『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

 放課後になり、担任に呼び出された黒瀬を待つ間、俺は手洗いを済ませ、ひとり廊下を歩いていた。
 すると、前方の角からノートの束を山ほど抱えた女子生徒が現れた。
 ……確か、同じクラスの高城さんだ。ずり落ちそうなノートに気を取られているためか、足取りは覚束ない。

 ふと、抱えたノートの山が大きく傾く。
 俺は気づけば手を伸ばして、崩れかけたノートを横から支えていた。

「……あ、も、持つ、よ」

 ──咄嗟に喉から出たのは、引っかかったような低いボソボソ声。我ながら不審すぎる。
 案の定、高城さんは驚いたように肩を揺らし、目を丸くして俺を見上げた。

「藍沢くん。でも、それ結構重いし……」
「……む、むしろ、余計に……ひとりじゃ……」

 本当は「ひとりじゃ大変だし、手伝うよ、どこまで運べばいい?」くらい、シンプルに言いたかったのに、実際に出たのは短い単語の羅列だけ。高城さんに申し訳なさ過ぎる。

「職員室なんだけど。ごめんね。私、半分持つよ」
「……あ、い、いや、だ、だいじょうぶ、すぐそこだし……」

 結局、その後はほとんど無言で職員室まで運びきった。

「ありがとう、藍沢くん。何かお礼……」
「……い、いいよそんなの」
 そのまま「じゃ、じゃあ」逃げるようにその場を去った。

 階段の踊り場に誰もいないことを幸いに、俺は壁に寄りかかって深く溜め息をついた。
 ここ最近、黒瀬とは普通に話せていたから、少し調子に乗っていたのかもしれない。人はそう簡単に変われるものでもなく、通常の俺はやっぱり、対面ではまともに喋ることすらできない。

 ──絶対キモかったよな、俺。
 無視できなかったと言えば聞こえはいいけど、親切の押し売りとも言えるし……。

「藍沢」
「うおっ……!?」

 不意に背後から声をかけられ、心臓が跳ねた。

「──くっ、黒瀬……」
「今、職員室にいた?」
「……あ、ああ……うん、ちょっとだけ……。
 用件を済ませたらしい黒瀬が、踊り場への階段を上りながら声をかけてきていた。
 ってか。黒瀬、もしかして職員室にいたのか。気づかなかった……変なところ見られてないといいけど。

 彼はすぐ傍までやって来ると、腕を組み、ピアスの銀を鋭く光らせて、じっと俺を見下ろしてきた。
 その瞳はいつもより鋭く、据わっている。
「黒瀬……?」

「──女の子と一緒にいたでしょ」

 ムッとした、拗ねているような口調だった。

「い、いたっていうか……手伝ったっていうか。親切の押し売りをしただけっていうか」
 言っているうちに、どんどん情けなく思えてくる。いっそこのまま蹲ってしまいたい。
「絶対、気まずい思いさせたし……」
 俺がしおしおと肩を落とすと、黒瀬は毒気を抜かれたように、ふっと表情を緩めた。そして何かを言いかけた後、少しだけ複雑そうな顔をして職員室の方を向いた。

「……そんなことなかった、と思うよ」
 どこか含みのある言い方だった。
 何事かと問う前に、別の生徒の足音が聞こえてくる。黒瀬はそっと俺の袖を引いた。そのまま促されるように歩き出す。
「帰ろ」
「うん……。俺、家族と黒瀬以外だと、まだ全然ダメだな……うまく喋れない」
 黒瀬はこちらを振り向いて、静かに笑った。

「俺は今、ちょっとフクザツ」
「ふくざつ?」
「機嫌良くなっちゃダメなのにっていう……罪悪感に近いかも」
「何だそれ」

 返答の代わりとばかりに、黒瀬の、俺の袖を掴んだ指先の力が増した気がした。