夕斗の葬儀はへたくそな芝居みたいに大袈裟でわざとらしかった。
去年の文化祭で写真部が撮ったという遺影とか。白と黒の鯨幕とか。染みひとつない菊の花とか。夏服の俺たちとか。……棺のなかで眠っている、夕斗とか。
花にかこまれて眠っている彼の寝顔はいつものそれとなにも変わらなかった。ヘアピンははずされていて、ピアスもしていなかった。左前の白い着物――経帷子もなにかの衣装にしか見えなくて、夕斗のそばに菊の花を置く自分自身も芝居しているみたいに感じられた。
クラスメイトやバスケ部のやつらは棺に夕斗が好きだった漫画やユニフォームを入れていた。すすり泣きながら。俺は手ぶらだったし、泣くこともできなかった。
だってこんな芝居聞いてない。夕斗が死ぬ? そんな筋書きいかれてる。だけど文句を言うべきだれかは見当たらなくて、いかれたまま脚本は次へ次へと進んでいって彼との別れの時間が終わりを告げた。待ってくれよ、と俺は口のなかでずっとつぶやいていた。
待ってくれよ。このままじゃ、ほんとに夕斗が死んじゃう。
夕斗が眠っている棺が運びだされていく。参列席にいた俺はだれもそれを止めようとしないことに焦った。どうして? 夕斗、このままじゃ火葬場に連れていかれちゃうのに。
『待っ……』
気がつけば俺は立ちあがっていた。みんなが不思議そうに俺を見上げる。
俺は席の間を抜け、ふらふらと棺に――夕斗に近寄った。礼服を着た葬儀社のひとたちに訴える。
待って。待ってください。夕斗、まだ生きてるんです。
連れていかないでください。
担任が俺の肩に手を置いた。俺はそれを振りはらうこともできず、待ってください、とくりかえす。
黒い服をまとったひとたちは痛々しそうに目を伏せた。
『なあ夕斗、はやく起きろよ。寝たふりなんてしてないで。なにふざけてるんだよ』
『……夜津。やめなさい』
『夕斗! いい加減起きろって、はやく帰るぞ!』
担任の目くばせを受け、葬儀社のひとたちは歩みを再開する。夕斗を連れたまま。
待って、と俺は手を伸ばしたが担任に両肩をきつくつかまれてそれ以上近づけなかった。
どうして?
夕斗はまだ生きてるのに、どうして勝手に連れていくんだ?
夕斗の家族が退屈そうにそのあとをついていく。
赤茶けた髪の母親。剃りこみの入ったガタイのいい義父。その遺伝子を強く引きついだ義兄。喪服が似合わない三人は、式の最中、何度もあくびを噛みころしていた。
『夕斗……』
俺が彼の名前をつぶやくと夕斗の兄が振りかえる。
そいつは錯乱する俺をじろじろ眺め、口を歪めるようにして笑った。
『キショ』
まともな家族じゃない、ことは、夕斗本人の口から聞いて知っていた。
最初は母と息子のふたり暮らし。いつの間にか知らない男がアパートに通ってくるようになって、いつの間にかその男の家で暮らすことになっていた。男の息子と四人で。
かあちゃんがそいつのまえでは"女"になるのがいやだと言った。そいつがかあちゃんの体を子供のまえでもなでまわすのがいやだと言った。そいつの子供が親に見えないところで殴ったり蹴ったりしてくるのがいやだと言った。
だから高校は全寮制のところをえらんだ。そいつらと離れたかったから。
家族のところに帰らずに済むならあとはどうだってよかったけど、
『同室、りおでラッキーだったな』
そう言って、おどけてピースしてみせたのに。 やっと自由な暮らしがはじまったと言ってたのに。
どうして――。
モノクロの回想に蝉の声が混ざる。
どうやらベッドで考えごとをしているあいだに寝てしまったらしい。寝ていた――というより、気絶していたというほうが近いのだろうけど。
夕斗がいなくなってから俺はまえのように眠ることができなくなっている。
重い体を起こし、眼鏡をはずしてまぶたを拳でこすった。
どうしてあんなときのことを思いだすんだろう。夢を見るなら夕斗が生きていたときの夢を見たかった。夕飯が肉じゃがでガッツポーズするときのこととか、漫画を読んでるうちに熱くなりすぎて『叫んでいい!?』と俺に許可を得ようとしてきたときのこととか(もう夜だったから止めた)、こそこそとわざとらしく机で日記を書いてたときのこととか。
「あ……、」
日記。そういや、あいつ書いてたっけ。毎日じゃなかったけど。
なに書いてんの、となに書いてるか聞いてほしいアピールに負けて聞いてやったら『おしえなーい』と言いやがったから枕を投げつけてやったんだった。
いつだっけ? きっともう一年以上まえだ。
『りお、俺の日記俺が死んだら読んでいいよ』
『は? 興味ないんですけど』
そんなやりとりをしたのは――もうちょっとあと。文化祭が終わってからだ。
なんで夕斗はあんなことを言ったんだろう。……いや、深い意味なんてない。一生に一度のお願いとかそのレベルの軽口だ。
『りおは読んでもいいけど。でも絶対うちの家族には読ませないで。それくらいだったら焼いといて』
そのあとの夕斗の言葉だって。きっと……。
「…………」
ほんとうに――深い意味は、なかったんだろうか。
家族に読ませたくないというのは絶対に夕斗の本心だ。だから俺はその言葉だけは守らなくちゃと思っていた。もっとも、あいつらは遺品自体に興味がなかったみたいだけど。
俺なら読んでもいい、っていうのは?
