帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

「ご無沙汰しております、百合子さん」
「バケモノのくせに」
 そんなドレスはもったいないと百合子は眉間に皺を寄せる。
 氷のような冷気を纏った鷹臣に睨まれた百合子はビクッと肩を揺らした。

「いい気にならないことね。どんなに着飾っても、あんたが呪いの娘であることは変わらないのよ」
「……周りのご迷惑になります。少し声を押さえた方がよろしいかと」
「生意気な……! 何様だと思っているのよ!」
 逆上した百合子が扇子を振り上げた瞬間、慌てて走って来た男の手が百合子を止める。
 鷹臣は百合子を冷徹な眼差しで射抜くと、そのまま視線を男へと移した。
 
「行くぞ、千歳」
 鷹臣は千歳の肩を抱き寄せ、劇場の中央階段へと歩いて行く。
 千歳は一度だけ百合子の方を振り返り、静かに会釈をした。

「なんで止めるのよ! あんな女……」
「出入り禁止になったら困るんだ」
「なんなのよ。あのドレスも、靴も!」
 千歳のくせにズルいじゃないと背後で百合子がヒステリックに叫ぶ声が聞こえる。
 だが、鷹臣が優しく耳を覆うように手を添えてくれたおかげで、それはただの雑音にしか聞こえなかった。
 
「さっきの男は誰だ?」
「知らない方です。百合子さんに求婚なさった殿方のひとりでしょうか……?」
 年齢的には父の友人ということはなさそうだと千歳は首をかしげる。

「目つきの悪い男だったな」
 近づかないようにと忠告された千歳は素直に頷いた。
 
 赤漆に金箔が施された豪華な特等席は、ふたりだけの閉ざされた空間。
 千歳が少しだけ気を緩めた瞬間、オペラの開演を告げるベルが高く美しく鳴り響いた。
 
 劇場の照明がゆっくりと落ち、オーケストラの指揮者がタクトを振り上げる。
 情熱的でどこか不穏なカルメンの前奏曲にあわせて登場した演者たちの姿に千歳は目を奪われた。
 
 流れてくるハバネラや闘牛士の歌。
 軍服、扇子、闘牛士の華美な衣装。
 家に縛られず、愛に生き、死を選ぶカルメンの生き方。
 
 あぁ。守られるだけではなく、鷹臣様の隣に胸を張って立てる強い女性になりたい。
 カルメンのように。
 
 今日のために鷹臣が準備してくれたのは真っ赤なイブニングドレス。
 肩やデコルテが大きく開き、こんなに肌を晒してしまって良いのか不安だったが、この演劇の内容に合わせて誂えてくれたのだ。
 まるで虐げられていた過去を捨て、情熱的に生きる決意をしろと言われているかのように。

『誰の所有物でもない、私は私のものよ』
 舞台上のカルメンが傲然と放ったその言葉は、虐げられ、自分を無価値だと思い込んできた千歳の魂を激しく揺さぶった。
 
「おまえは俺の物だ。一生離さない」
 舞台の熱狂をかき消すような低い囁きに千歳の心臓が跳ねる。
 あぁ、いつか、紋章ではなく私自身にこのようなお言葉をかけていただけたら。
 カルメンを愛した男たちよりも深く逃れられないほどの鷹臣の情熱に、千歳は鷹臣の瞳を見つめ返した。

 舞台はクライマックス。
 愛ゆえに相手を刺した男性と、自由のために死を選んだ女性の凄絶な幕切れだ。

 もし、私が鷹臣様の愛を拒んだら、この方も、あの男性のように私を殺すのかしら……?
 ふとよぎった残酷な空想に、千歳の背中を戦慄が駆け抜ける。
 千歳の不穏な思考を読み取ったかのように、鷹臣は千歳の指を絡めとった。
 
 盛大な拍手でオーケストラの残響が消え、劇場の照明がゆっくりと灯り始める。
 帰り支度を始めた会場の人々に合わせるように千歳も立ち上がろうとした瞬間、鷹臣の周りの空気がピリッと揺れた。

「ここを動くな」
 燕尾の上着を脱ぎながら、鷹臣は鋭い眼光で一階の男を睨む。
 頭から上着を被せられた千歳はこんなときに不謹慎だが、鷹臣の香りにトクンと心臓を跳ねさせた。