「鷹臣様?」
「これから毎日、二人で茶を飲もう」
俺のために淹れてくれ。
耳元で低く囁かれたその一言が、千歳の心臓を「ドクン」と、今日一番の大きさで跳ねさせる。
「私のような無調法な者が淹れたお茶でよろしいのですか?」
震える声で千歳が問い返すと、絡められた指にぐっと力がこもった。
「どんな名茶よりも俺を酔わせる茶だ」
背中から伝わる規則正しい鼓動と、羽織の袖から微かに立ち上がる白檀の香りが千歳の鼻をくすぐる。
「……耳まで真っ赤だな」
鷹臣は千歳のうなじに唇を寄せながら、低い声で囁いた。
触れるか触れないかという、もどかしい距離で放たれる熱い吐息はまるで甘い毒のようだ。
「失礼します。鷹臣様、森部様がお見えです」
無機質なノックの音と、ほぼ同時に開いた扉の音に鷹臣の肩が微かにぴくりと揺れる。
千歳のうなじに触れていた唇を惜しむようにゆっくりと離すと、鷹臣は声だけで部屋の温度を下げた。
「相変わらず折の悪い男だな」
溜息混じりに笑う鷹臣の声には、まったく歓迎の気持ちが籠っていない。
立ち尽くす執事とは対照的に、副隊長の森部は眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。
レンズが光を反射し、その奥で愉快そうに目を細める。
「随分と『ご執心』ですね」
突き刺さるような視線を平然と受け流した森部は、手に持った報告書をこれ見よがしに振ってみせる。
鷹臣は千歳と繋いだ指先を解くどころか、見せつけるように千歳の指に深く自身の指を絡め直した。
「あとで確認する」
「早急にお願いしますよ。どこのどなたか存じませんが、派手にぶち壊してくださった屋敷の始末書ですので」
森部は最新の新聞が刺さった木製マガジンラックの中に報告書を突っ込む。
「あぁ、そういえば、お茶は『酔う』ものではなく『嗜む』ものですよ」
森部は口角を吊り上げながら、軽く礼をして去っていく。
森部が背を向けて扉を閉めた瞬間、鷹臣は深い溜息をついた。
「あれは副隊長の森部だ。今後も顔を合わせることがあるだろう」
「私、ご挨拶を……」
「不要だ」
千歳は慌てて背を正そうとしたが、鷹臣に遮られ、再び吐息が重なるほどの至近距離にまで鷹臣の端正な顔が迫る。
「あのような男に、おまえが愛嬌を振りまく必要はない」
鷹臣は入り口のマガジンラックに突っ込まれた報告書を一瞬視界に入れたが、すぐに視線は千歳に。
「さぁ、茶をいただこう」
森部が待っているというのに、それでもまだ自分を優先してくれる鷹臣の熱を帯びた瞳から、千歳は目を離すことができない。
嬉しいと思ってしまう私は、いけない子なのでしょうか。
困惑に眉を下げながらも、千歳は鷹臣を見つめ返すことしかできなかった。
◇
神楽坂邸の一室。鷹臣の執務室で珈琲を飲みながらのんびりと読書をしていた森部は、ようやく現れた鷹臣の姿を確認し、パタンと本を閉じた。
「俺の確認など不要だろう」
「全壊は隊長のサインが必須です」
だからいつも壁一枚でも残してくれと頼んでいると森部は肩をすくめる。
森部は内ポケットから古びた封筒を取り出すと、ソファーに座った鷹臣に見せびらかすように封筒をちらつかせた。
「隊長が『あえて』粉々に破壊した斎宮邸の金庫の中に」
森部の言葉に執務室の空気は一変し、戦場の最前線のような凍てつく緊張感に支配される。
「誰の指示で開けた?」
鷹臣は書簡を奪い取ると、千歳の指先を弄んでいた時とは思えない鋭い視線を森部に投げた。
「金庫はもともと開いていました」
中身が散らばる前に回収しただけだと森部は呆れる。
華族の爵位授爵の写し、家系図、土地の権利書、そして印影はあったが、金貨や宝石は見当たらなかったと森部は報告した。
「これのおかげで千歳は命を奪われることがなかったというわけか」
「そういうことになりますね」
森部は眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細め、手元の珈琲を飲み干す。
『娘が18歳の誕生日を迎える日まで管理費を支払う』
物置に追いやられながらも決して命だけは奪われなかった理由が書かれた証書を、鷹臣はぐしゃっと握りつぶす。
そして18歳という「満期」を迎えた瞬間、千歳は神楽坂に嫁ぐという名目で捨てられたのだ。
「斎宮家は最後まで千歳を金に換える道具としか思っていなかったのだな」
地這うような鷹臣の声が執務室の空気を震わせる。
千歳がこれまで受けてきた理不尽な仕打ち、寂しい食事、薄汚れた物置部屋。
そのすべてに、この事務的な文言が「値札」として貼り付いていた事実に、鷹臣の内側でどす黒い怒りが渦巻いた。
俺の千歳を、誰が安く見積もった?
誰が、傷つけていいと決めた?
