初めてりおを好きだと思ったのは文化祭の日だったけど。
あれがなかったとしても、いつかはこの気持ちを自覚していた気がする。
「ただいまー、りお」
「……ん。おかえり」
風呂からでて部屋にもどるとりおはベッドの上であおむけになって本を読んでいた。宿題はもう終わったんだろう。わからないとこ、あとで聞こ。
りおが読んでるのは俺が知らない作家の俺が知らない小説だ。もう中盤くらいまで読みすすめてる。
彼の指がページをめくるのをなんとなく意識しながらベッドの上に座った。
もう六月だけど山の上だからこの辺は涼しい。長袖じゃないと鳥肌が立つくらいだ。
ちょっと寒がりなりおはだぶだぶのカーディガンを春物のトレーナーの上に羽織っている。靴下もしっかり履いていた。
りおがキリのいいところまで読みおわるまで待とう、と思ったけどいつになるかわからない。読書してるときのりおの集中力ってすごいから。
こうやってずっとそわそわしてるのはつらかったので「あのさ、りお」と俺は思いきって話しかけた。
りおは本から目を離さずに「なに」と聞いてくる。
「ちょっと散歩しない?」
「いまから? やだよ、寒いし」
「そう言わずに」
なにかあると思ったんだろうか。りおはちらっと俺を見て、去年俺がプレゼントした猫のかたちをしたしおりをはさむと起きあがった。わかった、とスリッパを履きながら言ってくれる。
外は星がきれいだった。満天の星っていうんだっけ。
大きいのや小さいのや、いろんな色をした星が藍色の空で輝いている。
共用のサンダルをつっかけて外にでてきた俺たちはならんで星空を見上げた。
きれいだね、と俺が言うとりおも「ん」とうなずく。
「数少ない利点だよな。S高の」
「りお、星座とかわかる?」
「あれ。あそこにならんでるの、北斗七星」
「おぉー。あれが」
「その下のがうしかい座のアルクトゥールス。その下がおとめ座で、あの白い星がスピカ」
「え? え、なに、もう一回言って」
りおはカーディガンのポケットから手をだすと夜空の星を人差し指でひとつひとつさししめしていく。俺がわかるように、ゆっくり。
ほえーと俺はバカみたいな感想を漏らした。
「りお、すごい。めっちゃくわしい」
「じいさんの書庫に星座の本もあったから。それだけ」
「なんか伝説とかないの?」
「伝説、っていうか……」
外灯はないけど外は星明かりで明るい。ぶらぶら歩きだしながら、俺はりおからアルクトゥールス――有名な北斗七星の斜め下でオレンジ色の光を放っている――の話を聞く。
アルクトゥールスはほかの恒星のように天の川を周回せず、斜めにつっきるような動きをしている。そしてその速度が異様にはやい。秒速140キロで、これは通常の十倍だという。
「そのせいなのかどうか知らないけど、もう恒星としての寿命は終えてて」
恒星としての寿命が尽きるとき、赤く膨れて燃えあがったという。
「……んー? じゃああれって、もう死んじゃった星が輝いてんの?」
「死んだ、っていうか……。正確に言えば主系列星を終えて赤色巨星になった。人生のピークを終えた、って言えばいいのかな。引退したアスリートみたいなもの。太陽もあと五十億年もしたらそうなって、白色矮星っていう恒星の残骸になるって言われてる」
「え。太陽も?」
「言われてる、ってだけだけど」
りおはちょっと自信なさそうにする。
りおの言うことはいつもあってるのに。堂々としてればいいのに、ちょっともったいない。
太陽がいつか燃えつきるって話は聞いたことがあった。でも何十億年後とか言われても現実感なんてなくて、遠い国のおとぎ話みたいだなとしか思わなかった。
――でも。なんだか、このときは。
「宇宙だっていつ終わるかわからない」りおは上を見たままつぶやく。「膨張した果てになにがあるのか。俺たち人類はどうなるのか。わかるひとなんてどこにもいないんだ」
「俺たちの寿命より先に宇宙が終わることもあんのかなぁ」
そのときは終わりがきたってわかるんだろうか。それとも、次の瞬間にはもうすべてが終わってるんだろうか。
世界の終わり。その言葉を頭のなかにならべたとき、笠森先輩から聞いたことを思いだした。
明日には世界が終わってしまうかもしれない。だったら。
俺は、後悔しないように生きたい。
「――あのさ、りお」
立ちどまってりおを見た。りおもつられて足を止めて、不思議そうに俺を見る。
「なに?」
「あの、……いま、好きなやついる?」
「いないけど」
「つきあってるやつは?」
「好きなやついないのにつきあうわけなくない」
それもそうだ。よし、ひとつめのハードルは越えた。
俺は深呼吸する。
「りお、あの、」
――俺とつきあってほしい。
そんな言葉をだれかに向けて言うのは初めてだった。
中学のとき、いいなって思う女の子はいたし告白をされたこともあったけど、どうしても母親とあの男のことがよぎってしまって――友達以上の関係にはならないようにしていた。逃げてた、って言ってもいい。
俺はあんなふうに汚くなりたくないから。でも、
俺には……ふたりのうち、ひとりの血が流れてる。かあちゃんと同じ血が。
……俺がふれたら、りおのこともあんなふうにぐちゃぐちゃにしてしまう?
