まぶたの裏が白くなっていく。
けだるい夏の朝の気配に呼ばれるようにして俺は目を開けた。
木製のテーブルとその向こうにあるくすんだ白い校舎が視界に映って、ここはどこか考えて、学校の中庭にある東屋だと気がついた。
……どうしてこんなところに?
疑問に感じてから思いだす。
昨夜のこと。
夕斗と混ざりあおうとした夜のことを。
「ゆ……、」
彼の名前を呼ぼうとしたとき、それにかぶせるように「起きた?」とだれかに言われた。
俺はその声がしたほうに首を動かす。
「花崎、先輩……」
俺はベンチに寝かされていて、さらに彼に膝枕されているようだった。すみません、と謝ってどこうとしたけど体が動かない。
いいよ、寝てて、と先輩はそっと言った。
「先輩――無事だったんですね」
「なんとかね。そっちこそ大丈夫?」
「なんとか……」
心臓も、背骨も、なんともなっていない。はずだ。
右手を持ちあげると人差し指の変色はほとんど治っていた。ただ、動かそうとすると力が入らない。神経が断ちきられたみたいだ。
――夕斗とキスをしているとき、なにかに守られた感覚があった。
きっと。きっと、あれは。
テーブルの上には夕斗の日記が置かれていた。先輩が拾ってくれたのだろう。眼鏡もたたまれた状態で置かれている。
夕斗は俺の人差し指だけ持っていった。そう思った。
ほんとうはすべて持っていくことができたのに。俺を喰らいつくすことができたのに。
俺がこの世界で生きることを願って――
「……っ、」
でも、俺は夕斗と一緒に消えたかった。彼がいない世界なんてどうでもよかった。
夕斗がいないなら、俺には、もう、
涙があふれそうになったとき、俺の髪を花崎先輩が優しくなでた。
その手つきは夕斗とそっくりで。俺ははっとして彼の顔を見る。
花崎先輩はさびしそうに俺の名前を呼んだ。
「俺がそばにいる。だから、そんな顔しないで」
自暴自棄な気持ちをその手がほぐそうとするようだった。
……そうだ。先輩たちは命がけで俺を守ろうとしてくれた。
その気持ちを無碍にしてはいけないと――頭では、理解できるけれど。
俺は腕で自分の目元を覆い、「……だったのに」
としゃくりあげる。
「俺だって、夕斗のこと好きだったのに」
「……うん」
「夕斗さえいてくれればあとはどうだってよかった。あいつになら、指以外もぜんぶあげたのに」
――どうして。
どうして、ひとりで消えてしまったんだろう。
朝の風景に昨夜の名残はない。真新しい太陽の光も。涼しい風も。草木の匂いも。夕斗のことをなにも憶えたいない。
まるでなにもかもが夢だったみたいだ。
夕斗が帰ってきてくれたことも、彼と混ざりあおうとしたことも、すべて。
だれかに言われたわけじゃないけどわかる。夕斗があんなふうに部屋にやってくることは、もう、二度とない。
夕斗は消えてしまったんだ。俺のために。
俺を喰べてしまわないために。
そうすることが――
きっと、夕斗の最後の愛情だったから。
俺がいまこうして生きているのは夕斗のおかげだ。夕斗が俺に生きていてほしいと願ってくれたおかげ。
俺はその想いを受けとってこれからも生きなくちゃいけない。
わかっている。わかっている、けど。
声を押しころして泣く俺を花崎先輩は静かに見守ってくれていた。
やがて。
優しく微笑みながら彼は言う。
「俺も同じ気持ちだよ」
一瞬、なにを言われたかわからなかった。
どういう意味か尋ねるように俺は腕をずらして彼の顔を見る。先輩は俺が無意識でずっとにぎりこんでいたらしいブレスレットを指でつまみあげた。
「最後の最後でこれに邪魔されちゃった。ま、代わりの体があったからいいけど」
「花崎先輩……?」
彼はブレスレットを地面に落とす。ちゃりん、と小さな音。
――なにかに守られていた。その不思議な感覚が、消える。
彼は俺を見下ろすと、
あの夜とまったく同じように、俺の頬に手のひらをあてて笑った。
「残り、もらうね?」
――了


