【完結】夏に溺れる。~俺のことがずっと好きだった親友は死んでからも俺を離さない~


「なにがあったの?」
「花崎先輩……」

 彼の優しさがいまは煩わしい――はずだった。でも、廊下にでて先輩の顔を見たとたんほっとして体から力が抜ける。たすかったと俺は息を吐きだした。

「……下に行こうか」

 リビングにはほかにだれもいなかった。ソファに向かいあって座り、俺は黒川のことを先輩に教える。
 黒川には気をつけたほうがいい。ここに入ってすぐ花崎先輩やほかの上級生に忠告されていた。特にあいつは俺みたいなきれいな顔をしたやつが好みだからと。

 たしかに、なにかと粘ついた視線で見られたり部屋にこいと言われたりはしていた。でも花崎先輩が目を光らせていたし、夕斗が一度キレてくれたおかげで変なことにはならなかった。……いままでは。

 話を聞きおえ、花崎先輩は考えこむようにあごに手をあてる。彼がいつも右手首につけている銀のブレスレットが揺れた。

「あいつも困ったな……。大丈夫? 夏休みのあいだだけでもほかの寮に移れるよう先生に相談しようか」

 黒川を避けるにはそれが一番いいのだろう。もしくは帰省してしまうか。
 でもそれでは意味がない。俺は首を横に振る。

「……夕斗と一緒の部屋から、移りたくない、です」
「そう……」

 なら僕が隣の部屋を借りようか、と言ってくれたがそこまでさせるわけにいかない。大丈夫ですと俺は自分の足下を見ながら答えた。

「ひとりでなんとかします」
「けど――」
「鍵だってかけられるし。いざとなったら部屋に閉じこもるんで。……さっきはたすかりました。ありがとうございました」

 花崎先輩の顔を見ないまま頭を下げ、俺はリビングをでる。
 彼が俺を心配してくれているのはわかる。でも俺は――それに付随する人間関係から逃れたかった。
 夕斗が死んでからじゃない。ずっとまえから。

 草創館のなかよりも外のほうがまだ涼しい。乾いた風に半袖シャツをはためかせながら俺はあてどなく歩く。本校舎にはまだ先生たちが残っているらしくひとの気配がした。

 夕斗の死因は心臓突然死――いわゆる心臓麻痺だと担任から説明があった。これは年齢に関わらずだれにでも起こりうることだと。
 でも、じゃあ、なんで夕斗だったんだ? 俺はそう思わずにいられなかった。
 だれにでも起こるなら夕斗以外のだれかでもよかった。俺だって。どうして夕斗が死ななきゃいけなかったんだ?

「……う、」

 急な吐き気を覚えて俺は立ちどまった。口元を手で押さえ、中庭が近いことをたしかめてから渡り廊下を横断して東屋のベンチに行く。
 崩れおれるようにゆっくり横になった。

 ……この吐き気について医者からはストレスが原因だと言われている。つまり心因性のもの。静かなところで休んでいればそのうち治る。

 吐き気止めは常備しているけど通学鞄のなかだ。バカだな、と俺は自分を罵る。文化祭のときも同じ失敗をしたくせに。

 去年、俺のクラスはお化け屋敷をやった。俺は午前中だけ受付。それが終わってから、昼飯を買いがてら夕斗たちバスケ部がやっているタコ焼き屋に顔をだした。
 きてくれたんだ、と三角巾とエプロンをした夕斗は俺に気づいて接客用の六部咲きくらいの笑顔からさらに満開になった。

『タコ増やす? ソース多め? マヨは? あ、かつお節増量にしてあげようか』
『……夕斗って飲食業向いてないな』
『なんでだよー』

 彼が俺に差しだしてきたタコ焼きはかつお節がこんもり盛られていた。先輩たちには内緒なと声をひそめる夕斗を横にいた先輩が『ぜんぶ聞こえてるっつーの』と小突く。

 夕斗は一時までシフトが入っているので、それが終わってからふたりで色々回ろうという話になっていた。
 俺は無邪気に手を振ってくる夕斗と別れて中庭に行く。昼飯を食べているひとたちでにぎわっていたが、タイミングよく東屋にいた家族連れが立ちあがったので入れかわりでベンチに座った。

