『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

「なんだこれ……無理、良すぎる。音響とか関係なさすぎね? いやむしろ生だからの良さか? うわ……思い出すだけで脳が溶ける……。リアルの『HAKU-shion』もやばい……ウソだろ、これアーカイブにないの? もう聴けねぇの?」

 黒瀬は口元を手で覆いながら、何やらぶつぶつと吐き出している。

 俺は、信じられない気持ちでそれを見下ろしていた。マイクがなくても、どうやら無事耳に届いたようだが。それよりも、何よりも。

 ──あれ? 黒瀬って、こんな奴だったっけ?

 黒瀬瑛理。
 校内でも有名で、例え一軍男子ですら緊張を隠せないような、危険な男。常に気だるげな態度と不機嫌そうな眼差しで、誰彼問わず視線だけで射殺すような、そんなイメージしかない。

 ……え。本当に今、俺の隣で蹲っているのって、その『黒瀬瑛理』?

 混乱していると、黒瀬が突然立ち上がった。そのあまりに切迫した様子に、俺は反射的に身構える。
「なっ……なに……」
 ずずいと距離を詰められ、俺は仰け反るように距離を取った。

「藍沢、『ポイポイ』入ってる? IDは?」
「……へ?」
「いいから、ID。バーコードでもいいけど。早く」

 困惑のあまり、「ぽ、ポイポイ……?」と疑問符が浮かんだが、すぐに電子決済アプリのことだと気づく。黒瀬の獲物を逃さない肉食獣のような目つきに、やっぱりカツアゲかと絶望し、震える手でスマホを操作した。

 恐怖と混乱に支配されていた俺は、「いや、それならこっちがIDとか貰う方だよな……?」という矛盾に、共有してしまってから気がついた。

『ポロリン♪』

 直後、静まりかえった教室に、気の抜けるような通知音が鳴り響く。
 音がしたのは俺のスマホだ。流れるように画面を確認して──硬直する。

「──は……?」

 そこには、言うに憚られる額の入金通知が表示されていた。

「あ、くそっ、入金限度額あんのか……」
「えっ……ちょ、何これ、何してんの……!?」

「何って、推し活。推しへの課金。何でスパチャずっとオフなんだよ」

 ──推しって言ったか今!?

 衝撃に言葉が出ない。『推し』って、あの、一般的に知られている『推し』のことで合ってる?

 混乱が混乱を呼ぶ一方で、いや、それはまず置いておいてと、俺は必死に思考を切り替える。
 どんな理由であれ、こんなお金は受け取れない。

「い、いいいらない、返す!」
「何で? いつもお世話になってるし、これでも足りないくらいなんだけど」

 ──『いつも』? 『お世話になってる』……?

 さっきから続く黒瀬の予想外の言葉は、俺を更なる迷宮へと誘っていく。

「いつもお前に……推しに助かってるんだって。せっかくリアルスパチャのチャンスなんだし、いいから貢がせて」

 ──『推しに助かってる』『リアルスパチャ』……口から飛び出る用語が、黒瀬のイメージとそぐわない。

 どうにか返金しようとする俺と、それを頑なに拒む黒瀬の攻防が続く。

 例え黒瀬にどんな言い分があっても、これは受け取れない。
 広告収入だけでも俺には過ぎたものだし、スパチャをオンにする予定も一切ない。それ以前に今の俺は、配信者としての『HAKU-shion』ではないのだ。

 自身のスマホを背後に隠して譲らない黒瀬に、俺は思わず叫んだ。

「お、推しって豪語するんだったら、推しの嫌がることするのは……なんか、ち、違くない……!?」

 黒瀬が「ぐっ……」と呻き、俺から物理的にスマホを遠ざけていた動きを止めた。
 うろうろと視線を彷徨わせた後、力なく項垂れる。

「……わかった」
 いつもの威圧感はどこへやら。しおしおになった黒瀬が、ようやく返金に応じてくれた。

 静まりかえった夕暮れの教室。
 台本は無事手元に戻ったが、状況は解決に向かうどころか、まったく思いがけない方向へと加速し始めていた。

 配信者としての正体を知られたどころか、あろうことか『推し』だと宣告してきた、学校一危険なクラスメイト。

 ──いや、マジで。一体何が起こってるんだ、これ。