どこまで本気で言ってたんだ?
ベッドに腰かけたまま俺は夕斗の机を見つめる。あそこの一番上の引きだしに彼の日記は入っている。どこにでもある大学ノートで、表紙には『DIALY』とマジックで書かれている。
『ダイアリーならLじゃなくてRじゃね』
『え?』
『それだとデイリー』
『いや、あってますけど? 俺はデイリーって書いたんですけど?』
『大丈夫かよ、高校生……』
あまりにも単純なスペルミスを思いだして俺は吹きだす。
ああ、そうだ。よく勉強見てやったけど、あいつスペルミスとか途中式のミスとか多かったんだよな。そのくせ配点の多い難問はちゃんと解くんだ。要領いいのか悪いのかぜんぜんわからなかった。
「バカだよなぁ……」
一回、西永を西水って書いてテス返のときに先生にネタにされてたこともあった。みんな笑ってたのに、なんでか俺だけ『笑うなよぉおおりおぉお』と情けなく泣きつかれたんだった。
……ああ。
こんな思い出なら、いつまでだって思いだしていられるのにな。
あいつの日記にも――こんなどうでもいいことばっか書いてあるのかな?
そう思うとにわかに興味が湧いた。夕斗に確認取ることはできないけど……でも、ああ言われていたし俺ならあいつの日記を読んでもいいのかもしれない。
だよな? 夕斗。
すぐに日記を探そうとしたけど、クーラーもつけずに眠っていたせいで手が汗ばんでいた。トイレで洗ってこようと俺は部屋をでる。
草創館の二階のトイレはほかの寮のやつらに見せると発狂すると言われている。
青いゴムサンダルはぼろぼろ、タイルはひび割れて黒ずんでいて、小便器は描写するのが忍びない有様だし個室だって幽霊もここにでるのはいやがるだろうと思うようなひどい状態だ。蛍光灯も何度換えてもちかちかする。
なので一年の頃はわざわざ一階のトイレを利用していたけれど――下の水回りは何年かまえに改修されたばかりだ――二年にもなるとそんなものどうでもよくなる。
俺は戸を押しあけてサンダルに履きかえた。回りにくい蛇口をひねって、一応は清潔な水をだす。
生あたたかい水で手を洗っているとトイレのドアが開いた。ちらっと横目で見て、俺は反射的に神経をとがらせる。
三年の黒川は俺の顔を見ると、「おまえも今年残んのか」と言ってきた。
「……はい」
「ふうん。じゃ、いつ俺のとこくる?」
「は?」
「まえから言ってんじゃん。楽しいことして遊ぼうって」
黒川はサンダルをつっかけると俺の横にきた。俺は水を止め、彼の横を通りぬけようとしたが肩をつかまれる。
逃げんなよ、と蛇のようにぬるりとした声でささやかれた。
「悪いようにはしないからさ」
「……すみません。用事があるので失礼します」
「俺、夜津みたいなやつけっこうタイプなんだよね」
黒川は俺より頭ひとつ分は背が高い。肩につきそうなくらい長くてぼさぼさの髪を揺らし、彼は俺の顔に自分の顔を近づけてきた。
「そのいやそうな顔を隠しもしないとことか。俺、大好き。泣かせて謝らせてやりたくなる」
「…………」
「それとも俺がおまえの部屋行こうか? 同室のやつ死んだから空いてるよな?」
このひとは俺を怒らせようとしてわざとこんな言い方をしている。わかっているけれど、夕斗の死を揶揄するような言葉にかっとなった。
「ふざけ……っ」と俺が叫んだ直後、肩をつかんでいた黒川の手が俺の胸倉をつかむ。おい、と体を揺さぶられた。
「先輩に歯向かってんじゃねえよ。殺すぞ」
「…………」
「あ? なんか言えよ。先輩が話しかけてんだろ。いまここでやってやろうか? これから夏休みだもんな、あ、ちょうどいいや、先輩尊敬できないガキには指導してやらねえと」
黒川の目が血走りはじめる。やばい、と思ったとき廊下から「夜津? どうかしたの?」と花崎先輩の声がした。
ちっと黒川は舌打ちして俺を放す。
「覚悟しとけよ」
トイレのドアを開けて廊下に飛びだす直前、そんな声が後ろから聞こえてきた。


