帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

 広い胸板から伝わる力強い鼓動に千歳は真っ赤な顔になる。
 鷹臣は大きな手で千歳の頬の紋章を包み込むと、しばらくしてから千歳に鬼の紋章がなくなった自分の右手を見せた。

「紋章はなくなったが、千歳に触れていたいという本能までは、消し去れなかったようだ」
 千歳は震える手で彼の右手を包み込むと、自分からその掌を左頬へと導く。

「触れていただけると、私も嬉しいです」
「ほう、積極的だな」
 言葉の真意に気づかぬ千歳が不思議そうに小首を傾げると、鷹臣は頬や首筋に優しい口づけをいくつも落とした。
 
「俺は鬼だからな。一度捕まえた獲物は、骨の髄まで愛で喰らうと決めている」
 不敵に、けれどどこか飢えたような熱を瞳に宿して笑うと、鷹臣は千歳の身体をくるりと自分の方へ向かせた。
 抗う隙など与えない強引さで引き寄せられ、重なり合う吐息。
 逃げ場を塞ぐように交わされた口づけは、深く、そして痺れるほどに甘い。

「鷹臣様?」
 鷹臣は驚く千歳を軽々と横抱きにすると、迷いのない足取りで廊下を進み、そのまま寝室へと連れ去る。
 昨日までの寒々しい絶望を塗り潰すように、鷹臣は千歳の肌や髪、魂にまで執拗なまでの愛を刻みつけていった。

「……愛している。俺を狂わせるのも、俺を人に戻すのも、千歳だけだ」
 何度も繰り返される熱い告白と、止むことのない口づけ。
 結局、幸福な熱に浮かされた千歳がとろけるような余韻から抜け出せたのは、眩しい朝日が差し込む翌朝のことだった。
 
   ◇

「こちらが参謀本部へ提出する報告書、そしてこちらが森部の記録です」
 神楽坂邸へやって来た森部は、ご確認くださいと分厚い報告書をふたつテーブルに置いた。

「参謀本部の報告書ですが、大河原元大将が千歳様を誘拐したことになっています」
 大河原は軍中央の承認を得ぬまま、私的欲望を満たすべく「古のあやかし」の封印を解かんと画策。
 その際、神楽坂大佐を従わせるため、民間人であるその妻を略取監禁し生命を盾に脅迫を行った。
 これは軍紀を著しく乱し、帝都の民を未曾有の危機に陥れた「大逆」に等しき行為である。

 水鏡についての記載が一切ない報告書をペラペラとめくりながら、鷹臣はさすがだなと森部を褒めた。

「法的に社会から抹殺されることが、大河原元大将にとっては何よりも苦痛だと思います」
 地位と名誉を重んじる方ですからと森部はにっこり微笑む。

「森部の記録は、すべて真実が書かれています」
 森部の報告書には百合子があやかしに変わったこと、班目に誘拐されたこと、班目もあやかしに変わったことはもちろん、千歳が水に紋章を映し、祈りを捧げたこともすべて記載されていた。

「……これを一日で?」
「それが仕事ですので」
 眼鏡のブリッジをクイッと上げながら、森部は事もなげに言ってみせる。
 たった一日でこんなに報告書を書かなくてはならない副隊長は大変だと、千歳はしみじみ感じた。

「班目勲大将がなぜ斎宮家にお金を振り込んでいたのか、それは大河原元大将の尋問で明らかになるでしょう」
「あ、それですが、大河原さんが班目さんの名前を借りただけだと言っていました」
 参謀本部からの振り込みにするわけにはいかず、当時、参謀本部の大将で帝都でも英雄だと名の知れた班目勲さんの名を借りたと大河原が言っていたと、千歳は二人に報告する。
 
「あと、あやかしになってしまった班目さんは、髪の色と目の色が同じだったので選んだそうです」
 他にも数人選んだが、怨嗟の香に触れた者たちは、次々にあやかしになってしまったと。

「では血のつながりがない人たちに適当に声をかけ、自分の手駒に?」
「人の人生を何だと思っている」
 手段は間違っていたが、班目はただ愛されたかっただけなのだ。
 英雄と繋がることで、彼は自分の存在価値を証明したかったのだろう。
 
「父に……斎宮家の当主に怨嗟の香を渡すように命令したのも大河原さんだと」
 水鏡のことを知る者を口封じするためだと、義母も百合子も、同じ理由だと言っていたと千歳は二人に報告した。
 
 斎宮家の人々もまた、大河原の手の平で踊らされていたに過ぎない。
 千歳から一切の味方を奪い、孤独という檻に閉じ込め、18年経ったとき「救済者」を装って現れ、完璧な「生贄」として完成させる。それが、大河原の描いたあまりに悪趣味なシナリオの全貌だった。
 
「では、あの怨嗟の香は軍が極秘裏に管理していたものを利用したということですか」
 新しく製造されたものではなくてよかったと森部は眼鏡を押し上げる。
 
「数が合わないのはいくらでも揉み消せるというわけか」
 鷹臣は呆れながら、隣で心細げに座る千歳の肩を強く抱き寄せた。
 
「軍法会議で徹底的に追及するよう手を回しておきます」
「まかせる」
 鷹臣は参謀本部用の報告書にサラッとサインをすると、森部に報告書を返却する。

「では次に」
「まだあるのか」
「えぇ。重大なご相談が」
 森部は参謀本部への報告書と森部の記録を鞄にしまうと、次の資料を取り出し鷹臣に手渡した。