帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

 班目勲の名で、私に金を送り続けていた人物。
 班目に偽の家系図を渡し、私を誘拐させた人物。
 
 その両者が同一人物だとしたら、自分は愛されて生かされていたのではない。
 もっと別の、誰かの大きな目的のために「保存」されていたのではないかという底知れない不安が千歳の中によぎった。

「ひとまず、ここから出ましょう」
 班目の尋問は地上に出てからだと言う森部の言葉に、鷹臣は同意する。
 
「立てるか?」
「はい」
 千歳は鷹臣の腕を支えに、ゆっくりと立ち上がろうとした。
 だが、冷え切った身体は言うことを聞かず、がくりと身体が崩れそうに。
 鷹臣の逞しい腕が千歳の腰を抱き寄せてくれたおかげで、千歳の身体は地面への逆戻りを防ぐことができた。

「鷹臣様」
 鷹臣の外套を肩に掛けられた千歳が胸元で小さく名を呼ぶと、鷹臣は「どうした?」と千歳の顔を覗き込む。
 
「助けに来てくださって、ありがとうございます」
 鷹臣は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに千歳の額に自分の額をこつんと預けた。
 吐息が触れ合うほどの距離で、鷹臣は切なげに目を細める。

「もう、片時も離したくない。おまえを腕の中に閉じ込めて、一生外には出さぬと言ったら、おまえは俺を嫌いになるか?」
 少し意地悪く囁かれた千歳は、ぽすっと鷹臣の胸元に顔を埋めた。
 
「……嫌、じゃないです。……ずっと、鷹臣様のおそばにいたいです」
 消え入りそうな声で答えると、鷹臣は満足げに千歳の髪を何度も愛おしそうに撫でる。
 背後から響いた森部の当てつけのような咳払いに、二人はようやく我に返った。
 
「空気を読め」
「神楽坂邸の寝所で思う存分どうぞ」
 冷静すぎる森部に鷹臣は溜息をつく。

「鷹臣様、早く帰りましょう」
「それは期待しているということか?」
「ち、違っ」
 林檎のように真っ赤に顔を染めながら慌てて視線を泳がせる千歳の腰を、鷹臣は逃がさないと言わんばかりにぐいっと引き寄せながら笑った。
 
「帰るのには少しばかり時間がかかる」
「出口が遠いのですか?」
「いや、ここは富士だ」
「富士?」
 義妹の百合子が「一度は避暑に訪れてみたいものだわ」と夢を語っていた、帝都から遠く離れた霊峰・富士?
 物置の隙間から、遠くに霞む白い山頂を眺めることしかできなかった千歳にとって、ここは御伽噺の中のような遠い場所だ。
 
「いつの間にこんなに遠くまで……」
「帝都からは、馬車を飛ばしても優に一日はかかる」
「では、私は一日眠っていたということでしょうか……?」
 神楽坂邸で気を失ってからの記憶がない千歳は、そんなに時間がたっていたことに驚いた。
 
「ここは富士の中でも氷穴と呼ばれる禁足地です」
 ここは、地上の喧騒が嘘のように静まり返った天然の牢獄。
 奥へ行けば、天井からは鋭利な氷柱が牙のように突き出し、壁面は幾重にも重なった氷の層に囲まれるのだと、森部は足元を照らしながら千歳に説明してくれた。
 
「これでもかなり入り口付近ですが」
 この場所でも吐き出す息は真っ白に凍り、吸い込む空気は肺の奥を突き刺すほどに冷たい。
 奥はもっと寒いのだろうと想像しただけで、千歳の身体はブルッと震えた。
 
「寒いだろうが、もう少しの辛抱だ」
 抱えてやりたいが、岩場は無理だと鷹臣は謝罪する。

「大丈夫です。真冬の物置くらいの寒さなので」
 千歳は平気だとアピールしたつもりだったのに、鷹臣のつなぐ手が強くなり、返事を失敗したのだと気付いた。

 足元は寒いが、借りた鷹臣の外套は温かい。
 つないだ手も温かい。

「屋敷に着いたら温めてやるからな」
 耳元で囁かれた千歳は二人きりの寝所、灯される蝋燭、そして今よりもずっと深く重なるであろう鷹臣の体温がよぎり、あまりの羞恥に頭から湯気が出そうなほど赤くなった。

「まずは休ませるのが先決です」
 前を行く森部が、一切振り返ることなく事務的な声で釘を刺す。
 その隣で、班目が「反吐が出る」とでも言いたげに、地面を強く蹴りながら足枷の鎖を鳴らした。
 
「班目殿、あなたはどうやってここまで千歳さんを運んだのですか?」
 班目は森部の質問には答えず、足取り重く歩いて行く。

「なぜ、この場所を選んだのですか?」
 森部の淡々とした問いは、壁に冷たく反響するだけ。
 
 班目は何も答えなかった。
 いや、答えられなかった。
 
「……が……っ」
 異変に気づいた鷹臣が、千歳を庇うように一歩前へ出る。
 突然、班目は喉を引き攣らせたように苦しみ出し、千歳の目の前で膝から崩れ落ちた。