《side 雪峰 爽》
赤く艶めく毒リンゴ。魅せられたように、白雪姫の華奢な腕がすっと伸びていく。
無垢な乙女は哀れ、魔女の罠にかかってしまう。
でも、それって本当かな。大人になったせいで、慣れ親しんだ童話をボクは疑ってしまう。
だって、ほら。
見れば見るほど美味しそうだ。きっと──心臓が止まっちゃうような、甘く痺れる恋の味がするはずだから。
梅雨明けの、初夏の空に、パン、パン、パン、と乾いた花火の音が響きわたった。
(やっぱ、女の子が入ると空気ちがうなー……)
色めき立つ、とはまさにこのことを言うんだろうな。ボクは文字通り、お祭り騒ぎの周囲をスイスイっと進みながら、明日開催のミスコンのビラを配っていた。
むさ苦しくて、野太い声でひしめく男子校の学園祭は、この日ばかりはかえって、来客した女性客の声が華やかに彩りを添えていた。近隣の女子校や、共学の彼女たちは、男子校の学園祭が物珍しいようで、配布されたパンフレットを見ながら、楽しそうにはしゃいでいる。
「ねぇねぇ、ミスコンやるんだって!男子校のミスコン!」
「知ってる。それ、定期的にSNSでバズってない?ここの名物なんでしょ」
「黒鵜 凛くんだっけ?見た見た!すごい美人だよね?」
「あ……でも2日目にやるんだ。ざんねーん……」
「明日も来てよ。ミスコン、ボクが出るから」
「え?!」
ミスコンのチラシを見ていた三人組の女子高生たちに、ボクはにっこりと微笑みかけた。目の前の学生服を着た、あざとい系あまあま男子の(つまりボクだ)笑顔にあてられて、彼女たちの周囲に一斉にハートマークが飛び交う。
「え、え?!お……お兄さんもミスコン出るんですか!?」
「うん。今は男子高校生だけど、明日のボク、とびきりの美人に大変身するよ?来てほしいなァ……」
小首を傾げて、甘えるように彼女たちを見つめる。我ながら、アイドルとかホストとか、そういう類の仕事に向いている気がしてきた。
「行きます行きます!絶対行きます!」
「しゃ、写真いいですか!写真」
「いいよー」
女の子って素直で可愛い。ボクみたいだ。それとひきかえ、素直じゃない、厄介な幼なじみのことを思って、ボクは内心「やれやれ」と思う。心中の思いにとりあえず蓋をして、ボクは演劇部のチラシを「ついでに、さ」と彼女たちに渡した。
「コレは今日やるんだ。もし良かったら来てね。『去年のミスコン優勝者』の黒鵜くんってコが出るから。チョイ役で」
「おい……チョイ役は余計だろ。あと『去年の』に力入れすぎだ、お前は」
「……!!?」
3人組は男子高の美形トップ2を目の当たりにし、もはや言葉もでないようだ。紺色のジャージ姿で色気もなにもないのに、凛ちゃんの顔はそのダサさをねじ伏せるほど美しいのだ。
「凛ちゃん、いたんだ。舞台のほうは大丈夫なの?」
「あぁ、あと1時間後には講堂に行かなきゃだけどな。……落ち着かなくて」
気まずそうにそう言うと、凛ちゃんは視線を足下に落とした。
ボクはくるりと彼女たちに視線を戻し、「じゃ、またあとでね♡」と手を振った。若干寂しそうにしながらも、うっとりした顔で「は、はい……」と彼女たちも去っていく。
「……どうかしたの?凛ちゃん」
凛ちゃんは足下を見つめたままだった。
凛ちゃんが弱音を吐くなんて、それにこんなに大人しいなんて、珍しい。いや、初めてかもしれない。学校を休んだあの出来事でさえ、凛ちゃんはボクになにも説明しなかった。
いつもふてぶてしくて、自信で満ち溢れてて、周囲を眩い光で焼き付くすような凛ちゃん。
それが、なんだか、今日は違って見える。
「本番前で緊張してるとか?……それか、なんかあった?」
ボクは、凛ちゃんの顔を覗き込むように見た。
「ん?いや……」
