鷹臣が振るった一閃が、あやかしへと成り果てた権蔵を断ち割った。
あやかしは断末魔と共に黒い塵となって霧散し、そこに「父」と呼ばれた男の痕跡は、一片たりとも残らなかった。
父の最期を複雑な思いで見届けた千歳はただ立ち尽くす。
愛された記憶はない。
情を向けられた覚えもない。
決して、良い父ではなかった。
だが、これほど呆気なく世界から抹消されてしまった事実に、心の中に穴が開いたような底知れぬ虚無感に見舞われた。
「ぐ……っ!」
「鷹臣様!」
鷹臣の手が赤黒く変色し、禍々しい血管が浮かび上がっていく。
右手の刀を鞘に戻し、奥歯を噛み締めながら苦しそうに顔を歪める鷹臣の右手を取った千歳は、急いで自分の左頬に強く押し当てた。
お願い、静まって……!
千歳の切実な祈りに呼応するように、鷹臣の荒い呼吸が次第に整い、冷静さを取り戻す。
「……すまない、千歳」
「いいえ。お役に立ててうれしいです」
鷹臣は千歳の頬からゆっくりと手を引くと、普通の人肌に戻った手の甲を忌々しそうに見つめた。
「……父親を斬った俺が恐ろしいか?」
その問いには拒絶を先回りして受け入れようとする自嘲が混じっているように感じた。
千歳はゆっくりと、だが毅然と首を振る。
「父を苦しみから解放してくださって、ありがとうございます」
人ならざる姿に変貌した父が消えてどこかで安堵している自分。
そんな自分こそが冷酷なのではないか。
千歳は無理やり微笑みを作りながら鷹臣を見つめた。
「無理に笑うな」
鷹臣は鎮まったばかりの手を千歳の腰に回し、力強く引き寄せる。
「よく耐えた。どれほど外道な男であろうと、お前にとっては唯一の父だったはずだ」
耳元で囁かれる低く甘い声に、千歳は張り詰めていた糸が切れたように軍服の胸元に顔を埋めた。
広い背中に回された腕の強さが、千歳の孤独を溶かしていく。
惨劇の舞台となった会場の真ん中で、まるで世界に二人きりになったかのように、鷹臣は千歳を静かに抱きしめてくれた。
「隊長! 使用人含め避難完了しました!」
静まり返った広間に軍靴の鋭い音が響き渡る。
駆け寄ってきた部下は、千歳を抱き寄せたまま微動だにしない鷹臣の姿に、一瞬だけ言葉を失った。
だが、その背中から放たれる凄まじい「拒絶」の気配に、直立不動のまま報告を続けるしかなかった。
「怪我人は?」
「パニックによる転倒者が数名。いずれも命に別状はなく、軽症です」
鷹臣は千歳の髪を名残惜しそうに一度だけ撫でてから腕を解くと、手袋をはめ直す。
「消えた齊宮当主の死亡届を作成しろ」
「はっ!」
「怨嗟の香の入手ルートを徹底的に洗え」
「はっ!」
冷徹な軍人の顔に戻った鷹臣が、鋭い眼光で会場を見渡す。
「緘口令を徹底。今夜、この会場で起きたのは『暴漢による襲撃』だ」
「はっ! 暴漢の襲撃により被害者1名。被害者の身元は齊宮家の当主と確認いたしました」
敬礼をし、部下は会場の外にいる仲間のもとへと走っていく。
「……事実を捻じ曲げてしまうのですか?」
「この国の安寧のためだ」
人があやかしの姿になる。
その「絶望の真実」を帝都の民が知れば、パニックどころでは済まない。
「帝国陸軍・対魔特務部隊も表向きは存在しない」
「……え?」
「おまえの夫は、お飾りで軍に所属しているただの閑職公爵だ」
軍服を纏い、刀を振るい、部下を従えて、あやかしを一刀両断しておきながら、ただの公爵だなんて。
「それは、あまりに無理がございます」
「ならばおまえだけは、俺の『真実』を覚えておくがいい」
思わず本音が漏れてしまった口を慌てて押さえた千歳を見ながら、鷹臣はどこか愉快そうに口角を上げた。
◇
狂乱の会場から、なりふり構わず逃げ出した義母と百合子は、夜の闇に紛れながら屋敷へと滑り込んだ。
「おかえりなさいませ、奥様、百合子お嬢様」
「まあ、そんなにお急ぎで。一体何が? 旦那様は後からご帰宅ですか?」
玄関先で何も知らない女中たちが困惑しながら出迎える。
だが、その会話さえ今の二人には苛立ちの種でしかなかった。
「あなたたち、今日はもう下がっていいわ」
「ですが……」
「うるさいわね。下がれと言っているのが聞こえないの?」
義母に睨まれた女中たちはお辞儀をし、そそくさと逃げていく。
静まり返った玄関ホールで、百合子は爪を噛みながら女中たちの後ろ姿を眺めた。
『齊宮権蔵が化け物になった』
目の前で見ても信じられない出来事だったが、明日にはあの惨劇が噂となって街中に溢れ返るだろう。
齊宮家の権勢も華やかな未来も、すべてはあの瞬間に塵となって消えたのだ。
社交界の頂点に君臨するはずだった自分たちが、明日からは「化け物の身内」として蔑まれる。
その底知れぬ恐怖に、百合子の震えは止まらなかった。
あやかしは断末魔と共に黒い塵となって霧散し、そこに「父」と呼ばれた男の痕跡は、一片たりとも残らなかった。
父の最期を複雑な思いで見届けた千歳はただ立ち尽くす。
愛された記憶はない。
情を向けられた覚えもない。
決して、良い父ではなかった。
だが、これほど呆気なく世界から抹消されてしまった事実に、心の中に穴が開いたような底知れぬ虚無感に見舞われた。
「ぐ……っ!」
「鷹臣様!」
鷹臣の手が赤黒く変色し、禍々しい血管が浮かび上がっていく。
右手の刀を鞘に戻し、奥歯を噛み締めながら苦しそうに顔を歪める鷹臣の右手を取った千歳は、急いで自分の左頬に強く押し当てた。
お願い、静まって……!
