帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

「百合子、とにかく金目の物を集めなさい」
「え? お母様、それはどういう……?」
「このままでは、私たちも化け物だと言われるわ。帝都を離れるのよ、今すぐ!」
 義母は狂ったように宝石箱をぶちまけ、指輪やネックレス、高価な帯留めを泥棒さながらの手つきで布に包んでいく。
 
「この金糸の帯も?」
「えぇ。持てるだけ、売れるものはすべてよ!」
 本当なら高価な着物も持っていきたいが、かさばる衣類を運ぶ余裕はない。
 下男や女中たちに手伝わせようにも、明日にはこの齊宮家がないのだと知れば、彼らが荷物を奪って逃げるに決まっている。
 義母は血走った眼で周囲を警戒しながら、寝室の奥に隠された金庫へ。
 震える指先でダイヤルを回し、最期の望みを託すようにその扉をこじ開けた。
 
 金庫の中には紙切れとわずかなお金、そして光り輝く純金の地金。

「これさえあれば、やり直せるわ」
 純金の地金を見ながら口の端を上げた義母の背後で、闇がまるで生き物のように蠢いた。

「実に醜悪で、美しい執着ですね」
 冷ややかな声とともに香ってくるのは、夜会会場で嗅いだあの黒い煙の香り。
 振り返った義母の目に映ったのは、闇のように真っ黒な服を着た男の薄気味悪い笑顔だった――。

 
「……お母様?」
 寝室に行ったっきり戻ってこない母を探しにやってきた百合子は、開いたままの金庫を見ながら首を傾げた。
 壁際に据えられた金庫の中にはたくさんの紙切れと、わずかなお金。
 そして父が一番大切にしていた金の塊が入っている。
 だが、母の姿はそこにはなかった。

「もう。お母様ったら、どこへ行ったのかしら」
 百合子は純金の地金を手に取ると、先ほど金目のものを包めと言われた布に突っ込む。

「もう23時じゃない」
 極限の恐怖と逃亡の準備で疲れ果てた百合子は眠たい目をこすった。
 母が戻ったらすぐに発てるように待っていなければいけないのに、目がだんだん閉じていく。
 結局、夜明けが部屋を照らしても、母は戻ってくることはなかった。
 
    ◇

 翌朝、鷹臣はいつものようにダイニングで新聞を広げた。
 
『夜会に暴漢乱入、斎宮当主死す』
 一面には昨夜の悲劇がセンセーショナルな見出しで踊っている。
 昨夜、豪華絢爛な会場を地獄絵図に変えたあの怪異は、新聞紙の上では「暴漢」というありふれた言葉にすり替えられていた。
 あやかしの存在も、無慈悲に斬り捨てた鬼神も、すべては国家の闇に葬られたのだ。

 昨日の夜会に招待されていたのは、帝都を動かす政財界の大物たち。
 すなわち、この国の「表側」を象徴する面々だった。

 彼らは見てはならない物を見てしまったが、誰もが暴漢による不運な事件だったと口を揃えるだろう。
 それが、この帝都で生き残るための暗黙のルールだからだ。
 
 鷹臣はふっと口角を上げながら、新聞を畳んだ。

「ゆっくりでいいから、しっかり食べろ」
「は、はいっ」
 使い慣れないナイフとフォークと格闘しながら、黄身がとろりと溢れるポーチドエッグを千歳は口に入れる。
 
 濃厚なバターが添えられたトースト、旨みが溢れる厚切りハム、かぼちゃの濃厚なスープ。
 どれも齊宮家では食べたことがないご馳走ばかりで、あまりの豊かさに千歳はどれから手をつけるべきか迷い、戸惑うように視線を泳がせる。

 齊宮家にいた時、千歳の食事は家族の残り物だった。
 具にないスープは当たり前。
 義妹の百合子がわざと床に落としたパンの耳や、野菜の皮をもらって食べていた。

 こんなに温かくておいしい食事は、千歳の記憶のどこを探しても見当たらない。
 
「顔の痣もだいぶ消えたな」
 不意に投げかけられた鷹臣の声に、千歳はびくりと肩を揺らした。
 幼いころからずっと呪いだと言われ続けていた痣。
 それが、栄養失調でできた皮下出血だったというのは驚いた。
 
 神楽坂家に来てからは、毎日温かくて栄養がある食事をいただき、肌を荒らす安物のおしろいを塗って痣を隠す必要もなくなった。
 厚塗りしたおしろいを落とすために、真っ赤になるまで顔をこする必要もない。
 そのおかげで青紫色の痣は目立たないほどに引き、白銀の模様が肌の奥から浮かび上がるようになった。

「呪いではなかったのですね」
「こんなに美しい模様を隠していたとはもったいない」
 珈琲カップをソーサーに戻した鷹臣は、千歳の頬に刻まれた白銀の輝きを慈しむように見つめる。
 その視線が、千歳の頬を熱くさせた。
 
「さて、今日は午後から鳳夫人のもとへ行かねばな」
 ふいに仕事の顔を見せた鷹臣は、椅子から立ち上がると、まだ食事中の千歳の背後へと音もなく歩み寄った。
 鷹臣の大きな手が千歳の細い肩を包み込み、逃がさないと言わんばかりにその首筋に顔を寄せる。

「なぜ鳳夫人がおまえを俺のもとに嫁がせたのか、気にならないか?」
「偶然ではなかったのですか……?」
 千歳の驚きを愉しむように、鷹臣の指先が白く華奢な首筋をゆっくりと這い上がる。
 まるで、自分の所有物であることを確かめるようなその手つきに、千歳の体温はさらに跳ね上がった。