帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

 雪は次第に激しさを増し、千歳の視界を白く染めていく。
 誰からも愛されず、誰にも必要とされなかった人生の最期は鬼神の生贄。
 もし許されるなら、死ぬ前に一度でいいから誰かに優しく抱きしめられたい。
 叶わぬ願いとはわかっているけれど。
 
「……はい」
 千歳はその一言を絞り出すのが精一杯だった。
 
 震える身体を隠すこともできないまま千歳は深く頭を下げる。
 目から零れ落ちた大粒の涙が雪の上に落ちたが、背を向けた父に気づかれることはなかった。

    ◇

 雪が舞う夜。
 逃げないようにと両手を縛られた千歳が乗った馬車は、帝都の街外れにある森に囲まれた大きな屋敷の前で止まった。

 千歳だけ置き去りにし、さっさと走り去ってしまった実家の馬車。
 千歳は唯一の荷物である古びた小箱を縛られたままの腕で必死に抱きしめながら、屋敷の重厚な正門を見上げた。

 父の命令通り、左頬の痣を隠すために何度もおしろいを厚く塗った。
 長い前髪で左頬を隠し、さらに夜だというのに市女笠を深々と被り、顔を隠すために付けられた白い布が、吹き付ける冷たい風で揺れている。
 こんな真冬の夜にするような姿ではないことは重々承知しているが、父の命令に背くことはできなかった。

「……誰だ?」
 門の奥から現れたのは、松明の火に照らされた一人の男だった。
 漆黒の軍服に金ボタン、肩にかけられた外套。
 雪を踏む軍靴の音。

「……斎宮、千歳と申します」
 初めて名乗る斎宮の姓。
 
 縛られた手首に食い込む縄が雪を含んで硬く締まる。
 痛みを堪えるように身を縮めたその時、巨大な門扉が重々しい地響きを立てゆっくりと開かれた。
 
 ぎゅぎゅっと軍靴が雪を踏みしめる音が近づいてくる。
 男は千歳の目の前で足を止めると、顔を隠す白い布を躊躇いもなく払いのけた。

「あっ……!」
 風に煽られ市女笠が雪の上に落ちる。
 あらわになった千歳の姿を、男の鋭い眼光が射抜いた。

 男は千歳の左頬に施された不自然なほど白い化粧をじっと見つめ、震える千歳の顎を軍手に包まれた指先でくいっと持ち上げる。
 男は頬へ指先を滑らせると、ひび割れたおしろいをなぞり、その下の「痣」をなぞっていく。
 千歳は身体を震わせながら、ぎゅっと目を閉じた。

 あぁ、ここで殺されるのだわ。
 呪いだと罵られ、雪の中に捨てられるのだろう。
 
 そう覚悟した千歳の耳に届いたのは、意外なほど低く穏やかな声だった。

「こんな冷たい雪の中にこんな薄着で、あまつさえ縛り上げて捨て置くとは」
 千歳の手首に冷たい何かが触れたと思った瞬間、手首に食い込んでいた縄が引きちぎられる。
 驚いた千歳が目を開けると、目の前の短剣を持った男と目が合ってしまった。

 あの短剣で刺されるの……?
 小箱をギュッと握りしめた千歳は震えながら身構える。

「その化粧の下に何を隠しているのか、ゆっくりと暴かせてもらおうか」
 男は外套を脱ぐと、震える千歳の肩を包み込むように引き寄せた。
 
 死を覚悟したはずの夜。
 それなのに、初めて自分に触れた鬼神の体温は温かかった――。