「それが完成した暁には、真っ先に俺へ捧げろ」
「ま、まだ真っ直ぐ縫うことも……」
「俺を出迎えなかった罰だ」
ワタワタと小動物のように慌てふためく千歳を見ながら、鷹臣は意地悪そうに口の端を上げる。
「千歳からの贈り物を楽しみにしている」
ただの練習のはずが、いっきに難易度が上がってしまった千歳は心の中で悲鳴を上げた。
だが、自分の拙い望みを快く許し、あまつさえ「楽しみだ」と言ってくれた彼の不器用な優しさに、胸の奥が熱くなる。
千歳は微笑みながら、がんばりますと鷹臣に答えた。
「着替えてくる」
踵を返した鷹臣の大きな背中を見送ろうとした千歳の脳裏に、ふと「俺を後回しにするな」という言葉がよぎった。
「あの、鷹臣様。私が、お召し替えのお手伝いをしてもよろしいでしょうか?」
精いっぱいの勇気を振り絞って投げかけた言葉に、鷹臣の足が止まる。
「……いいだろう、やってみろ」
おこがましいと一蹴される覚悟をしていた千歳は、その短い許諾に胸を撫でおろした。
鷹臣の後に続き、重厚な木造りのクローゼットが並ぶ衣装部屋へと足を踏み入れる。
千歳は背後に回るのではなく、意を決して鷹臣の正面に立った。
視線の先には、飾り紐と金ボタンが整然と並ぶ、隙のない軍服。
その威圧感に、千歳の背筋が伸びる。
千歳は震える指を伸ばし、まずは一番上の詰襟のホックを外した。
指先が鷹臣の喉仏のすぐ近くに触れると、鷹臣が短く息を呑む音が聞こえる。
ひとつ、またひとつと硬い金ボタンを掛け穴から押し出していくと、鉄のように強固な軍人の外殻を、自らの手で一枚ずつ剥がしていくような背徳感と高揚感が千歳の胸に沸き上がった。
「どこで覚えた?」
「昼間に女中の方々に教わったのですが……」
違っておりましたら申し訳ございませんと謝罪しながら重厚な上衣を肩から取ると、白い襦袢に包まれたたくましい肩のラインが目に入る。
男らしい大きな背中に深紺色の着物を掛けると、鷹臣の纏う空気も柔らかくなったような気がした。
「帯もできるのか?」
「は、はい。やらせてください」
揶揄うように囁かれた千歳は、顔を赤らめながら鷹臣の腰に手を回す。
必然的に鷹臣の胸板に鼻先が触れるほどの距離になってしまった千歳は、石鹸の香りと彼自身の体温が混ざり合った香りに包まれた。
博多織の角帯を手に取り、腰の低い位置でぐっと引き締める。
軍服のベルトとは違う、布と布が擦れ合う衣擦れの音が、静まり返った衣装部屋にやけに大きく響いた。
「いかがでしょうか……?」
「上出来だ。案外、筋がいい」
鷹臣と目が合ってしまった千歳は、急に恥ずかしくなる。
「だが、千歳」
鷹臣はそのまま千歳の身体を引き寄せ、耳たぶに熱い吐息を吹きかけた。
「俺以外の男にしてはならない」
独占欲を剥き出しにした言葉に、千歳の心臓は跳ね上がる。
千歳は真っ赤な顔で「はい」と答えるのが精一杯だった。
軍服を衣桁に掛け、刷毛で埃を丹念に落としていく。
金ボタンや階級章の真鍮部分を千歳は磨き布で丁寧に拭いた。
「茶を飲みたい。リビングへ持って来てくれないか?」
「はい、すぐに」
「もちろん二人分だ」
花の蕾がほころぶような微笑を向けた千歳は、弾むような足取りで衣裳部屋を後にする。
残された鷹臣は千歳が去った静寂の中で、先ほどまで腰に回っていた柔らかな手の感触を思い返した。
「あの笑顔も、俺以外の前で浮かべてはならないと釘を刺しておくべきだったか」
鷹臣は独りごちて、自嘲気味に苦笑する。
軍服を脱ぎ捨て着流しに身を包んだ今の自分は、戦場での冷徹な軍人ではなく、ただ一人の女性に心を乱される愚かな男に過ぎない。
「……鬼に堕ちなければ、ずっと一緒にいられるのか」
鷹臣は右手の甲に浮かび上がる鬼の紋章を眺めながら、切なそうに目を伏せた。