凛ちゃんはボクを見て、フッと笑った。寂しそうな笑顔。でも、もう、何かを決めている表情に見えた。そして分かった。それ以上、きっと凛ちゃんはボクに何も言わない。自分の弱さを自分で乗り越えてしまう人だって、ずっと昔から知っていたから。
ボクだけは、そんな凛ちゃんの、見た目だけじゃない強さを知ってた。ずっと隣で見てきたから。
答えが返ってくるはずはないと思っていたのに、凛ちゃんの口から、思いがけない言葉が出てきた。
「ありがとな、雪峰」
「え?」
ボクの横を、客寄せの看板片手に騒ぐ一団が通り過ぎていく。やかましい騒音の中、静かな凛ちゃんの声だけがボクの耳に届いた。
「お前が昔から世話やいてくれたおかげで、なんとかやってこれたんだよな、って。そんだけだよ」
照れもせず、弱々しくもなく、かといって傲慢さもない。
凛ちゃんのキラキラした瞳がまっすぐにボクを見つめている。
全てのものを眩い光で焼き付くすような女王様。
でも、今は違う。ただの黒鵜 凛としてボクの前に立っている。
お礼なんて、凛ちゃんらしくないよ。そう軽口を叩きたいのに、ボクの口は思うように動かない。
突然、かつての教室での、凛ちゃんとのやりとりを思い出した。
(俺は俺の価値を証明するために、持って生まれた美を磨いてるんだ。お前みたいなフワフワ恋愛脳野郎に負けるはずがない)
(凛ちゃん、辛辣ー。でもさ)
好敵手でもあり、幼馴染でもあったボクは、角砂糖百個ぶん位の甘ったるい笑みを浮かべて、凛ちゃんに言ったのだ。
(恋って人を綺麗にする、って知らないの?)
凛ちゃんへの思いはとっくの昔に、宝石箱に鍵をかけて、心の奥底にしまい込んだのに。
──ズルいよ、凛ちゃん。
凛ちゃんが、ボクではない誰かのために変わっていくのが、ボクには分かった。
そのボクが凛ちゃんのために、言える言葉はなんだろう。凛ちゃんの「親友」としていられる言葉を、胸に疼く痛みとともに、そっと、形にした。
「綺麗だよ、凛ちゃん。全力を尽くして戦ってきてね」
舞台に戻ってきた、ボクの気高い女王様は、艶やかに微笑した。
「観客席の一番いいところで見とけよ、雪峰」
そう笑う凛ちゃんは、もう、いつもの憎たらしい凛ちゃんだった。
ボクをからかうように、デコピンの仕草をして、「じゃあな」とボクに背を向けて駆けてった。看板を持った着ぐるみや、風船を持って笑う女子高生達や、いろんな笑顔と色彩が安っぽく溢れる廊下で、凛ちゃんの背中がどんどん小さくなっていく。
ジャージ姿の後ろ姿なのに、去年のミスコンで着ていた漆黒の美しいドレス姿が重なった。
──赤く艶めく毒リンゴ。魅せられたように、白雪姫の華奢な腕がすっと伸びていく。
無垢な乙女は哀れ、魔女の罠にかかってしまう。
でも、ボクは違う。自らすすんで、禁断の果実に手を伸ばしたのだ。
(俺の方が可愛いのに、なんでソイツばっかりかまうんだ!)
(お前もいちいち泣いて注目を集めるのはやめろ!)
(お前、泣いてるとブサイクに見えるぞ。いいのか?)
大人顔負けのプライドと意地悪さで、不敵に笑っていた、幼稚園児の凛ちゃん。
そんな凛ちゃんが、見る者をひれ伏せ、時には猛毒のように人の心を蝕む、甘美な毒になっていった。
目が離せなかった。
幼馴染でいいから、ずっとずっと隣にいたいと思うほどに。
「……あーあ」
ボクの口から、そんなため息が漏れた。
一度その味を知ったら、きっと、どんな恋だって白々しく感じてしまうのに。
(これから先、ボクにどんな恋人が出来たって、この思いは忘れられないんだろうな)
ほんと、ズルいよ、凛ちゃん。
甘く痺れる、失恋の味に酔いしれながら、遠く離れる凛ちゃんの背中を、いつまでもボクは見ていた。



