男子校の女王は、冴えない鏡に暴かれる


午前5時のアラームが、まだ薄暗い部屋に響く。スポーツウェアに身を包み、家を出ると、群青色の空が白々と光がにじみ始めていた。生まれたての朝の空気に俺の呼吸音が溶けていく。

軽く汗を流す程度に、日課のジョギングコースを周回する。帰宅し、シャワーで汗を流して、化粧水を肌に馴染ませながら、俺はパチリと目を開けた。

艶のある黒髪。健康的な小麦色の肌。薄い唇は薔薇を溶かしたように赤い。少しつり目気味だが、扇情的なアーモンドアイの瞳。瞬きをすれば、星を散らしたようにキラキラと輝く。

──よし、今日も……いや、今日「こそ」完璧だ。

鞄の中に、やわらかくよれた台本や数冊の本を押し込みながら、フーっと深呼吸をした。カレンダーに増殖していく、赤い「✕」マークを睨みつけながら。



「ダメだダメだ!それじゃ!もう一度、最初から!」

演劇部の稽古が行われている講堂で、竹中イズルの罵声が飛んできた。周囲のジャージ姿の演劇部員たちが、同情めいた目で、怒りの矛先である俺を見つめている。

鬼演出家の特訓は3日目を迎えていた。学園祭本番まであと5日。小道具や衣装ができ始め、着々と形になり始めているのに、イズルの叱責はやまず、むしろ激化していた。勿論、演劇初心者の俺への罵詈雑言だ。毎日、カレンダーに書き殴っている赤いバツマークが今夜も1つ増えるだろう。

「休んでる間、台本の暗記はしてきたようだが、こんなんじゃ舞台には出せないぞ、黒鵜凛!どうしてくれるんだ!特に今回の劇は注目されてるのに!」

それはお前が勝手にデカデカとプロモーションしたせいだろ。

ただでさえ気の短い俺の血管は、プチンとすぐに切れた。御託をギャーギャーと並べ立てるイズルに、すかさず俺は怒鳴った。

「何がダメなんだ!はっきり言え!」

「表情も身体も仕草も硬い!硬すぎる!」

舞台で怒る俺に負けじと、小柄なイズルも声を張り上げた。

「黒鵜、君は『女王』なんだ!たおやかな優美さを動作1つ1つにこめろ!イロモノ女装大会と訳が違うんだぞ!」

「〜〜ッ!だったら最初から女に演じさせればいいだろうが!」

「ウチは男子高だろ!身も蓋もないこと言うな!」

不毛な言い争いをする俺たちを他所に、呆れたような顔の坂崎が「ハイ、皆さん、一端休憩はいりましょー」と間に入った。イズルと互いに「フン!」と顔を背けながら、俺は乱暴に座り込み、鞄の中から本を取り出す。

「わぁ、凄いね。黒鵜くん」

ブロッコリーのような天然パーマと小柄な身体は瓜二つなのに、激昂して喚いてた兄とは正反対の穏やかな笑みで、弟の竹中ユズルが声をかけてきた。ユズルの目は、俺の読んでいる付箋だらけの本に向いていた。

『演劇入門』『女形とは─男が女を演じる時』『ランウェイを歩く』……

「言っとくけど付箋貼って勉強してるのは俺じゃないぜ。これ、アイツの本だからな」

俺はクイッと顎で、水を飲む坂崎を指した。

「『焼け石に水ですけど』って失礼なこと言いながら押し付けてきたんだよ。まぁ、あと5日だから、今更こんなん読んでも意味ないかもだけどな」

「そんなことないよ!」

ユズルが両手の拳をギュッと握りしめて、力強く励ますように、言った。

「黒鵜くん、すごく良くなったよ!台詞も自然になったし、動きも滑らかになった。短期間ですごく努力したんだな、って分かるよ」

双子でも、こうも違うのだろうか。兄が鬼なら、弟は仏だ。ふっくらとした顔つきに、後光が差しているような気さえする。坂崎も冷淡なロボットみたいなヤツだし、雪峰は飄々としたいい加減なヤツだから、ユズルの純粋な優しさが身に染みる。俺は思わず、ユズルの手を取った。

「お前、ほんっ……といいヤツだな……」

「えへへ……黒鵜くんに言われると照れちゃうな」

ユズルは少し頬を赤らめながら、他の部員に何やら指示してる兄へ、視線をちらりと向けた。

「兄さんもね。あんな風に怒ってるけど、期待してるんだよ、黒鵜くんに」

「ド下手な俺が休んだせいで間に合わねぇからブチ切れてるだけだろ」

「いやいや!黒鵜くんが頑張ってるから張り切ってるんだよ。兄も去年のミスコンからのファンだもん。自分の作品に『男子高の女王』が出てくれるなんて本当に嬉しくてたまらないんだよ」

