帝都の鬼は泥中の花を愛で喰らう〜呪われた異能の娘は、鬼神大佐の腕の中で愛を知る〜

「さぁ、閣下の至宝を早く紹介してちょうだい」
 鳳夫人は扇子の端で艶やかに唇をなぞり、愉悦に満ちた声を出す。

「お初にお目にかかります。神楽坂鷹臣の妻、千歳と申します。本日はお招きいただき、心より感謝申し上げます」
 千歳は背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、両手を膝の前で静かに重ね、指先を揃えた。
 視線を鳳夫人の足元へと落とし、衣擦れの音さえ立てぬほど緩やかに腰を折る。
 螺鈿の帯がシャンデリアの光を反射し、流れるような所作と共に天蚕糸の裾がわずかに揺れた。

「まぁ、素敵なお嬢様」
 習ったばかりの作法を完璧に成し遂げた千歳の凛とした立ち振る舞い。
 その汚れなき気品に、鳳夫人は満足げに頷いた。

「皆様、騙されないで! この女には醜い痣があるのよ!」
 静まり返った会場で、百合子は千歳を指差し周囲を必死で見渡す。

「……それは極度の栄養失調状態でできた内出血のことか?」
「な……何を言っているのよ! 呪いよ! 呪いの痣よ!」
 昔からあるのだと百合子は大きな声で喚きながら、千歳をジロッと睨んだ。
 
「帝都で最も信頼の置ける軍医に診察させた」
 鷹臣は懐から取り出した軍医の署名入りの書状を、鳳公爵夫人の前に差し出す。
 そこには、帝国陸軍軍医の署名と共に、残酷なまでの真実が記されていた。
 
 栄養不足で血管がもろくなっているにも関わらず、劇薬に近い安物のおしろいを厚く塗ることを強要され、肌が悲鳴を上げた状態だったこと。
 おしろいを落とすために冷水で強く顔を洗うことで、さらに内出血が起きていたこと。
 それが長年にわたり続いた状態で、薬を服用するよりも、まずは栄養を摂らせることが最優先だという軍医の診断に、鳳夫人は絶句した。

「斎宮家は娘を虐待していたというの……?」
 鳳夫人の言葉に、周囲の貴族たちの冷え切った視線が斎宮家に突き刺さる。

「まさか、虐待だなんて。そんなことするはずがありませんわ」
 違うわよねと念を押すように、義母は鬼のような形相で千歳を睨みつけた。
 
「なんであろうと、嫁入りしたのは事実! 未だに結納金を支払わない神楽坂家の方が非常識ではないか!」
「両手を縛ったまま雪の中に薄着一枚で放置し、殺そうとしたおまえたちに結納金を支払えと?」
 鷹臣の冷徹な殺気が会場に広がる。
 貴族たちの視線は、同情など微塵もなく、まるで汚物を見るような忌避感へと変わった。

「くそっ、くそっ、くそぉぉぉ!」
 貴族たちを突き飛ばしながら、なりふり構わずテーブルに突っ込んだ権蔵は、懐から黒い香を取り出し、燃え盛るランプの火の中へと叩きつけた。
 
 ランプから立ち昇る不気味な黒色の煙。
 それは意志を持つ蛇のようにのたうち回り、会場のシャンデリアをまたたく間に曇らせた。

「この香り……まさか怨嗟の香……?」
 煙を浴びた権蔵が喉をかきむしりながらのけぞる姿に、鷹臣は眉間に皺を寄せる。
 
「あなた!」
「お父様!」
 権蔵の皮膚を黒い血管のようなものが這い回り、人としての形を失っていく姿はまるで地獄絵図のようだった。
 権蔵の強欲さと憎悪が怨嗟の香で膨れ上がる。

「バケモノよ!」
「早く、外に!」
 肉体ごと乗っ取られた瞬間を目の当たりにした義母と百合子、そして周りの貴族たちは、一目散に逃げだした。

「……愚かな。自らあやかしになるとは」
 震える千歳を庇うように一歩前へ出た鷹臣は、手袋を脱ぎ捨てると腰の軍刀を一気に引き抜く。
 あやかしの瘴気に当てられた鷹臣の内なる『鬼』が呼応するように昂ぶり、手の甲の紋章がドクンと脈打うのが見えた。
 
「鷹臣様……」
 千歳の目の前には、あやかしになった父。
 つい先ほどまで、傲慢にも声を張り上げていた「人間」だった父だ。
 まさか人があやかしに変わってしまうなんて。
 そのおぞましい現実に思考は止まり、逃げることさえ忘れて震えることしかできない。
 
 豪華絢爛な夜会会場は、一瞬にして戦場へと変貌した。