帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

「今、わたしのこと笑ったでしょ」
「め、滅相もございません」
 怯える女中の足元にティーカップを投げつけた百合子は、苛立ちを露わにしながらソファーに座る。

「落ち着きなさい、百合子」
 そう言いながらも義母の顔は、醜く歪んでいた。
 
 呉服屋で受けた「出入り禁止」の屈辱。
 それは帝都の社交界において『神楽坂家に見捨てられた』という事実を突きつけられたに等しい。
 噂はすぐに広まり、社交の場で見向きもされなくなるのだろう。

「くそっ、一体どうなっている!」
 青白い顔で何通もの書状を握りしめながら、権蔵がリビングにやってくる。

「あなた、どうかなさったの?」
「どうもこうもあるか! 料亭に入れなかったんだ!」
 今日は軍の上層部との会食だったのに、料亭へ出入り禁止だと言われたと、権蔵は手に持っていた書状をテーブルに叩きつけた。

「融資の相談も、すべて白紙だ!」
 銀行から届いた融資お断りの書状。
 理由はすべて『神楽坂閣下の御意向により』だ。

「ねぇ、もしかしてお姉様って、もう死んだってこと?」
「呪う前に死んだということか!」
「神楽坂閣下に殺されたんじゃないの?」
 あんな身なりで嫁ですなんて、怒るのは当然だという百合子の言葉に、「あの役立たず!」と権蔵は声を荒げる。
 
「あいつは疫病神だ」
 神楽坂家を呪い、没落させるどころか、逆にこちらが料亭も呉服屋も出入り禁止。
 これでは呪い返しを受けたのも同然。

「やはり生まれてすぐ処分するべきだった」
 権蔵の脳裏に、千歳が生まれた日の不吉な予言が蘇る。
 
『この娘が白銀の光を放つとき、斎宮は滅びる』
 占い師は確かにそう言った。
 だが、権蔵の父、つまり千歳の祖父は初孫を大切にするあまり、その占いを信じなかったのだ。
 この子は将来の帝都に必要な子だからと。

 しかたなく生かしておいたが、母親はすぐに病死。
 千歳を可愛がった祖父も、あっさり他界。
 女中との間にできた子を正妻が可愛がるはずもなく、使用人たちは呪われた子だと忌み嫌った。
 
『娘が18歳の誕生日を迎える日まで管理費を支払う』
 祖父が亡くなり、権蔵が当主の座を継いだ矢先に届いた証書には、震えが止まらなかった。
 
 千歳が生きてさえいれば金が毎年入るのならと、生かしておくことに決めた。
 千歳を物置に追いやり、18歳になるまでは。
 白銀の光がなにを差すのかはわからなかったが、薄暗い物置きならば光など通らないだろうと。
 思いもよらぬ鬼神との縁談に、可愛い百合子を差し出すわけにもいかず、どうせ18歳で死ぬならと千歳を出したが、それさえも間違いだったというのか。
 
「どうしたら良いのかしら。もう社交界に行けないなんて」
 まだ百合子の縁談も決まっていないのにと義母は溜息をつく。
 
「……そうだ、あれを使おう」
 権蔵はリビングの隠し扉の中から古い桐箱を取り出した。

「娘の弔いと偽り、夜会でこの香を焚かせてもらおう」
「なんですの? その黒いお香は」
 匂いがしないと義母は不思議そうに香を眺める。
 
「鬼を活性化させる香だと言っていた。神楽坂の内に棲む鬼が暴走すれば、いっきに失脚させられる」
 暴走直前に要人を救えば、ポイントも稼げる。
 神楽坂が再起不能になれば、混乱に乗じて自分たちの地位も上がるかもしれない。

「鳳夫人の夜会で、百合子に縁談も頼もう」
「私、若くてカッコよくて、お金持ちがいいわ」
「あぁ、最高の相手を紹介してもらおう」
 千歳の死を踏み台にしたこれ以上ない逆転劇だと、権蔵は上機嫌に笑った。

   ◇

 社交界の女帝、鳳公爵夫人主催のサロン・ド・ノワールは、帝都中の貴族の憧れだった。
 会場となる洋館の広間には、巨大なシャンデリアが輝き、優雅な弦楽四重奏の調べが密やかな囁き声を包み込んでいる。

「鳳公爵夫人の紹介で神楽坂閣下に嫁ぐ予定だった娘が、不運にも道中で急死いたしまして……本日は不手際のお詫びに参上いたしました」
 本来なら招待客しか入ることは許されない。
 だが、「神楽坂閣下の婚約者の急逝」という衝撃的な訃報は、野次馬根性に飢えた社交界において、何よりも価値のある黄金の入場券となった。