帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

「恐ろしいか? これが、神楽坂の男たちが代々背負う呪いだ」
 男性の声が先ほどよりも低く、少しかすれたような声に変わる。

 熱い男性の手のひらに反応するかのように千歳の頬は冷え、身体の奥底から清らかな力が溢れ出すのを感じた。
 鏡に映った千歳の頬に浮かんだ白銀の模様が、男性の紅蓮の紋章を鎮めるかのように冷えていく。
 男性は満足げに目を細めると、千歳の耳元に熱い吐息を落とした。
 
「おまえは俺の唯一の救いだ」
 この世の誰からも必要とされなかった自分に向けられた信じられない言葉に、千歳は目を見開く。

 この痣がお役に立てる……?
 私は生きていてもいいのだと、そう仰るのですか?

 有無を言わさぬ力強さで引き寄せられると、胸板の熱が軍服越しに逞しい鼓動と共に伝わってくる。

「俺は神楽坂鷹臣。今日より、おまえの夫となる男だ」
 鷹臣は千歳の白銀の光を宿した左頬に、誓いを立てるかのように口づけを落とした。

 雪降る帝都の夜。
 鬼神の生贄として捧げられた千歳は、生まれて初めて自分の「居場所」を見つけた――。
 
    ◇

 窓から差し込む眩しい日差しで目が覚めた千歳は、肌に吸い付くような寝具に驚き、飛び起きた。

「……夢ではなかったのね」
 ここは斎宮家の隙間風が吹き込む物置とは比べ物にならないほど広くて綺麗な部屋。
 高い天井、端に寄せられた重厚なカーテン、そして微かに漂う白檀の香り。
 そして、なにげなく触れた左頬は乾燥したおしろいの感触ではなく、しっとりと吸い付くような自分の素肌だった。

「呪いではないと……」
 千歳は震える指先で頬をなぞる。
 
 もう隠さなくていいと言われたが、本当にいいのだろうか?
 子どもの頃からずっとおしろいで隠し続けてきたのに。

「千歳様、お目覚めでしょうか」
 控えめなノックの音に、千歳の肩がビクッと揺れる。

「は、はいっ」
 嫁いできた初日から寝過ごしてしまった。
 大失態に気づき、顔を真っ青に染めた千歳は、慌てて布団から飛び出した。

「申し訳ありません。すぐにお掃除を……っ」
「とんでもない」
 戸惑ったような声と共に扉が開き、数人の女中たちが入室する。
 女中たちは千歳の顔を見るなり、息をのんでその場に立ち尽くした。
 女中たちが手にした盆が、微かにカタカタと震える。
 
 しまった!
 剥き出しの左頬に気づいた千歳は、血の気が引くのを感じた。
 慌てて前髪を掻き寄せ、忌まわしい紋章を隠す。
 叱責を待ち、ぎゅっと目をつぶった千歳を余所に、女中たちは綺麗な着物を広げた。

「旦那様よりお召し替えを仰せつかっております」
 用意されたのは斎宮家で着せられていた古びた麻の着物とは比べものにならないほど美しい振袖。
 晴れ渡る冬空のような水色の生地に、銀糸で施された緻密な刺繍。
 それは義妹の百合子が誇らしげに纏っていたどの着物よりも、遥かに上質で気品に満ちていた。
 
「私にはもったいないです」
 分不相応な輝きに、千歳は後ずさりながら必死に首を振る。

「旦那様が直々に選ばれたのですよ」
「鷹臣様が……?」
 どうして、私なんかのために?
 千歳が呆然とした隙に、瞬く間に支度が整えられていく。

「あの、髪は下ろしていてはダメでしょうか……?」
「隠すなと言ったはずだ」
 背後から響いた低い声に、千歳の肩が跳ねる。
 鏡越しに視線を上げると、部屋の入り口に凛々しい軍服姿の鷹臣の姿が映った。
 鷹臣は大きな歩幅で近づくと、千歳の前髪を優しく掬い上げる。

「これほど美しいものを、なぜ隠そうとする」
 鷹臣の視線は、剥き出しになった左頬の『水鏡の紋章』に注がれていた。
 それは愛しいものを見る眼差しというより、渇いた喉を潤す水を求める飢えた獣の瞳のようだった。

「夜空に輝く星々を凝縮したような、気高く尊い輝きだ」
 鷹臣の指先が、痣の輪郭をゆっくりとなぞる。
 千歳はその熱を帯びた指の感触に背筋が震えた。

 呪いだと罵られ、家族にも疎まれたこの痕。
 このお方はこの「紋章」だけを求めているのだ。
 自分自身ではなく、頬にあるこの痣だけを。

「……っ」
 千歳は思わず肩を竦め、小さく身を縮めた。

「案外、脆いのだな」
 鷹臣の声に、先ほどまでの冷徹な陶酔とは違う、わずかな戸惑いが混じる。
 鷹臣は少しだけ表情を和らげると、拒絶されるのを拒むように、少し強引に千歳の腰を引き寄せた。

「さあ、支度ができたら街へ行くぞ」
「ま、街? この姿で……ですか?」
 おしろいも塗らず、髪で隠すこともせず、市女笠も被らずに街を歩くなんて。

「案ずるな。今日からその輝きを『呪い』と言う奴らは、この世からいなくなる」
 その強引さに、千歳は恐怖にも似た熱い高鳴りを覚えずにはいられなかった。