸くした。だが、すぐに楽しそうに、ニカッと笑った。未知の物語のページを読む子供のような顔だった。
(いいぞ、黒鵜。お前のとっておきの殺し文句を書き足してくれ。
これは俺だけの作品じゃない。
俺と、お前と、みんなで作る舞台だ。お前の台詞で、天才役者をびっくりさせてやれ)
坂崎と二人きりの美術室で、俺はゆっくりと口を開いた。
「俺だって分からねぇよ……でも」
俺は坂崎を見た。
「でも、きっと言わせたのは、お前だよ。俺は、お前のことが──」
……ダメだ。
コイツの顔を真正面にして、自分でもよくわかってないこの感情を、ぐちゃぐちゃで、恥ずかしくて、でも胸が痛くて、こんな気持ちを形にできるはずがなかった。鉄面皮みたいなヤツの無表情を前にしたら、ますます、口にキュッと鍵がかかった。
「何ですか」
坂崎が、ムッと眉間に皺を寄せた。言い訳する間も与えず、その薄い唇から冷ややかな言葉が溢れ出てきた。
「ド素人のくせに宣戦布告みたいなアドリブかましといて分からないで済ますんですか、黒鵜くんは」
「な!?」
俺の閉ざされた口が、思わず開く。天才役者で、どんな感情も演じ分けて、恋だの愛だのとスラスラ言えるくせに、コイツは察しが悪すぎだろ。
それでも……言えるわけがない。
この舞台を最後にしたいと言った坂崎に、最後ならばと伝えたかったなんて。
台詞の一つ一つに、カフェで群衆を観察したあの時に、そして、弱さを吐露した灰色の瞳に。
あの時、お前によって暴かれた思いを、口にせずにはいられなかった。
(鏡よ、鏡。世界で一番、美しいのは、あなたです)
光よりも美しい。
光を追い求める、挫折と努力こそ讃えるべきだと。
それを気づかせたのはお前なんだ。
あれは……あれは、この俺の……精一杯の、ラブレターだったのに。
「お、お前だって誤魔化しただろ!大体、人の寝顔をスケッチするなんて気色わりぃんだよ!」
「話題をそらさないで下さい。黒鵜くんこそ、少しはマシになってましたけど、表情も台詞もガチガチで、ぎこちなくて見てられなかったですよ。
なんとか僕がフォローしていたの、理解してますか?」
「……ッ!!」
一つ反論すると十にも百にも反論される。しかも表情も変えずにだ。
惚れた弱みに口ごもりながら(俺はコイツのどこが好きなのか分からなくなってきた)俺は「馬鹿!」と闇雲に叫んだ。情けない。これじゃゲームに負けて癇癪を起こす子どもだ。
椅子から立ち上がり、俺はギュッと強く拳を握った。
「お前なんか知るか!もう……俺と顔も合わせたくないんだろ!じゃあ、なんだっていい……」
その掌を、冷たい手が掴んだ。
「言ったでしょう」
坂崎の灰色の瞳が、俺を捕らえていた。魔法にかけられたように、俺は指一つ動かせない。ただ掴まれた腕の感触が、思いがけないぐらいに優しくて。
「『──私はとっくにあなたの思うがままなのだから』って」
柔らかい低音で耳元で囁かれ、真っ赤に硬直する俺を見て、坂崎は17歳の悪ガキの顔で笑った。
「なななななっ……」
「アドリブの仕返しです」
「な、何が、仕返しって」
「あんな台詞、言われたら、やめるにやめられなくなっちゃったでしょ。だから、仕返しです」
俺を泣かせたり、赤くさせたりするくせに、シレッともう冷たい無表情に戻ってやがる。
だが、その冷たい心に何か、青くて熱い焔を灯すことが出来たのなら──とりあえずは、悪くない。
仕返しの仕返しは、いつかコイツと再び舞台にあがるその時か、それとも、成績をバラされた雪辱を果たす、次の試験か。
俺は、坂崎の顔を睨みながら、不敵に笑った。
傲慢で、気高くて、光輝く女王。
お前が鏡として俺の前に立ち続けるのなら、俺も決して逃げたりはしない。
初夏の風が再び、美術部のカーテンを揺らした。
俺と坂崎の間に、白いそれがはためく。
そのカーテンにうつる2人のシルエットが、鏡のように重なるのを見て、俺は小さく笑った。
完
*読んでいただき、ありがとうございました。
ここで完結となりますが、加筆修正したり、なにか思いついた余談やスピンオフ的なものがあれば書き足したいと思います。
読んでいただき、いいねまでもらって、本当に励まされました。このお話を書けたのは読んでくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。もし、よろしかったら今後のために、ひと言感想やレビューをいただけたらとても嬉しいです。