「ミスコンねぇ……」

去年優勝し、俺自身の代名詞でもあるそれを、俺は呟いた。

「今思うと、なんであんなに堂々と女装姿見せられたのか、信じられないな」

手元の本に載っている、艶やかな女形の写真を見ながら、俺は呟いた。藤の花を髪に飾り、すがるように男を見つめる遊女の艶やかさ。これが男だなんて信じられない。対して、その写真をなぞる俺の指も腕も、細くはあるが、骨ばった硬い男のそれだ。

「だって、どう見ても男の身体だもんな。そりゃ、ふざけて出場した他の男どもと比べたら、細身で女顔だから目立ったってだけなんだよ」

「うーん、そうかなぁ」

ユズルは小首を傾げた。

「僕がコンテストで黒鵜くんを見たとき、『女の子だ』とは思わなかったよ。ただ『きれいだ』って思ったんだ」

ユズルも俺が読む本に視線を落とし、静かに続けた。

「男が演じる女ってのは、なんか、こう、難しいけど、性別とか、人間を超えた、不思議な魅力があるんじゃないかな。『女の子みたいですごい』じゃなくて……もっと、不思議な感覚なんだ……うまく、言えないけど」

きっと坂崎もそうじゃないかな。

「──坂崎?」

ユズルが最後に付け足した言葉に、俺は眉を顰めた。

「うん。僕と坂崎はたまたま舞台近くにいてね。けっこう近くで黒鵜くんを見たんだ。その時の坂崎は、僕みたいに感激したり、はしゃいだりはしなかったけど、なんか、圧倒されてた。まるで、そうだね……」

ユズルは俺を見てニコッと笑った。

「ビビッときてる、っていうのかな。眩しそうに、君のこと、見つめてたな。
あんな坂崎、初めて見たよ。──フフッ。それでアイツ、なんて言ったと思う?」

(黒鵜くん、昨年度補習を受けていましたね。1年生の時の試験平均値は47.3。他の教科も似たり寄ったりですが特に数学は致命的です)

公然と俺の成績をバラしやがったのが最初の出会いだと思っていた。だが、そうじゃなかったとしたら。

(黒鵜くん。あなたは、僕と友達になりたいんですか。今朝からやたら絡んでくるというのはそういうことだと思ったんですが)

つまらなそうな顔をしていた、あの時も。

(黒鵜くんは自分の美しさを誇りに思っていて、それを維持しようと努力しています。美しさに自信があって全ての人間が自分の美しさにひれ伏すと自負している。まさにこの女王そのものですね)

初めてのリハーサルで俺を分析するように話してた時も。

(──大丈夫ですか。立てます?)

暴漢に襲われて、心配そうに俺に寄り添った時も。

(黒鵜くんはどうして……どうして逃げないんですか、自分から)

寂しげに揺れた灰色の瞳で、俺を見つめていた時も。

俺と坂崎との確執や経緯を全く知らないユズルが無邪気に続けた。

「あの坂崎がね、『ユヅルくん、僕はこういう光輝く存在になりかったんです』って言ったんだよ」
 
光輝く存在、だなんて。

全部知ってたはずだった。なのに、お前が俺のことをそんな風に見ていたなんて、知らなかった。

そして、それを知った今、ドクンッと心臓が高鳴った。

「あれ?」

ユズルが小首を傾げ、黙り込んだ俺の顔を覗き込んだ。

「えっ、うわっ!顔、赤いよ。熱中症かな!?黒鵜くん。大丈夫??」

「いや!これは、その、ちが、違う……」

否定しようとすればするほど、顔が熱くなる。胸が痛い。なんだ、これは。こんなのは知らない。これじゃ、まるで……。

「凛ちゃーん!ただいまー!疲れちゃったよーーー!」

講堂に現れた雪峰が、登場して早々に、俺に体当たりするように抱きついてきた。頬に頬を擦り寄せながら、こちらの反応を待たずに、好き勝手にしゃべり始めた。

「もー!凛ちゃんがミスコン辞退するから運営の人たち、プンプンでさぁ!しょうがないから僕が出ることにしたら、『男子高の白雪姫』だとかなんとか張り切っちゃって、なかなか解放してくんないんだもーん。可愛いって罪だよねー……あれ、凛ちゃん、おとなしいね?今日もボロカスに言われちゃった?」

雪峰も俺の顔を覗き込む。目敏い雪峰に悟られる前に、俺は慌てて顔を腕で覆った。

「な、なんでもねぇよ!」

「えっ、なになに?泣いちゃうの?ちょっとイズルくん!ウチの凛ちゃん、打たれ弱いんだから泣かせないでよ!」

「何?!コイツ、さっきまで俺に歯向かってたんだぞ!泣くわけないだろ!」

「に、兄さんも、雪峰くんも落ち着いてー!」

ぎゃあぎゃあと賑やかになる周囲と、楽しそうに笑ってる他の生徒を他所に、台本を静かに読み込んでいる坂崎が、腕の隙間からちらりと見えた。