「……たす、け……」
喉を掻きむしりながら班目がのたうち回る。
だが、森部はその惨状を振り返ることさえせず、入口から差し込む逆光を鋭く睨み据えた。
逆光の中に立つその人影は、この場に相応しくないほど上質な漆黒の外套を纏った老人だった。
首元をきっちり締めた詰襟、襟元には銀の五芒星が冷たく光っている。
「参謀本部、第五課……?」
どうしてここに? と、森部は目を見開いた。
鷹臣や森部が所属する帝国陸軍・対魔特務部隊はあやかしを狩る秘密部隊。
その最上層部が陸軍の最高意思決定機関である参謀本部の中にある第五課だ。
「また予定が狂ってしまったね」
その声が響いた瞬間、周囲の空気が一変した。
氷の冷気とは異なる、肌を刺すような禍々しい霊気が穴の中に充満する。
「……約、束……!」
「あぁ、『班目勲の息子にしてやる』という話かな」
這いずりながら手を伸ばす班目に、老人は少し長い顎髭を触りながら目を細めた。
「それは到底困難な要求だよ。君は班目勲の血を引いていないからね」
「……そ、そんな……」
班目は目を潤ませながら絶望的な表情で喉を掻きむしる。
苦しそうな班目の呻き声に耐えられなくなった千歳は、鷹臣の軍服の背中を指先が白くなるほど強く掴んだ。
「参謀本部第五課、大河原大将閣下とお見受けいたします。閣下ともあろうお方が、古のあやかしが眠るこのような禁足地へいかなる御用向きでしょうか?」
参謀本部第五課もまた秘密部隊。
前線には出ず、デスクで軍全体の指揮を執る老将が、古のあやかしが眠る最も危険な場所を訪れるはずがないと森部は大河原を訝しむ。
森部の追及は、大河原への宣戦布告でもあった。
「そこの男があまりに役立たずだから、儂が出てくるしかなかったのだよ」
大河原はやれやれと、壊れた道具でも見るような目で班目を見つめると、その冷徹な視線を鷹臣の背後に隠れる千歳へと移した。
「お嬢さん、はじめまして。君の『水鏡』の力が目覚めるのを首を長くして待っていたよ。いささか、待ちくたびれてしまったがね」
大河原は慈悲深い仮面を被った冷ややかな笑みを浮かべ、一歩、また一歩と近づいてくる。
「ようやく収穫の時を迎えたと思えば、まさか神楽坂に嫁ぐとは」
こればかりは、私の計算外だったと大河原はわざとらしく肩をすくめた。
「収穫だと?」
鷹臣の周りの空気がピリッと火花を散らす。
大河原は鷹臣の反応は想定済みだと言わんばかりの顔でさらに数歩近づき、皺だらけの手をそっと伸ばした。
「水鏡の娘よ。君を十八歳まで生かしてやったのは、この私が『お役目』を果たす日を待っていたからに他ならない」
「……お役目……?」
「そうだ。君は古のあやかしを再び封印するための尊き『生贄』なのだからね」
大河原は目を細め、獲物を品定めするような視線を鷹臣の背後から少しだけ見えている千歳に向けた。
「大河原大将閣下。記録では古のあやかしを封印したのは水鏡の巫女の『力』であり、生贄を捧げたという記述はございません」
「表向きの歴史はそうだな。真実はいつだって、無惨な犠牲の上に成り立っているものだよ」
大河原は伸ばしていた手をゆっくりと引くと、足元で今も苦しみ、息も絶え絶えになっている班目を冷たい目で見下ろす。
「話してやりたいが、どうやら時間切れのようだ」
大河原は薄気味悪い笑顔を浮かべると、外套を翻しながら入口へと戻る。
その瞬間、氷穴の入口に備え付けられた巨大な鋼鉄の扉が、地響きを立てて閉ざされた。
「……閉じ込められた?」
「あんなもの、切り裂けばいい」
冷静に答えた鷹臣はすぐに班目の異変に気付く。
「愚かな。この氷穴であやかし化だと?」
もがく班目から黒い靄が立ち上り、だんだん人の姿を失っていく。
まるで泣いているかのようなドロドロのあやかしに姿を変えた班目に、千歳はヒュッと喉を鳴らした。
