「森部。俺が人でいるうちに、お前の手で終わらせてくれ」
平安の世、初代・神楽坂から初代・森部が託された願いと同じ言葉。
歴代の鬼と化した神楽坂当主たちを森部が討つことができたのは、神楽坂にまだ人としての理性があったからだ。
彼らは鬼化しながらも最後まで理性を保ち続け、抵抗せずに斬られるのだと父から聞いた。
並大抵の精神力ではないのだと。
最後の瞬間、人として死ねることを誇りに思いながら彼らは消えるのだそうだ。
「あいつに、鬼の姿を見せたくない」
「それは傲慢な願いですね」
神楽坂の当主は、最期の瞬間に人であることを誇る。
だが、残された森部の一族は、友を斬った痛みを抱えて生き続けなければならない。
「古のあやかしが復活すれば、帝都は滅びるのだろう?」
「えぇ。氷穴から這い上がる振動で帝都は壊滅し、国全体が古のあやかしの冷気で氷河期に入ると、参謀本部から研究結果が出ていますね」
「古のあやかしさえ消えれば、あいつの住処は守れるな」
わずかに庭に咲いた冬の花で喜んでいた千歳に、満開の花を見せてやりたいと鷹臣は呟く。
「相打ちが一番森部の負担が少ないが」
負けることだけは許されないと、鷹臣は固く決意をした。
「……あいつの未来だけが唯一の未練だな」
「貴方のいない世界で笑うとお思いですか?」
森部の問いに鷹臣は答えないまま、壁も床も分厚い氷に覆われた道を進む。
カツンカツンと軍靴の音が反響する氷穴は最深部に近づくにつれ、肺まで凍りそうな寒さになった。
目の前に現れた扉の向こうにおそらく古のあやかしがいるのだろう。
見慣れない護符が貼り付けられた扉は千年の時を感じさせない、ここだけ世界から取り残されたような異質な空間に思えた。
「……森部の護符か?」
「森部というより、陰陽師の封印護符だと思われます」
もともと森部はただの陰陽師ですからと何でもないように言うが、千年も続く陰陽師の一族はもう森部しかいないだろう。
地鳴りのような怪異の咆哮が響き渡り、鷹臣と森部は顔を見合わせる。
「どうやら、また今度という選択肢はないようだ」
後は頼んだと、鷹臣は手袋を森部に手渡し、護符ひとつを躊躇わずに破る。
「……あぁ、もう。本当に、あなたは……」
森部は震える手で手袋を受け取ると、覚悟を決め、真ん中の護符を破り捨てた。
「ご武運を。神楽坂大佐」
副隊長として、そして千年を共にした一族の友として、ありったけの祈りを込めて名を呼ぶ。
森部は背筋を正して、かつてないほど美しく完璧な軍隊礼を捧げた。
鷹臣は振り返ることなく、片手をひらりと振って闇の中へと消えていく。
迷いの消えたその背中は、どんなあやかしよりも恐ろしく、そして誰よりも頼もしかった。
「……身勝手な方だ。昔から……」
独り残された森部は、自嘲気味に呟きながら敬礼の手を下ろす。
静寂に包まれた氷穴で繰り広げられている死闘の衝撃波だけが断続的に伝わり、森部の指先の震えは止まらなかった。
「……森部さん!」
聞こえるはずがない声に驚いた森部が振り返る。
「千歳様……なぜ? 大河原大将閣下、帝都のためとはいえ流石に」
「儂ではない。娘が自ら望んだのだよ」
そう仕向けたくせに、大河原は大げさに肩をすくめてみせる。
「さぁ、水鏡の娘よ。今こそ帝都のために封印を」
ここから施すがよいと、大河原は勝利を確信した醜い笑みを浮かべて指示を出す。
だが千歳は、大河原に向かって決意した顔を向けた。
「いいえ。私はこの奥へ行きます」
「……なんだと?」
「鷹臣様には私が必要なのです」
鬼の血を鎮められるのは自分だけだと千歳は宣言する。
「鬼もろとも古のあやかしを封じ込めろと命令しておるのだ」
「……私は軍に所属していないので、あなたの命令を聞く義務がありません」
「こ、国家反逆罪だぞ!」
大河原の怒声が氷穴に響き渡る。
だが、大河原の醜い恫喝にも千歳はまったく揺るがなかった。
「愛する人を救うことが罪だと言うのなら、私は喜んで大罪人になりましょう」
千歳は真っ直ぐに闇の奥を見据えると、迷いなく扉に手をかけた。
