『ガチ恋ではない』と彼は言うけれど 〜隣の席の鋭利な一匹狼は、俺の声に心酔する古参リスナーでした〜

「感想言われんの嬉しいけど、どうしていいのかわかんなくなる……」
 未だに頬を赤く染めたまま、黒瀬が「藍沢の気持ちわかったかも」と戸惑ったように呟いた。

 黒瀬とは、なんとなくそのまま同席する流れになった。
 以前と同じ、一番奥のソファ席。
 黒瀬は俺の「対面で話すのが苦手」という性質を覚えていてくれたのか、さりげなく斜め前の位置に腰を下ろす。……動揺してる様子でも、咄嗟にそんな配慮ができる彼を、俺は素直にすごいと思った。

「ああいうアクセサリーって、個人で作れるんだ」
「まあ……うん。独学に近いし、全然、まだまだだけど。……ひとりでも作れるし、作ってる間は無心になれるし、自分のやりたいように……好きな形にできるし」
 黒瀬は手元のグラスを弄りながら、淡々と語った。
「で。せっかく作ったからって、つけるじゃん」
 黒瀬は長い指でさらりと髪を耳にかけ、そこにあるピアスをよく見せてくれる。
「そしたら、たまたま立ち寄ったここで、マスターが気に入ってくれて、『ここに置きませんか』ってなって、今に至る感じ」
 俺は、棚に並んでいた銀細工を思い出しながら、彼の耳元で静かに光るピアスを見つめた。

「だからそんなに綺麗なのかも」
「……え?」
「ひとつひとつ形が違うのに作った人が明確にわかる。それって、それぞれに黒瀬の感情が乗っかってるからなのかなって。自分の内面を形にして、こう、昇華してるみたいな。鋭いのにあったかい。触れたら怖いかもって思うけど、少し近寄ればそれだけじゃないって気づける。……黒瀬そのものみたいで、好き──」

 そこまで一息に言い切ってから、俺はハッと言葉を止めた。
 自分でも驚くほど、言葉が溢れて止まらなかったのだ。
 寝不足のせいで理性のタガが外れていたのか、この喫茶店の雰囲気がそうさせるのか──あるいは、黒瀬の作品が、目の前の彼がそれほどまでに、俺の心の深いところを揺さぶったのか。

 ……というか、ひどく不躾なことを言った気がする。
 これではまるで──。

「ちゅ、注文、何にする藍沢っ」

 黒瀬は沸騰したのではないかと思うほど赤く染まった顔のまま、慌ててメニューを開く。
 明らかに照れ隠しだったが、注文は早いに越したことはないだろうと、俺もメニューと向き合う。

「実は、こないだ黒瀬が食べてたナポリタンうまそうだったから、それ食べに来たんだ」
「ちなみにマジでうまい。俺もそれにしよ。他は?」
「黒瀬のオススメはある?」
「…………」
「……黒瀬?」
 黒瀬は言い淀むように何度か口を開閉した後、消え入りそうな声でボソリと言った。

「──ココア」
「ココア」
「……今、子供っぽいって思ったでしょ」
 そう言って、口を尖らせてそっぽを向く。
 黒瀬瑛理という人間は、結構可愛い存在なんじゃないか──今まで抱いていた疑惑が確信に変わる。
 ──可愛いな、コイツ……。
「子供っぽいとか思わないよ。眠れない時とか、俺も飲むし」
「……なんか、大人な対応された気がすんだけど……」
 鋭い目つきで不満げに睨まれても、今はまったく怖くなかった。

 マスターを呼び、つつがなく注文を終える。
 ふいに落ちた沈黙の中、窓の外を眺める黒瀬の横顔に目を向ける。昨日の今日で、隈が劇的に消えるわけではないだろうが、その表情はやはり、心なしか穏やかに見えなくもない。
「何?」
 視線に気づいた黒瀬が、こちらを向いた。
「あ、いや……」
 昨日の配信は聴いたのか。そんな自意識過剰な問いは、自分からはとても言い出せない。
 黒瀬は不思議そうに首を傾げた後、「そういえば」と目を細め、口角を緩く上げた。