喉を掻きむしりながら班目がのたうち回る。
だが、森部はその惨状を振り返ることさえせず、入口から差し込む逆光を鋭く睨み据えた。
逆光の中に立つその人影は、この場に相応しくないほど上質な漆黒の外套を纏った老人だった。
首元をきっちり締めた詰襟、襟元には銀の五芒星が冷たく光っている。
「参謀本部、第五課……?」
どうしてここに? と、森部は目を見開いた。
鷹臣や森部が所属する帝国陸軍・対魔特務部隊はあやかしを狩る秘密部隊。
その最上層部が陸軍の最高意思決定機関である参謀本部の中にある第五課だ。
「また予定が狂ってしまったね」
その声が響いた瞬間、周囲の空気が一変した。
氷の冷気とは異なる、肌を刺すような禍々しい霊気が穴の中に充満する。
「……約、束……!」
「あぁ、『班目勲の息子にしてやる』という話かな」
這いずりながら手を伸ばす班目に、老人は少し長い顎髭を触りながら目を細めた。
「それは到底困難な要求だよ。君は班目勲の血を引いていないからね」
「……そ、そんな……」
班目は目を潤ませながら絶望的な表情で喉を掻きむしる。
苦しそうな班目の呻き声に耐えられなくなった千歳は、鷹臣の軍服の背中を指先が白くなるほど強く掴んだ。
「参謀本部第五課、大河原大将閣下とお見受けいたします。閣下ともあろうお方が、古のあやかしが眠るこのような禁足地へいかなる御用向きでしょうか?」
参謀本部第五課もまた秘密部隊。
前線には出ず、デスクで軍全体の指揮を執る老将が、古のあやかしが眠る最も危険な場所を訪れるはずがないと森部は大河原を訝しむ。
森部の追及は、大河原への宣戦布告でもあった。
「そこの男があまりに役立たずだから、儂が出てくるしかなかったのだよ」
大河原はやれやれと、壊れた道具でも見るような目で班目を見つめると、その冷徹な視線を鷹臣の背後に隠れる千歳へと移した。
「お嬢さん、はじめまして。君の『水鏡』の力が目覚めるのを首を長くして待っていたよ。いささか、待ちくたびれてしまったがね」
大河原は慈悲深い仮面を被った冷ややかな笑みを浮かべ、一歩、また一歩と近づいてくる。
「ようやく収穫の時を迎えたと思えば、まさか神楽坂に嫁ぐとは」
こればかりは、私の計算外だったと大河原はわざとらしく肩をすくめた。
「収穫だと?」
鷹臣の周りの空気がピリッと火花を散らす。
大河原は鷹臣の反応は想定済みだと言わんばかりの顔でさらに数歩近づき、皺だらけの手をそっと伸ばした。
「水鏡の娘よ。君を十八歳まで生かしてやったのは、この私が『お役目』を果たす日を待っていたからに他ならない」
「……お役目……?」
「そうだ。君は古のあやかしを再び封印するための尊き『生贄』なのだからね」
大河原は目を細め、獲物を品定めするような視線を鷹臣の背後から少しだけ見えている千歳に向けた。
「大河原大将閣下。記録では古のあやかしを封印したのは水鏡の巫女の『力』であり、生贄を捧げたという記述はございません」
「表向きの歴史はそうだな。真実はいつだって、無惨な犠牲の上に成り立っているものだよ」
大河原は伸ばしていた手をゆっくりと引くと、足元で今も苦しみ、息も絶え絶えになっている班目を冷たい目で見下ろす。
「話してやりたいが、どうやら時間切れのようだ」
大河原は薄気味悪い笑顔を浮かべると、外套を翻しながら入口へと戻る。
その瞬間、氷穴の入口に備え付けられた巨大な鋼鉄の扉が、地響きを立てて閉ざされた。
「……閉じ込められた?」
「あんなもの、切り裂けばいい」
冷静に答えた鷹臣はすぐに班目の異変に気付く。
「愚かな。この氷穴であやかし化だと?」
もがく班目から黒い靄が立ち上り、だんだん人の姿を失っていく。
まるで泣いているかのようなドロドロのあやかしに姿を変えた班目に、千歳はヒュッと喉を鳴らした。



