帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

 轟音と共に、神楽坂邸の門は幾度となくあやかしの攻撃を受けた。
 裂けた牡丹色の着物をぶら下げながら狂乱の声を上げる百合子の成れの果ては、壁に爪痕を残していく。
 見えない壁に弾かれながら、あやかしは一心不乱に門を傷つけ続けた。

「そこまでだ」
 冬の空気を切り裂く、氷のように冷徹な声が響く。
 軍服を翻し、軍刀を構えた鷹臣は一瞬であやかしを塵へと変える。
 後に残ったのは、地面に落ちた無惨に破れた牡丹色の布切れだけだった。
 
 赤く腫れあがる紋章に顔を歪ませながら、鷹臣は屋敷へと駆け込む。

「千歳! 無事か? 千歳はどこだ?」
「先ほど部下の方が奥様を安全な場所へと連れて行ってくださいました」
 柱の陰で震えていた女中が鷹臣に答えると、門番も周りの者たちも頷いた。
 
「……部下?」
「軍帽を深く被っておりましたが、金ボタンの軍服を……」
 金ボタン。それは帝国陸軍において、選ばれし『対魔特務部隊』のみに許された矜持の象徴。
 鷹臣は背後に影のように控える森部を鋭く射抜いた。
 
「森部」
「配備しておりません」
 屋敷の中に隊員を入れているはずがないと、森部は冷静に否定する。

 その瞬間、鷹臣の脳裏に蛇のような執念深さを持つ男・班目の歪んだ笑みが過った。
 鷹臣の鬼の紋章が赤黒く脈打ち、愛する者を奪われた怒りが理性を焼き尽くさんとばかりに全身の血を沸騰させる。
 
「今ここで貴方が『鬼』に呑まれれば、帝都は一夜にして焦土と化します。班目の狙いは貴方の理性を奪い、自壊させることです」
 肩を掴んで制止する森部を、鷹臣は獣のような獰猛さで振り払う。
 だが、荒れ狂う鷹臣を、足元に転がっていたひとつの「竹籠」が止めた。

 籠から零れ落ちたのは折れた寒椿と、か細い水仙の花。
 おそらく、千歳が摘んだものだろう。
 鷹臣は血の気の引いた指先で、真っ白な水仙を拾い上げた。
 手折られたその花は千歳そのもののように清廉で、そして今にも消えてしまいそうなほど心細い香りを放っている。

「全隊員に告げろ。帝都の全検問を即刻封鎖。班目を逃がすな」
 鷹臣は水仙を懐に収めながら「無事でいてくれ」と祈らずにはいられなかった。

「……もっと早くいろいろな場所に連れて行ってやればよかった」
 春になったら桜を、夏の盛りには、避暑地の青い湖を。
 秋には紅葉を求めて少し遠出でもしようかと、褥で眠る千歳を見つめながら夢想をしていた。
 
「俺は、あいつの誕生日すら一度も祝ってやれぬのだな」
 不甲斐ない夫だという呟きは、軍用車の荒々しいエンジン音にかき消される。
 鷹臣は軍刀を握りしめながら、森部が運転する車へと乗りこんだ。

    ◇

 寒い。
 肌を刺すような鋭い冷気に、千歳は震えながら意識を取り戻した。
 薄暗い視界の中に、ひとりの男が影のように佇んでいる。
 千歳は己の異変に息を呑んだ。
 動けない……!
 自由を奪われた手首にザラついた麻縄が無慈悲に食い込み、うまく起き上がることができない。

「気が付いたか」
 男性は手持ち無沙汰に軍帽を弄びながら、千歳の顔を覗き込む。
 その顔はやはり帝国劇場で百合子と一緒にいたあの蛇のような眼光の男性だった。

「あなたは誰ですか?」
 千歳は震える声で問いかけ、奥歯がガチガチと鳴るのを必死に抑える。
 男は怯えきった獲物の反応を楽しむかのように、薄い唇を吊り上げニタッと笑った。

「俺は班目」
「……あ」
 以前、一度だけ鷹臣に聞かれたことがある。
 珍しい名だと思ったが、それはこの人のことだったのだ。

「聞いたことがあるようだな」
「……お名前だけ」
「そうか。まあ、無理もない。この帝都で『英雄・班目勲』の名を知らぬ者など……」
 班目は、自らの父が築き上げた輝かしい功績を、呪いの言葉のように吐き捨てた。
 だが、千歳は当惑したように瞬きを繰り返し、震える唇を開く。
 
「あの、申し訳ございません。その方は存じておりません」
「……は?」
 班目の動きはピタリと止まり、凍りついたように千歳を見つめる。
 
「鷹臣様から『班目という男を知っているか?』と問われただけで、その方はまったく……」
「知らない……? 知らないだと? この俺の父を、知らないというのか!」
 千歳の胸ぐらを掴み上げる指先に、ぎりぎりと力がこもる。

「班目勲は帝国陸軍・対魔特務部隊を作り上げた偉大な軍人だぞ」
「……無知で、申し訳ありません」
 千歳は、苦しさに喘ぎながらも静かに答えた。