『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

 日付はあっという間にクリスマスイブに。
 学校帰り、黒瀬と例の喫茶店で少し早めの夕飯を摂って、今は食後のココアをふたりでまったりと楽しんでいる。
 店内は混んでいるというほどでもなく、程よいざわめきと緩やかなジャズが耳に心地よい。

 ──クリスマスイブの約束だから、何かプレゼントを贈るべきなんだろうか。
 そう気づいたのは、今朝のことだった。
 これまでは親からもらうばかりで、誰かへ自主的にプレゼントを贈るという発想自体が希薄だった。今年、紗枝と連名で両親にディナーを贈ったのが、俺にとっての初めてと言っていい。

 どうしたものか。
 当初、うちの家族も「何か手土産を」とワイワイしていたが、黒瀬が「うち、一人暮らしなんで」と遠回しに断ってきた。──黒瀬が一人暮らしだということを、その時初めて知った。
 黒瀬のこと、前よりもわかっているつもりだったけど、本当は知らないことの方が多いんだろう。そう思うと、何だか少し胸の奥が痛んだ。

 何かしらの『物』をもらうことが、黒瀬の負担になる可能性もある。ピアスなどを見ていると、拘りが強そうだし。俺のセンスなんて高が知れている。
 そうなると、現物のプレゼントじゃない方が良いだろう。黒瀬の喜びそうなもの、黒瀬が好きなもの──考えるまでもなかった。

「そんなわけで、黒瀬専用に『HAKU-shion』の声を贈ろうと思うんだけど、何かリクエストある?」

 俺が黒瀬にだけ聞こえる声量でそう訊ねると、黒瀬はココアを吹き出しかけた。

「っっ……あぶね、セーフ……え? 何がそんなわけで?」
「や、クリスマスプレゼントっていうか」
「ああ、そういう……」

 黒瀬は眉間に皺を寄せ、視線を彷徨わせ、何やら苦悩し始めてた。
 何かを必死に堪えるような沈黙のあと、結局「ありがと。気持ちだけ受け取っとく」と微笑んだ。

「正直、欲しくないって言ったら嘘になるけど──前にさ、無理やり藍沢に読ませたことあるじゃん」
「……ああ、あったね」

 最悪の形で秘密を知られた、あの日の放課後を思い出す。
 隣の席の、ただ怖いだけのクラスメイトだった男と、こうして向かい合ってココアを飲む未来が来るなんて、想像すらできなかった。
「あの時、『HAKU-shion』の言葉を、俺だけが聴いてるのもったいないって思って」
「……もったいない?」

「うまく言えないんだけど、『HAKU-shion』としての藍沢は独占するよりも、色んな人に届いて欲しいと思う。や、今でも十分な知られてるとは思うけど、全世界の人に聴いて欲しい。あの絶妙な息づかい。自然な語り口調なのに甘くて、でもときめくよりもホッとするっていうか、すぐ傍にいるけど、それも押し付けがましくない距離感で──」
「ストップストップ!」

 ……相変わらず黒瀬は、『HAKU-shion』の話になると口にターボがついたみたいになる。俺はまた、何度目かもわからない複雑な感情で苦笑した。
「だから、気持ちだけでいいよ」
 黒瀬はそう締めくくった。

 ──夕飯代は「せめてもの気持ち」と、黒瀬の分も両親に頂いている。黒瀬は遠慮したが、俺が「受け取ってくれた方が喜ぶよ」と言ったら、大人しく受け入れてくれた。

 俺は、レジ近くのショーケースを思い出す。
 そこにはマスターお手製のケーキがあり、その中には小さめのホールケーキがあった。……あれなら、ふたりでも無理なく食べきれるだろう。
「じゃ、ケーキ。それならいい?」
「俺が出すし」
「今日お邪魔するし、奢られてくれた方が俺は嬉しいけど……」
「う……」


 そんなわけで。
 ホールケーキをテイクアウトして、黒瀬の家へと向かう。

「そういやニナ、怒ってなかった?」
「クリスマスプレゼントに新しい寝床とクッションあげたらご満悦だったかな。俺が出掛けるまで、ずっとゴロゴロスリスリしてきて上機嫌だったし」
「……いいな」
「黒瀬、クッション欲しい? やっぱりプレゼント──」
「い、いいって! 今のはそういうんじゃ……」

 駅前を通りかかると、巨大なツリーとイルミネーションが視界を埋め尽くした。仕事や学校帰りの人々、そして多くのカップルが思い思いにその見事な光景を楽しんでいる。

 黒瀬と並んで歩きながら、俺もその美しさに目を奪われる。
 ……いつもは素通りしているその光景。

「イルミネーションとか……意識して見るの初めてかも」
 どうしてか、今日はひどく綺麗に見えた。
「……俺も」
 黒瀬の返答が、妙に近くで聞こえた気がして視線を上げる。……彼は煌びやかなツリーには目もくれず、その瞳はただ真っ直ぐに俺だけを映していた。
「ほ、ホントに見てる? イルミネーションはあっち」
「うん」
 素直に頷いた黒瀬が、ようやくクリスマスツリーへ視線を向けた。耳元の銀細工が、街の光を吸い込んで鋭く瞬く。

 ピアスをバチバチにつけた、目つきの鋭い男。悪い噂もあって、近寄りがたい。危険な一匹狼。
 それが世間の──そしてかつての俺が抱いていた黒瀬の印象だ。ある程度緩和してきてはいるが、未だに黒瀬をそう認識している人も多い。

 ──けれど。

 寒さで少しだけ赤くなった耳先。目元がほんの僅か細められ、白い息を吐く口元が、ゆったりと笑みを刻んでいる。

 俺の隣にはもう、鋭利で恐ろしい男はどこにもいなかった。