「斎宮の『飼い主』を洗い出せ」
「調査中です。ですが、すでに奇妙な点が」
森部が差し出した別の報告書に記された「支払主」の名を見た瞬間、鷹臣の瞳から温度が消える。
「……死んだはずの男の名が、なぜここにある」
かつて鷹臣がその背中を追い、帝国陸軍・対魔特務部隊のすべてを叩き込まれた「師」の名前に、鷹臣はありえないと手で額を押さえた。
「これから毎日、二人で茶を飲もう」
俺のために淹れてくれ。
耳元で低く囁かれたその一言が、千歳の心臓を「ドクン」と、今日一番の大きさで跳ねさせる。
「私のような無調法な者が淹れたお茶でよろしいのですか?」
震える声で千歳が問い返すと、絡められた指にぐっと力がこもった。
「どんな名茶よりも俺を酔わせる茶だ」
背中から伝わる規則正しい鼓動と、羽織の袖から微かに立ち上がる白檀の香りが千歳の鼻をくすぐる。
「……耳まで真っ赤だな」
鷹臣は千歳のうなじに唇を寄せながら、低い声で囁いた。
触れるか触れないかという、もどかしい距離で放たれる熱い吐息はまるで甘い毒のようだ。
「失礼します。鷹臣様、森部様がお見えです」
無機質なノックの音と、ほぼ同時に開いた扉の音に鷹臣の肩が微かにぴくりと揺れる。
千歳のうなじに触れていた唇を惜しむようにゆっくりと離すと、鷹臣は声だけで部屋の温度を下げた。
「相変わらず折の悪い男だな」
溜息混じりに笑う鷹臣の声には、まったく歓迎の気持ちが籠っていない。
立ち尽くす執事とは対照的に、副隊長の森部は眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。
レンズが光を反射し、その奥で愉快そうに目を細める。
「随分と『ご執心』ですね」
突き刺さるような視線を平然と受け流した森部は、手に持った報告書をこれ見よがしに振ってみせる。
鷹臣は千歳と繋いだ指先を解くどころか、見せつけるように千歳の指に深く自身の指を絡め直した。
「あとで確認する」
「早急にお願いしますよ。どこのどなたか存じませんが、派手にぶち壊してくださった屋敷の始末書ですので」
森部は最新の新聞が刺さった木製マガジンラックの中に報告書を突っ込む。
「あぁ、そういえば、お茶は『酔う』ものではなく『嗜む』ものですよ」
森部は口角を吊り上げながら、軽く礼をして去っていく。
森部が背を向けて扉を閉めた瞬間、鷹臣は深い溜息をついた。
「あれは副隊長の森部だ。今後も顔を合わせることがあるだろう」
「私、ご挨拶を……」
「不要だ」
千歳は慌てて背を正そうとしたが、鷹臣に遮られ、再び吐息が重なるほどの至近距離にまで鷹臣の端正な顔が迫る。
「あのような男に、おまえが愛嬌を振りまく必要はない」
鷹臣は入り口のマガジンラックに突っ込まれた報告書を一瞬視界に入れたが、すぐに視線は千歳に。
「さぁ、茶をいただこう」
森部が待っているというのに、それでもまだ自分を優先してくれる鷹臣の熱を帯びた瞳から、千歳は目を離すことができない。
嬉しいと思ってしまう私は、いけない子なのでしょうか。
困惑に眉を下げながらも、千歳は鷹臣を見つめ返すことしかできなかった。
◇
神楽坂邸の一室。鷹臣の執務室で珈琲を飲みながらのんびりと読書をしていた森部は、ようやく現れた鷹臣の姿を確認し、パタンと本を閉じた。
「俺の確認など不要だろう」
「全壊は隊長のサインが必須です」
だからいつも壁一枚でも残してくれと頼んでいると森部は肩をすくめる。
森部は内ポケットから古びた封筒を取り出すと、ソファーに座った鷹臣に見せびらかすように封筒をちらつかせた。
「隊長が『あえて』粉々に破壊した斎宮邸の金庫の中に」
森部の言葉に執務室の空気は一変し、戦場の最前線のような凍てつく緊張感に支配される。
「誰の指示で開けた?」
鷹臣は書簡を奪い取ると、千歳の指先を弄んでいた時とは思えない鋭い視線を森部に投げた。
「金庫はもともと開いていました」
中身が散らばる前に回収しただけだと森部は呆れる。
華族の爵位授爵の写し、家系図、土地の権利書、そして印影はあったが、金貨や宝石は見当たらなかったと森部は報告した。
「これのおかげで千歳は命を奪われることがなかったというわけか」
「そういうことになりますね」
森部は眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細め、手元の珈琲を飲み干す。
『娘が18歳の誕生日を迎える日まで管理費を支払う』
物置に追いやられながらも決して命だけは奪われなかった理由が書かれた証書を、鷹臣はぐしゃっと握りつぶす。
そして18歳という「満期」を迎えた瞬間、千歳は神楽坂に嫁ぐという名目で捨てられたのだ。
「斎宮家は最後まで千歳を金に換える道具としか思っていなかったのだな」
地這うような鷹臣の声が執務室の空気を震わせる。
千歳がこれまで受けてきた理不尽な仕打ち、寂しい食事、薄汚れた物置部屋。
そのすべてに、この事務的な文言が「値札」として貼り付いていた事実に、鷹臣の内側でどす黒い怒りが渦巻いた。
俺の千歳を、誰が安く見積もった?
誰が、傷つけていいと決めた?
「斎宮の『飼い主』を洗い出せ」
「調査中です。ですが、すでに奇妙な点が」
森部が差し出した別の報告書に記された「支払主」の名を見た瞬間、鷹臣の瞳から温度が消える。
「……死んだはずの男の名が、なぜここにある」
かつて鷹臣がその背中を追い、帝国陸軍・対魔特務部隊のすべてを叩き込まれた「師」の名前に、鷹臣はありえないと手で額を押さえた。