平安の世、初代・神楽坂から初代・森部が託された願いと同じ言葉。
歴代の鬼と化した神楽坂当主たちを森部が討つことができたのは、神楽坂にまだ人としての理性があったからだ。
彼らは鬼化しながらも最後まで理性を保ち続け、抵抗せずに斬られるのだと父から聞いた。
並大抵の精神力ではないのだと。
最後の瞬間、人として死ねることを誇りに思いながら彼らは消えるのだそうだ。
「あいつに、鬼の姿を見せたくない」
「それは傲慢な願いですね」
神楽坂の当主は、最期の瞬間に人であることを誇る。
だが、残された森部の一族は、友を斬った痛みを抱えて生き続けなければならない。
「古のあやかしが復活すれば、帝都は滅びるのだろう?」
「えぇ。氷穴から這い上がる振動で帝都は壊滅し、国全体が古のあやかしの冷気で氷河期に入ると、参謀本部から研究結果が出ていますね」
「古のあやかしさえ消えれば、あいつの住処は守れるな」
わずかに庭に咲いた冬の花で喜んでいた千歳に、満開の花を見せてやりたいと鷹臣は呟く。
「相打ちが一番森部の負担が少ないが」
負けることだけは許されないと、鷹臣は固く決意をした。
「……あいつの未来だけが唯一の未練だな」
「貴方のいない世界で笑うとお思いですか?」
森部の問いに鷹臣は答えないまま、壁も床も分厚い氷に覆われた道を進む。
カツンカツンと軍靴の音が反響する氷穴は最深部に近づくにつれ、肺まで凍りそうな寒さになった。
目の前に現れた扉の向こうにおそらく古のあやかしがいるのだろう。
見慣れない護符が貼り付けられた扉は千年の時を感じさせない、ここだけ世界から取り残されたような異質な空間に思えた。
「……森部の護符か?」
「森部というより、陰陽師の封印護符だと思われます」
もともと森部はただの陰陽師ですからと何でもないように言うが、千年も続く陰陽師の一族はもう森部しかいないだろう。
地鳴りのような怪異の咆哮が響き渡り、鷹臣と森部は顔を見合わせる。
「どうやら、また今度という選択肢はないようだ」
後は頼んだと、鷹臣は手袋を森部に手渡し、護符ひとつを躊躇わずに破る。
「……あぁ、もう。本当に、あなたは……」
森部は震える手で手袋を受け取ると、覚悟を決め、真ん中の護符を破り捨てた。
「ご武運を。神楽坂大佐」
副隊長として、そして千年を共にした一族の友として、ありったけの祈りを込めて名を呼ぶ。
森部は背筋を正して、かつてないほど美しく完璧な軍隊礼を捧げた。
鷹臣は振り返ることなく、片手をひらりと振って闇の中へと消えていく。
迷いの消えたその背中は、どんなあやかしよりも恐ろしく、そして誰よりも頼もしかった。
「……身勝手な方だ。昔から……」
独り残された森部は、自嘲気味に呟きながら敬礼の手を下ろす。
静寂に包まれた氷穴で繰り広げられている死闘の衝撃波だけが断続的に伝わり、森部の指先の震えは止まらなかった。
「……森部さん!」
聞こえるはずがない声に驚いた森部が振り返る。
「千歳様……なぜ? 大河原大将閣下、帝都のためとはいえ流石に」
「儂ではない。娘が自ら望んだのだよ」
そう仕向けたくせに、大河原は大げさに肩をすくめてみせる。
「さぁ、水鏡の娘よ。今こそ帝都のために封印を」
ここから施すがよいと、大河原は勝利を確信した醜い笑みを浮かべて指示を出す。
だが千歳は、大河原に向かって決意した顔を向けた。
「いいえ。私はこの奥へ行きます」
「……なんだと?」
「鷹臣様には私が必要なのです」
鬼の血を鎮められるのは自分だけだと千歳は宣言する。
「鬼もろとも古のあやかしを封じ込めろと命令しておるのだ」
「……私は軍に所属していないので、あなたの命令を聞く義務がありません」
「こ、国家反逆罪だぞ!」
大河原の怒声が氷穴に響き渡る。
だが、大河原の醜い恫喝にも千歳はまったく揺るがなかった。
「愛する人を救うことが罪だと言うのなら、私は喜んで大罪人になりましょう」
千歳は真っ直ぐに闇の奥を見据えると、迷いなく扉に手をかけた。



