『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

 黒瀬の家は、駅から徒歩十分もかからないマンションの一室だった。
 通されたそこは2LDKという、高校生のひとり暮らしには広すぎる間取りに思えた。モデルルームのように必要最低限の物が整頓されて置かれているが、それに比例するように生活感に欠けている。
 外の喧騒が嘘のように、しん、と静まり返った空間だった。

「手前がアクセサリー作ったりとかの作業部屋。奥が寝室」
 黒瀬が案内してくれる。……家に近づくにつれ、彼の口数は極端に減っていき、部屋に入ってからはさらに声音を硬くしていた。
「……誰かが家に来るの初めてだから、緊張する」
 黒瀬が少しだけ苦笑した。俺も友人宅に泊まるなんて経験は皆無だったので、緊張感は同じだった。
「黒瀬も緊張することあるんだ」
「そりゃ…………誰に対してもってわけじゃないけど」

 リビングには、ふたり掛けの大きなソファとローテーブルが置かれている。
 素直に「大きい」と言えば、「寝転がれるサイズ」と黒瀬が小さく笑う。来客を前提としたわけではなく、背の高い黒瀬が寝転べるように選ばれたようだ。

 ふたりでソファに並んで座って、黒瀬が「インスタントだけど」といれてくれたコーヒーを飲みながら、買ってきたケーキを食べる。
 マスターお手製のケーキはやっぱり絶品で、甘さが緊張を少しだけ解いてくれた。けれど、食べ終えたあとの沈黙が、また別のざわめきを連れてくる。
 黒瀬はどこか、ずっとソワソワしている。

「……あの、さ」
 やがて、黒瀬が僅かに伏せていた視線を上げた。

「前に俺が、ちゃんとしたいって言ったの覚えてる?」
 俺は頷いた。同時に『しかるべきシチュエーションで』と言っていたことまで、しっかりと覚えている。
「藍沢に、色々言っておきたいことあって。……ただ、あんまり深刻に捉えないでくれると助かるっつーか」

 黒瀬は空になったコーヒーカップを見つめながら、ぽつりと話を切り出した。

「俺が中学生の時、事故で両親が亡くなって」
「……事故」
「もらい事故。唐突で──当時は感情が追いつかなかったな」
 思わず体が強張った俺に気づいたのだろう。黒瀬は「もう、自分の中で整理ついてるから」と優しい声で告げ、どこか遠くを見るような目で話を続けた。

「俺、中学の時だけ親の仕事で海外にいたんだけど、その時に。──で。そんな状況だってのに、顔も名前も知らなかった親戚とか、普段うちの両親を悪く言ってたような連中が、いきなり俺に媚びてきたりとかして。……わかりやすすぎるよな。遺産とか、保険金とか。まぁ、結構な額だったらしくて。要はみんな、それ狙いだったわけ」

 吐き捨てるような黒瀬の言葉に、苦しくなる。

「マジで鬱陶しかったな……。こちとらそれどころじゃないのに。そのうち、周りの声が全部、ノイズみたいに煩わしくなって……眠れなくなったのもその頃からだと思う」

 黒瀬の目つきの鋭さは──もしかしたら、耳にたくさんついたピアスさえも、群がる悪意から自分を守るための、彼なりの鎧だったのかもしれない。

「好奇も、同情すらも嫌で堪らなくて、俺のこと……親のこととか誰も知らない場所へ行きたくて、帰国してからは、親類とか元々住んでた場所からなるべく遠い場所を探して、高校も選んだ。中学の時の知り合いとも、もう誰とも連絡取ってない」

 彼が『一匹狼』と呼ばれ、周囲を寄せ付けないオーラを放っていたのは、単なる性格の問題ではなかったのだろう。例え悪意がなかったとしても、環境が彼の繊細な心を傷つけていたのだ。異国の地での最悪の出来事。もちろん悪意だけではなかっただろうが、疑心暗鬼になっても仕方がない。

「あ。ちなみに遺産どうのはもう解決してるから。弁護士立てて、まあ色々。自称『親しい親戚』とは実質絶縁状態だし。……だからその、藍沢に迷惑をかけたりとか、変な連中が来たりとかは、ないと思うんだけど……」
「……全然、迷惑かけてくれてもいいけど」
「うっ……いや、嬉しいけど……藍沢って、不意打ちで真っ直ぐなこと言うから、その、照れる……」

 コホン、と咳払いをして黒瀬は視線を俯ける。

「まあそんなこんなで解決はしてるけど、眠れないのは治らなくて。部屋でひとり、静かにしているときが一番落ち着いた。……それなのに静かすぎるとやっぱり眠れなくて、配信サイトで環境音とか探して、それ流してた」

「──『HAKU-shion』を見つけたのは、そこだった」

「本当に驚いた。誰の声も鬱陶しくて、耳に入れたくないって思ってたのに、『HAKU-shion』の──藍沢の声だけは、ずっと聴いていられた。……安心できたんだよ」

「たまたま、指が滑って再生しただけ。ホント、ただの偶然。それが『HAKU-shion』の初配信だったなんて、すごくね?」
 黒瀬が、ふっと息を吐くように笑って続けた。

「──俺、運命なんて信じないけど」

 顔上げた黒瀬の瞳が、俺の目をまっすぐに射抜く。

「それでも、藍沢が、俺の運命だったらいいなって思ってる」