『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

 藍沢家のクリスマスは、イブに家族四人でささやかなパーティーを開くのが恒例だった。予約したホールケーキに、少し奮発したチキン。両親からの贈り物。
 けれど、今年の予定は趣が異なっていた。

 配信による収益もあり、姉の紗枝もバイトやらで懐に余力があった。
「お父さんとお母さん、たまにはふたりでゆっくりしてきなよ」
 そんな紗枝の提案で、今年は日頃の感謝を込め、姉弟から両親へディナーの時間をプレゼントすることになっていた。
 店の手配や予約は、そういった実務に長けた紗枝が率先して進めてくれた。俺がしたことといえば、当日の代金を折半するくらいのものだ。

 直前までその予定を失念していたのは、先週の体調不良で日付感覚が狂っていたせいもあるが、何より俺にとってのクリスマスは、家族との団らんがなければ、自分とは無縁の『浮足立ったカレンダーの記号のひとつ』に過ぎなかったからだ。

 紗枝も当日は友人と予定があるらしい。つまりその夜、家にはニナと俺だけが残るはずだった。

***

 翌朝。
 泊まりに来ていた黒瀬と並んで、藍沢家の朝食のテーブルに着く。
 相変わらず黒瀬は、その鋭利な見た目からは想像もつかないほど、礼儀正しく箸を動かしている。意外と言っては失礼だが、立ち振る舞いは常に端正で、育ちの良さが端々に透けて見える。
 家族はすっかり黒瀬のことを気に入っており、彼が家に来るのをいつも諸手を挙げて歓迎していた。

「あ……そうだ、明日の二十四日なんだけど、黒瀬の家に泊まりに行ってもいい?」

 昨夜の約束を思い出し、俺は味噌汁を飲み干したタイミングで切り出した。

 瞬間、食卓に劇的な静寂が訪れた。
 な、何だ……? 何か不味いことでも言っただろうか──不安が脳裏をよぎった次の瞬間、家族の顔にパッと花が咲いたような喜びが広がった。

「あら! いいじゃない! ねぇ、お父さん?」
「うんうん! いやぁ、それはいい。嬉しいもんだな」

 父さんは目尻を下げて何度も頷き、母さんは弾んだ声で同意する。
 この喜びようはどうかと思うが、変声期以降、友人と出かけることも、ましてや泊まりに行くこともなかったのだ。両親が心底から安堵するのも、当然かもしれない。

 ──けれど。
 黒瀬の対面に座っていた紗枝が、テーブルを避けるように身を乗り出し、ニヤニヤしながら黒瀬に耳打ちしているのがどうにも気になる。
「黒瀬くん……ついに?」
「その、まぁ……はい」
 ……ちょっと距離、近くないか?
 黒瀬も黒瀬で、耳まで真っ赤にして俯いている。そういえば、いつの間にか連絡先も交換してるんだった。なんとなく面白くない気持ちで紗枝を半目で見やると、彼女はさらにニタリと笑みを深めた。

「……ふ~ん? そういう感じか。大丈夫だって黒瀬くん、自信持って。勝機しかないから!」
「いや、そんなこと……絶対とかないんで──とにかく、責任を持って、奏くんをお預かりします」
 黒瀬は姿勢を正し、両親に対して深々と頭を下げた。その横顔は、いつになく真剣で、どこか決死の覚悟すら漂っている。

「黒瀬くん、そんなに固くならなくて大丈夫よ。奏のこと、よろしくね」
「そうだよ。黒瀬くんさえ良ければ、いつでも連れ出してやってくれると嬉しい」
 両親はニコニコと、これ以上ないほど温かく黒瀬を受け入れた。
 黒瀬はそこで、ホッとしたように肩の力を抜いた。……その緊張は、一体どこから来るのだろう。

 ただ、友達の家に泊まりに行くだけ。
 そう自分に言い聞かせても、家族の異様な歓迎ぶりや、黒瀬の覚悟のような熱を目の当たりにすると、胸の奥がざわざわと落ち着かない。
『友人宅への外泊を、親が快諾してくれた』──客観的に見れば、ただそれだけのこと。けれど、本当にそれだけなのだろうか。

『……藍沢。俺、ちゃんとしたいっつーか……しかるべきシチュエーションでって考えてて……』

 昨夜の黒瀬の言葉が、脳裏を掠める。
 ──そんな俺の思考を遮るように、黒瀬が情けない声を上げた。

「ニナ、わざとでしょ。わざとやってるでしょ」

 足元を見れば、ニナが黒瀬の足をわざと後ろ足で踏んづけながら、尻尾でペシペシと臑を叩いていた。