そう思ったとたん、言葉が喉の奥で詰まった。いやだ。そんなの。りおを汚したくない。
黙りこんだ俺を見てりおは首をかしげる。
「どうかした?」
「……あ、うん」
「なんか悩んでんの」
悩んでるよ。だれにも言えないのに、いますぐ叫びだしたいくらい。
「いいよ、言えるようになるまで待つから」とりおはあえて俺から視線をそらす。
俺はりおのこういうところが好きだ。そっけないように見えて、だれよりも優しいところが。
「……俺、」
りおが好き。そう言いたいのに言えなかった。足下を見つめて俺はつぶやく。
「話したっけ。かあちゃんが小学生のとき再婚したんだけど、相手がさ、けっこうヤンチャなおっさんで」
「……うん」
「俺のまえでも平気でいちゃいちゃするわけ。夜もさ、俺が隣の部屋で寝ててもぜんぜん気にしないんだよ。だから声とか聞こえてきて……あー、なんか、気持ち悪いなって」
壁の向こうにいるのは自分の母親だけど。
気持ち悪いな、って思ってしまった。
「……それで、だれかとつきあうのが無理になっちゃって。告白されても適当に逃げてた。そういうことになったとき……俺もふたりみたいに汚くなるんだろうなって思ったら、どうしてもその先に進めなかった」
「…………」
「でも、りおはちがうって思ったんだ。りおのこと……変な意味じゃなくて、すごくきれいだって思ってて。りおとなら大丈夫だって思ったんだ」
「大丈夫って――」
「俺、りおのこと好き」
叶えるためじゃない。あきらめるための言葉だった。
りおはちょっと目を見開く。
「りおとなら俺もきれいになれるのかなって思った。りおとなら、なにかを信じてもいいのかなって思った。……こんな世界になんも期待してない。どうだっていいってずっと思ってたけど、りおに会って変わったんだ。それが俺の気持ち。なにかを信じたいって思えたこと、すごく嬉しかった」
「…………」
「でも俺はきっとりおを汚す。自分でわかるんだ。俺は汚いって」
「夕斗――」
「ごめん。突然。でも聞いてくれるだけで充分だから。つきあってほしいとか思わない、から」
ほんとうだ。りおとなら、俺は自分自身もきれいになれると思ってた。
だけど――きっと俺はりおを汚す。どろどろにしてしまう。それくらいだったら。
この想いは、永遠に叶わなくていい。
「……ごめん、寒いのに連れだしたりして。それだけ。あ、もしあれだったら明日から俺べつの寮移るから。りおは気にしなくていいから。ごめん」
先に部屋もどってるね、と俺は帰ろうとした。りおに背中を向けて。
ぐい、と手首をつかまれる。
「……りお?」
「まだ返事してないんだけど」
「え……」
返事。きっぱり振らせてほしいとか、そういうことかな。
りおの顔を見れなかった。聞きたくない。そう思ったけど、手を動かすこともできずに俺は棒立ちのままでいた。
「……夕斗のこと汚いなんて思ったことない」と俺の手をつかんだままりおは言う。
「むしろ逆、っていうか。……夕斗のこと、まぶしいって思ってる。最初は変……にぎやかなやつだと思ってたけど。いまは、夕斗のこと漫画のヒーローみたいに思ってる」
「俺を?」
りおはこくっとうなずく。
「夕斗はかっこいい。大丈夫。汚いなんてことない」
「それ、は、」
りおは知らないだけだ。俺がりおをどんな目で見てるか。実感として、知らないだけ。
「それでも。俺が何回言っても信じられないなら、いいよ」
「……え?」
「夕斗が汚していいよ」