「ま、まだ真っ直ぐ縫うことも……」
「俺を出迎えなかった罰だ」
ワタワタと小動物のように慌てふためく千歳を見ながら、鷹臣は意地悪そうに口の端を上げる。
「千歳からの贈り物を楽しみにしている」
ただの練習のはずが、いっきに難易度が上がってしまった千歳は心の中で悲鳴を上げた。
だが、自分の拙い望みを快く許し、あまつさえ「楽しみだ」と言ってくれた彼の不器用な優しさに、胸の奥が熱くなる。
千歳は微笑みながら、がんばりますと鷹臣に答えた。
「着替えてくる」
踵を返した鷹臣の大きな背中を見送ろうとした千歳の脳裏に、ふと「俺を後回しにするな」という言葉がよぎった。
「あの、鷹臣様。私が、お召し替えのお手伝いをしてもよろしいでしょうか?」
精いっぱいの勇気を振り絞って投げかけた言葉に、鷹臣の足が止まる。
「……いいだろう、やってみろ」
おこがましいと一蹴される覚悟をしていた千歳は、その短い許諾に胸を撫でおろした。
鷹臣の後に続き、重厚な木造りのクローゼットが並ぶ衣装部屋へと足を踏み入れる。
千歳は背後に回るのではなく、意を決して鷹臣の正面に立った。
視線の先には、飾り紐と金ボタンが整然と並ぶ、隙のない軍服。
その威圧感に、千歳の背筋が伸びる。
千歳は震える指を伸ばし、まずは一番上の詰襟のホックを外した。
指先が鷹臣の喉仏のすぐ近くに触れると、鷹臣が短く息を呑む音が聞こえる。
ひとつ、またひとつと硬い金ボタンを掛け穴から押し出していくと、鉄のように強固な軍人の外殻を、自らの手で一枚ずつ剥がしていくような背徳感と高揚感が千歳の胸に沸き上がった。
「どこで覚えた?」
「昼間に女中の方々に教わったのですが……」
違っておりましたら申し訳ございませんと謝罪しながら重厚な上衣を肩から取ると、白い襦袢に包まれたたくましい肩のラインが目に入る。
男らしい大きな背中に深紺色の着物を掛けると、鷹臣の纏う空気も柔らかくなったような気がした。
「帯もできるのか?」
「は、はい。やらせてください」
揶揄うように囁かれた千歳は、顔を赤らめながら鷹臣の腰に手を回す。
必然的に鷹臣の胸板に鼻先が触れるほどの距離になってしまった千歳は、石鹸の香りと彼自身の体温が混ざり合った香りに包まれた。
博多織の角帯を手に取り、腰の低い位置でぐっと引き締める。
軍服のベルトとは違う、布と布が擦れ合う衣擦れの音が、静まり返った衣装部屋にやけに大きく響いた。
「いかがでしょうか……?」
「上出来だ。案外、筋がいい」
鷹臣と目が合ってしまった千歳は、急に恥ずかしくなる。
「だが、千歳」
鷹臣はそのまま千歳の身体を引き寄せ、耳たぶに熱い吐息を吹きかけた。
「俺以外の男にしてはならない」
独占欲を剥き出しにした言葉に、千歳の心臓は跳ね上がる。
千歳は真っ赤な顔で「はい」と答えるのが精一杯だった。
軍服を衣桁に掛け、刷毛で埃を丹念に落としていく。
金ボタンや階級章の真鍮部分を千歳は磨き布で丁寧に拭いた。
「茶を飲みたい。リビングへ持って来てくれないか?」
「はい、すぐに」
「もちろん二人分だ」
花の蕾がほころぶような微笑を向けた千歳は、弾むような足取りで衣裳部屋を後にする。
残された鷹臣は千歳が去った静寂の中で、先ほどまで腰に回っていた柔らかな手の感触を思い返した。
「あの笑顔も、俺以外の前で浮かべてはならないと釘を刺しておくべきだったか」
鷹臣は独りごちて、自嘲気味に苦笑する。
軍服を脱ぎ捨て着流しに身を包んだ今の自分は、戦場での冷徹な軍人ではなく、ただ一人の女性に心を乱される愚かな男に過ぎない。
「……鬼に堕ちなければ、ずっと一緒にいられるのか」
鷹臣は右手の甲に浮かび上がる鬼の紋章を眺めながら、切なそうに目を伏せた。