 しばらくかつお節の味しかしないタコ焼きを食べて、夕斗の仕事が終わるまでどこで時間つぶそうかな、と考えていたときふいに気分が悪くなった。

 ……あ、最悪。

 文化祭の日にこなくたっていいのに。口のなかに残っているソースが急に酸っぱくなる。
 周りに心配させないため、端から見たら寝てるだけに見えるように俺はテーブルの上に腕をのせてそこに顔を伏せた。込みあげてくる胃液を必死に飲みくだそうとする。

 夕斗との待ちあわせ場所は昇降口だ。俺はスマホを持ってないから彼にここにいることを伝えられない。
 時間になっても俺がこなかったら夕斗は困るだろう。治さなきゃ、と思うけど不快感は消えるどころかさらにひどくなっていく。
 気持ち悪い。自分の体なのに思いどおりにならないのが悔しくて涙がにじんだ。

『……りお? 寝てる?』

 どれくらいそうしていたのだろう。荒波に揉まれているみたいな不快感のなかに、あたたかい陽だまりみたいな声が届いた。俺はゆっくり顔をあげる。

 夕斗は俺の顔を見て目を丸くした。真っ青なんだけど、とつぶやく。

『先生呼んでこようか。あ、保健室? 肩貸すよ。立てる?』
『……平気』
『そんな顔で平気もなにもないだろ。ほら、りお』

 俺は小さく首を振った。べつにめずらしいことじゃない。休んでればよくなるから、と何度も小休止をはさみながら言う。

『……ほんとに?』

 うなずく。

『わかった。りおがそう言うなら……。てか、たまに保健室消えてたのってこれ? よくあることなの?』
『……最近は、すくなかったけど』
『俺にはサボりだって言ってたじゃん』

 なんで正直に言ってくれなかったんだよ――と怒ろうとして、夕斗は『ごめん、具合悪いのに』と謝ってきた。
 彼が謝る必要なんてない。俺がだれかに弱みを見せたくなかっただけ。でも口にすると吐いてしまいそうで俺はなにも言えなかった。

『待ってて、水買ってくるから』

 夕斗はそう言って走りだそうとする。そのTシャツの裾を俺は気がつけばつかんでいた。考えるより先に。

『りお……?』
『…………』
『えっと……俺にそばにいてほしい感じ?』

 ほんの数ミリ俺は首を動かして肯定した。それでもわかったらしく、『了解』と夕斗は俺の横に座る。
 俺はほっとして手を離し、またテーブルに顔を伏せた。

 夕斗は俺の背中を手のひらでなでる。
 あの日から怖い人間の体温。それに気持ちがほぐされていくみたいで、俺は目を閉じる。

 周りの喧噪はすぐに聞こえなくなった。ここには、俺と夕斗のふたりだけ。

 夕斗の手のひらは大きかった。どちらかと言えば子供っぽくて、いつも俺が面倒見てやっているのに、このときの夕斗は年上みたいに頼もしかった。

 ゆっくり背中をなでられているうちに吐き気がマシになっていく。夕斗ってさ、と顔を腕にのせたまま俺はつぶやく。

『背中なでるの上手いな。……手、大きいし』
『俺、そんな身長ないのを手の大きさでカバーしてるから』
『そうなの?』
『うん、知らん』
『……なんだよそれ』

 適当な返事に俺は笑う。夕斗も微笑みかえし、眼鏡外す? と尋ねてくる。

『……うん』
『顔あげて』

 べつに眼鏡くらい自分で外せる。でも俺は――このときの夕斗に世話を焼かれたかった。
 黙って言われたとおりにすると夕斗は俺の眼鏡の弦に両手を添える。
 目がいい彼にとってこの矯正器具は未知なのだろう。慎重に耳から外す手つきがなんだかおかしくて、いじらしかった。

『……ありがと』
『あ、……うん。これ畳む?』
『うん。レンズ上にして置いといて』

 夕斗が眼鏡の弦を畳んでテーブルに置く音を聞きながら俺は目を閉じて姿勢をもどす。でも彼と話していたかったから、『ってか、ここよくわかったな』と言った。

『待ちあわせ場所、玄関だったのに』
『わかるよ。りおのことだし』
『……ふうん』
『りおが呼んでくれたらどこにいても飛んでいくから』

『……ほんとに?』と俺は小さくつぶやいた。俺にそんなこと言ってくれるひと、いままでいなかった。
 あたりまえじゃんと夕斗が笑う。

『俺、りおが思ってるよりずっとりおのこと好きだよ?』