りおは俺の手をぎゅっとにぎりしめる。「俺も……両親、あんまり仲よくなくて。ふつうの愛情とかよくわからなくて。だから、ちゃんとした気持ちは渡せないかもしれないけど」
ぐい、とひっぱられた。俺の悩みなんて関係ない、そばにいろと言うように。
りおは真剣な目で俺を見つめた。
「夕斗の気持ち受けとめたい。それに、俺も夕斗となら信じたい。この世界にも壊れないものがあるって」
「……いいの?」
りおは俺を見つめたままうなずく。
俺は、
……俺は、りおを抱きしめた。加減なんてできない。力のかぎり思いっきり。
「りお、大好き。だいすき」
「ん……」
「苦しい?」
「……ちょっと。でも大丈夫」
もっと強くしていい、とりおは俺の腕の中で言う。
……りおって無自覚に煽るタイプなのかな。どきどきしながら俺は言われたとおり力を込めた。
りおの髪からはシャンプーの香りがする。寮の風呂に備えつけのシャンプー。
みんな同じのを使ってるけど、りおの髪から香るその匂いは特別だった。
思いっきり息を吸いこむと、「なんか嗅いでる?」とりおが顔をあげる。
シャンプー、と返事をしたら「夕斗だって同じの使ってるだろ」とあきれられた。
「好きな相手のは特別なんだよ」
「……恥ずかしいやつ」
「ほんとだって。りおも俺の嗅いでみる?」
普段だったら「え、やだ面倒」と返ってくるけどこのときはべつだった。りおは興味をひかれたように「そんなに言うなら……」と首を伸ばしてくる。
りおの鼻先が俺の髪にふれた。
鼻で息を吸う音のあと、「……あ、なんかわかる」とりおが言う。
「でしょ?」
「うん――」
りおが俺を見る。と、至近距離で目があった。
息と息がふれあいそうなくらい近く。
りおの黒い瞳に俺が映ってる。俺の眼にも、きっと。
やっぱ、りおってきれいだ。顔もだけど。なんだろ、目に見えないものが。
心臓がどくどくうるさくなっていく。
「……あの。りお、さん」
「……なに」
「キスしていいですか」
「……なんで敬語」
「なんとなく……」
りおの頬が赤くなる。かわいい。
彼は目のやり場に困ったようにあちこち見てから、小さく、ほんとに小さくうなずいた。
「ほんと!?」
「声、大きい……」
俺はりおの頬に手のひらをあてた。
こうしてるだけで好きって気持ちが大きくなってく。
知らなかった。つきあうって、相手のこともっともっと好きになるってことなんだ。
俺はりおの顔に自分の顔を近づける。りおはかすかに吐息を吐きだしてから目を閉じた。
……まぶたが震えてる。りおも緊張してる。え、あ、どうしよ。かわいい。好き。
俺はぎりぎりのところまで顔を近づけてから目を閉じる。
りおの唇はつめたくて、やわらかくて、りおが使ってるミント味の歯磨き粉の匂いがして、
……ああ、俺はきっとりおを食べつくしてしまう。
愛しむようにそう思った。俺はりおを愛して壊してほしがってそれでも足りなくて最後には骨も残らないほど喰いちらかしてしまう。
『だいじょうぶ』
俺に食べられながらりおが笑う。
どうして? ダメだよ、こんなの。
『だいじょうぶ、だから』
俺は泣いている。りおを食べたくないのに、それがあまりにも気持ちよくてやめられないから悲しくて泣いている。
こんなのダメだ。わかってる。
わかってるのに。
俺はりおを好きなだけ。なのにどうしてこうなってしまったんだろう? どうしてそばにいることさえ許されないんだろう? どうして、どうして、どうして――
……あ、そっか。
俺はもう、バケモノになっちゃったんだ。
りおの残骸の上で俺は哭く。街ごと恋人を踏みつぶしてしまった怪獣みたいに。
そんな、夢。


