男子校の女王は、冴えない鏡に暴かれる


《Side 黒鵜 凛》

「学園祭まで、お前は俺の演技コーチだ、坂崎」

復帰早々、華々しく啖呵を切って、俺は坂崎にそう命じた……はずだった。

しかし、坂崎に呼び出されたのは、体育館でも演劇部の部室でもなく、駅前のカフェだった。

「どういうつもりだ、お前」

ガラス窓を前に並んだ、カウンターテーブルに座り、坂崎はモグモグと、チョコレートドーナツを食べている。背の高い、ひょろりと伸びた長身の男子高校生がドーナツを一人で食べているのはだいぶ目立つ気がするが、気配の消し方でも習得しているのか、坂崎は妙に場に馴染んでいた。

「どうって演技指導ですよ。とりあえず座ってください」

俺の持ってるアイスコーヒーが、からん、と涼やかな音と共に氷を揺らした。チョコレートドーナツを食べすすめている坂崎のトレイには、まだストロベリードーナツと、ホワイトチョコのドーナツが乗っている。……コイツは本当に「演技指導」なんかする気があるのだろうか。納得できないが、言われるがまま、俺は奴の隣に座った。

「発声練習とか歩き方とか、そういうのを想像してたんだけどな」

「黒鵜くんの場合はソレ以前の問題ですから」

でかかった文句をぐっと俺は抑え込んだ。

──というか、坂崎はやっぱりおかしい奴なのかもしれない。ストーカーめいた男に襲われた俺が、あの出来事がショックで休んだとかなんとか考えて、もう少し殊勝な態度をとったりは……いや、しないんだろうな、コイツは。俺はため息をついて、冷えたコーヒーを一口飲んだ。

「で、ド素人の俺にはココが練習場ってわけかよ、大先生」

ガラス窓の向こうには、駅前の雑踏が見える。帰宅を急ぐ人、これからの約束に向かう人。初夏の装いに身を包んだ人々が、まるで大画面に映る群像劇のように動いている。

「レッスン1です、黒鵜くん」

ドーナツの輪っかのひとかけらをパクリと平らげて、淡々とした口調で坂崎は言った。

「僕が思うにあなたの弱点は『目』です。だから、まずは、他人を見る『目』を養うレッスンをします」

「……人間観察ってことか」

「はい」

坂崎の目は静かにガラスを見つめている。相変わらず、何の感情も読み取れないツラだ。

「たとえばあのベンチに座ってるあの男性、黒鵜くんはどう思いますか」

「どうって……」

俺の目は、向かいに置かれたベンチに座る、1人の男を見つける。

「2……5歳ぐらいのサラリーマンだろ。スーツ着てて……待ち合わせでもしてんだろ」

「それは外見上の情報ですね。そこから情報をつけ足していくんです。たとえば」

坂崎は人差し指をそっと空に伸ばした。

「彼は就職を機に上京し、2年目になる若い男性です。営業職の仕事にやりがいを感じつつも、最近は少し退屈を感じています。毎日会社に行き、家に帰って寝てるだけの生活。

今日は週末です。珍しく先輩からの飲みの誘いも、残業もない彼は、ふと目についたベンチに腰をかけます」

「……お前、それ、あってんのか?」

スラスラと語る坂崎の言葉に、唖然とする。見知らぬ他人を丸裸にしてるみたいだ。驚く俺に、坂崎は全く意に介さず「まさか」と答えた。

「でも、正解でなくても、黒鵜くんは『あってる』と思ったんじゃないですか?」

20代前半のまだ若い男。だが、緊張や初々しさはその表情にはない。皺のよったシャツは、多忙な一人暮らしを想像させた。ベンチに深く腰を下ろした男はスマホをスクロールさせつつ、時折、雑踏の中から、なにかを探すような視線を向ける。新しい刺激や出会いが欲しい。退屈な金曜日の夜を激変させる、何かとの遭遇を期待するように。

俺の中で、あの男が、坂崎の言う人間像として出来上がってしまった。

唖然とする俺の心を読んだのか、坂崎が説明を続ける。

「プロファイリングじゃなくていいんです。嘘でいい。ただ、観客が納得するような物語を、その人物に見いだすこと。これが今日のレッスンです。暇を見つけてやると演技の幅が広がります」

人間を観察対象でしか見てないような言い方だ。俺は体育館でのリハーサルを思い出した。

(黒鵜くんは自分の美しさを誇りに思っていて、それを維持しようと努力しています。美しさに自信があって全ての人間が自分の美しさにひれ伏すと自負している。まさにこの女王そのものですね)

自分の本質を暴かれた、と思った。あの時も、坂崎はこれと同じことをしたのだろう。

「……お前、絶対友達いないだろ」

「黒鵜くんこそ、雪峰くんぐらいしかいないでしょ」

俺の皮肉に倍以上の皮肉を返してくる。「なんだと!」と反論しかけたが、坂崎がすかさず「じゃあ、あのワンピースの女性はどうですか」と次の課題を問いかけた。俺は新たな課題に目を凝らした。