千歳の切実な祈りに呼応するように、鷹臣の荒い呼吸が次第に整い、冷静さを取り戻す。
「……すまない、千歳」
「いいえ。お役に立ててうれしいです」
鷹臣は千歳の頬からゆっくりと手を引くと、普通の人肌に戻った手の甲を忌々しそうに見つめた。
「……父親を斬った俺が恐ろしいか?」
その問いには拒絶を先回りして受け入れようとする自嘲が混じっているように感じた。
千歳はゆっくりと、だが毅然と首を振る。
「父を苦しみから解放してくださって、ありがとうございます」
人ならざる姿に変貌した父が消えてどこかで安堵している自分。
そんな自分こそが冷酷なのではないか。
千歳は無理やり微笑みを作りながら鷹臣を見つめた。
「無理に笑うな」
鷹臣は鎮まったばかりの手を千歳の腰に回し、力強く引き寄せる。
「よく耐えた。どれほど外道な男であろうと、お前にとっては唯一の父だったはずだ」
耳元で囁かれる低く甘い声に、千歳は張り詰めていた糸が切れたように軍服の胸元に顔を埋めた。
広い背中に回された腕の強さが、千歳の孤独を溶かしていく。
惨劇の舞台となった会場の真ん中で、まるで世界に二人きりになったかのように、鷹臣は千歳を静かに抱きしめてくれた。
「隊長! 使用人含め避難完了しました!」
静まり返った広間に軍靴の鋭い音が響き渡る。
駆け寄ってきた部下は、千歳を抱き寄せたまま微動だにしない鷹臣の姿に、一瞬だけ言葉を失った。
だが、その背中から放たれる凄まじい「拒絶」の気配に、直立不動のまま報告を続けるしかなかった。
「怪我人は?」
「パニックによる転倒者が数名。いずれも命に別状はなく、軽症です」
鷹臣は千歳の髪を名残惜しそうに一度だけ撫でてから腕を解くと、手袋をはめ直す。
「消えた齊宮当主の死亡届を作成しろ」
「はっ!」
「怨嗟の香の入手ルートを徹底的に洗え」
「はっ!」
冷徹な軍人の顔に戻った鷹臣が、鋭い眼光で会場を見渡す。
「緘口令を徹底。今夜、この会場で起きたのは『暴漢による襲撃』だ」
「はっ! 暴漢の襲撃により被害者1名。被害者の身元は齊宮家の当主と確認いたしました」
敬礼をし、部下は会場の外にいる仲間のもとへと走っていく。
「……事実を捻じ曲げてしまうのですか?」
「この国の安寧のためだ」
人があやかしの姿になる。
その「絶望の真実」を帝都の民が知れば、パニックどころでは済まない。
「帝国陸軍・対魔特務部隊も表向きは存在しない」
「……え?」
「おまえの夫は、お飾りで軍に所属しているただの閑職公爵だ」
軍服を纏い、刀を振るい、部下を従えて、あやかしを一刀両断しておきながら、ただの公爵だなんて。
「それは、あまりに無理がございます」
「ならばおまえだけは、俺の『真実』を覚えておくがいい」
思わず本音が漏れてしまった口を慌てて押さえた千歳を見ながら、鷹臣はどこか愉快そうに口角を上げた。
◇
狂乱の会場から、なりふり構わず逃げ出した義母と百合子は、夜の闇に紛れながら屋敷へと滑り込んだ。
「おかえりなさいませ、奥様、百合子お嬢様」
「まあ、そんなにお急ぎで。一体何が? 旦那様は後からご帰宅ですか?」
玄関先で何も知らない女中たちが困惑しながら出迎える。
だが、その会話さえ今の二人には苛立ちの種でしかなかった。
「あなたたち、今日はもう下がっていいわ」
「ですが……」
「うるさいわね。下がれと言っているのが聞こえないの?」
義母に睨まれた女中たちはお辞儀をし、そそくさと逃げていく。
静まり返った玄関ホールで、百合子は爪を噛みながら女中たちの後ろ姿を眺めた。
『齊宮権蔵が化け物になった』
目の前で見ても信じられない出来事だったが、明日にはあの惨劇が噂となって街中に溢れ返るだろう。
齊宮家の権勢も華やかな未来も、すべてはあの瞬間に塵となって消えたのだ。
社交界の頂点に君臨するはずだった自分たちが、明日からは「化け物の身内」として蔑まれる。
その底知れぬ恐怖に、百合子の震えは止まらなかった。