「昨日さ。めっちゃ寝れた──『HAKU-shion』の配信のおかげで」
「そう、なんだ」
 ソワソワとする俺に気づかない様子で黒瀬が続ける。

「今回は『眠れないあなたへ』ってタイトルだったじゃん。ホント、その通りっていうか。いつもは色んなシチュでやってくれて、それ聴いてると安心してうとうとって感じだったけど、昨夜のは……なんていうか、言葉と声に包まれて、ずっと『よしよし』されてるみたいなみたいな……や、ホント、変な意味じゃなくて。声の距離感も、吐息の混じり方も、いつもよりずっと──」

 ──ものすごい熱量に俺は、嬉しいながらも反応に困ってしまう。
 効果があったようで何よりだけれど。
 戸惑う俺に気づいたのだろう。ハッとした黒瀬が、気まずそうに顔を伏せた。
「ごめん……こういうの、藍沢の前で言わないようにするっつったのに、俺……」
「リスナーとしての血が騒いじゃって、我慢できなかった……」としおしおになっている。

「……いいよ。今の俺は、ただのクラスメイトなんだから」
 今はマスターは調理で奥に引っ込んでいて、周囲にお客さんもいない。感想の熱量はあれど、大声で騒ぎ立てていたわけでもない。TPOさえ弁えていてくれれば、問題ないだろう。黒瀬にはすでに、十分すぎるほど、色々と配慮してもらっているし。俺だって散々黒瀬に感想を言ったし。
「……せめて、学校では言わないって誓う」
「うん。それでいいよ」


 運ばれてきたナポリタンは黒瀬の言う通り、本当に美味しくて、あっという間に平らげてしまった。
 食後のココアもさすが黒瀬のオススメだけあって絶品で、満足度がすごい。
 少しずつ飲みながら、まったりとした時間が流れる。
 胃が温まり緊張が解けると、遠くに行っていたはずの睡魔が、容赦なく襲ってきた。
「ホントあれ、よく眠れた。助かる」
 黒瀬はまだ、言い足りないとばかりにそう告げてきた。
「……良かった。黒瀬、あんま寝れてなさそうだったから」

 一瞬の沈黙があった。
「──もしかして、俺のため?」
 黒瀬の問いに、俺は半分夢心地のまま、言葉を返した。
「まぁ……うん。これまでもリクエストは受け付けてたし。……いや、黒瀬はリクエストしたわけじゃないけど」
 俺の回答に、黒瀬が密やかに笑って口を開いた。
「嬉しいような、ちょっとだけ残念なような、でも安心したような気持ち」
「何それ」
「フクザツなファン心理ってやつ」
 黒瀬が、つんと、そっぽを向いた。……俺はそんな黒瀬をどこか微笑ましい気持ちで見ながら、ひとつ欠伸を零した。黒瀬の声が、今は心地よい子守唄のようだった。

「でも、生身の、ただひとりの人に向けてっていうのは……黒瀬が初めてだよ。黒瀬だけ」

 黒瀬の息が、詰まるような音がした。

「…………藍沢って、何か……」
「ん……?」
「──あんま、そういうの、他のヤツには言わない方がいいよ。……心臓に悪い」
「そういうの……」
「俺は、ホラ、ガチ恋じゃないし。だから、大丈夫……大丈夫、だけど……勘違いするヤツは、勘違いするし」

 黒瀬が何て言っているのか、ほとんどもうおぼろげだった。
 時折カラン、と鳴るドアベル。マスターの淹れるコーヒーの香り。ゆったりとした黒瀬の声。瞼が重い。これ、寝ちゃいそうだなと。どこか、俯瞰した自分がいる。

「……藍沢?」

 呼ぶ声が遠い。
 必死に目を開けようとするけれど、意識は抗いようのないまどろみの底へと沈んでいった。