「髪が長くて……美人だ……それに、水色のワンピースが似合ってる……それから」

坂崎の指示通りに答えたいが、どうしても外見の特徴を並べ立ててしまう。眉間に皺を寄せて、ガラスを睨みつけている俺を、通りがかった通行人が訝しげに見ていく。坂崎は2つ目のドーナツに手を出した。

「僕なら、彼女は初めてのデートに浮かれている女性にしますね。前髪を何度も鏡で直してる。控えめなメイクもワンピースも清楚な感じで男受けがよさそうです」

「おい!だいぶ失礼なこと言ってるぞ、お前」

「いいんです。相手に聞こえなければ。さぁ、次のターゲットを見つけましょうか。たとえば、あの子どもはどうですか」

「はぁ?!子ども?!子どもなんかみんな同じだろうが!どれだよ!」

俺の皮肉も批判も、この鉄面皮には通じないらしい。ガラス窓に映る、名も知らぬ人々に、自分勝手な物語をつけ続ける。そんな慣れない作業をしながら、やがて、コーヒーは底をつき、3つもあったドーナツは全て空になっていった。



「レッスンその2、カラオケに行きましょう」と坂崎が言い出した時、今朝、坂崎に「演技指導しろ」と言い出したのを後悔し始めた。

「お前とカフェでお茶してカラオケなんてしたくないんだけどな、俺は」

「カラオケはいいですよ、防音ですし、ソフトクリームも食べ放題です」

「……まだ食う気かよ」

下世話な人間観察ゲームで疲れ果ててしまったが、食欲はわかない。それなのに、コイツは、ドーナツの後に食べ放題のソフトクリーム……聞いただけで胸焼けがしてくる。だがここで奴の演技指導を投げ出すわけにはいかない。ため息をつきながら、俺は坂崎の後をついていった。

カフェからしばらく歩き、雑居ビルの5階にあるカラオケボックスに俺たちは入った。

週末のカラオケは混雑していたが、運がいいのか悪いのか、一室だけ開いていた。

「1時間のご予約で、部屋番号はァ、203になりまーす」

気だるげに案内する、金髪に顔中ピアスだらけの若い店員に、思わず(バンドのベース担当で、カラオケとライブハウスでバイトを掛け持ちしている……)なんて妄想を考えてしまう。こんな妄想癖で本当に演技が上達するのだろうか。

通された「203」の部屋は、ピンク色の壁紙に、小さなソファがL字型に並んでいる。テレビには、俺の知らないアイドルが、俺の知らないアーティストにインタビューして盛り上がってる。隣の部屋から漏れ聞こえる大熱唱トタンバリンの音が、坂崎と2人で立ち尽くす居心地の悪さを更に強めていく。

「こういうとこなんだな、カラオケって」

「黒鵜くん、初めてなんですか」

「……忙しいからな。お前こそ来たことあんのか、友達いねぇのに」

「僕はよく一人で。ぼーっとするのにちょうどいいんです。ソフトクリームも食べ放題ですし」

「……あっそ」

悪い意味でブレないコイツに呆れながら、俺はソファに腰を下ろした。坂崎も座る。……何故か、同じソファの、俺の隣に。

「……何のつもりだよ」

男子高校生が2人で小さいソファに座ると、膝がくっつきそうになる。俺は思わず、後ずさった。それを逃さないように、坂崎が俺の手をつかんだ。ひんやりと骨ばった男の手に、俺の身体はビクリと揺れた。

「レッスン2です、黒鵜くん。今から1時間、僕のことを『恋人』と思って過ごしてください」

「は?!」

やっぱりコイツに演技指導なんてどうかしてた。俺の顔は恐怖と嫌悪で引きつった。しかし相変わらず坂崎の灰色の瞳は、冷淡に俺を見つめるだけだ。

「舞台の上では、観客の『目』を意識すると、動揺してしまいます。ここなら誰の目もありません。まずはこの密室で、恋人らしい視線、所作を身に着けていきましょう。問題、ないですよね?」

どう見ても大問題だろうが。顔を怒りと不快感でゆがませる俺に、坂崎の冷ややかな声が告げる。

「審査員は……そうですね、さっきの金髪のお兄さん」

ドアをちらりと一瞥する。

「彼が入ってくる時に、僕たちのことを怪しんだり、恋人だと錯覚する素振りを見せたらクリアです」

「そんなこと……ッ」

掴まれた手を振り払おうとするが、坂崎の目に反論が吸い込まれていく。この冷ややかな灰色の瞳。あの屈辱を受けた、体育館でのリハーサルを思い出した。

逃げ出すわけにはいかない。もう二度と。

こいつのいる舞台に戻ってくるのだと誓ったのだから。

一度は圧倒されたその灰色の瞳を、俺は睨みつけた。


「……簡単だろ。やってやるよ」