夕斗の死は突然だった。
その日の放課後、夕斗と昇降口近くの廊下で別れた俺はいつもどおり図書室のカウンターの内側に入った。
仕事をはじめて一時間くらい。常連の三年の先輩が借りようとした本のバーコードを読みとっていると救急車のサイレンが聞こえてきた。
え、うち? と先輩が不思議そうにつぶやき、俺も『……みたいですね』と相づちを打った。この付近にS高以外の建物はない。司書の女性も手を止めた。
やがて長い山道を登ってきた救急車はサイレンを止めた。どこで止まったかまではわからないがだれかが怪我でもしたのだろう。俺は本をまとめて、先輩に『六月二十二日までです』と伝えようとする。
そのとき窓際の席で本を読んでいただれかが身を乗りだして『体育館だ』と言った。
体育館の前に止まってる。
そこでは夕斗たちバスケ部が活動中のはずだった。まさかあいつなわけがない。そう思ったけど胸の内側がざわついて、俺は自分がなにを言おうとしていたか急にわからなくなった。
まさか、まさか夕斗なわけがない。
でもバスケだって激しいスポーツだ。練習試合でだれかにファウルされたのかもしれない。ボールを取ろうとして壁かどこかに衝突したのかもしれない。
体育館、という情報しか与えられなかったせいでいやな想像がどんどん膨らんでいく。けっきょく俺は返却期限がいつなのか思いだせず、先輩に黙って本を渡した。
『心配?』と先輩に聞かれ、え、と尋ねかえす。
『よくつるんでるやつ。西永だっけ。たしかバスケ部でしょ』
『……大丈夫です。夕斗、ああ見えてしっかりしてるし』
『卓球部に知り合いいるからなにがあったか聞いてこようか?』
『大丈夫です』
そうだ、夕斗はスポーツでへまをするようなやつじゃない。怪我をしたのはべつのだれかだ。
先輩は『わかった』と応えると本の礼を言ってでていった。けれど好奇心が抑えきれなかったのだろう。それからすこししてもどってくると、
『救急車で運ばれたの、西永だって。バスケ中にいきなり倒れたらしい』
俺にそう告げたのだった。
――でもそのときは命を落とすなんて考えもしていなかった。熱中症じゃないかって顧問の先生が言ってたらしい、と先輩がつけくわえた説明を聞いて頭からそう思いこんだ。
なら点滴して帰ってくるかな。いや、重症なら入院もありうる。俺は自分がスマホを持っていないせいで夕斗と連絡を取れないことを悔やんだ。大丈夫かと本人に直接聞くこともできない。
夜になっても夕斗は寮にもどってこなかった。寮監の花崎先輩も夕斗が救急車で運ばれたことしか知らなかった。俺は入学して初めてひとりで夜を越すことになって、
――翌日のホームルームで。
その報せを、担任から聞いたのだった。
『西永だが、搬送先の病院で死亡が確認された』
自分の席でそれを聞いた俺は、なんだか変な表現だな、と思った。西永という名字は聞こえなかったふりをするみたいに。
病院で息を引きとった、じゃなくて?
『救急隊員の方々をはじめ、医療スタッフの方々もみな手を尽くしてくれた。だが西永は息を吹きかえさなかった。詳しい死因はこれから調べるそうだ』
俺を含め、教室にいる全員が困惑していた。
ひとつめの理由は“夕斗“と“死“がうまく結びつかなかったせい。ふたつめは、歯切れの悪い先生の説明のせいだ。
『あ――あの。どういうことですか』と学級委員がみんなを代表するように言う。それだとまるで、
『夕斗は……倒れたときにはもう息してなかったみたいですけど』
ああ、と先生はうなずいた。
『林先生――バスケ部の顧問だ――がそうおっしゃっていた。西永が倒れてすぐ先生は駆けよったが、西永は息もしていなかったし心臓も止まっていた。救急車がくるまでのあいだAEDで蘇生を試みたが効果はなかったと。
おそらく、学校にも警察がきて西永に持病はなかったかを聞きにくると思う。あー、静かに。これは形式的なものだから。そのときはみんな協力するように。……では、西永に黙祷しよう』
そう言われて素直に夕斗の冥福を祈れたやつはどれくらいいたのだろう。
昨日までふつうに話していたクラスメイトが死んだと聞かされて、彼のために祈れたやつは。
すくなくとも俺は呆然としていた。さっぱり意味がわからなかった。いまのは冗談だ、忘れてくれ、と担任が撤回するのを待ったけれどホームルームは淡々と終わり、一限目の授業がはじまってしまった。
夕斗が死んだ?
そんなわけない。なにかの間違いだ。
医者だって間違うこともある。学校に連絡するときに情報が変な形で伝わってしまうことだってあるだろう。たまたま同姓同名の患者が息を引きとって、それでだれかが勘違いした可能性だって考えられなくはない。
夕斗が死ぬよりもそっちのほうがずっとありえる。
だって夕斗には持病もないし、昨日はいつもどおり元気そうだった。突然死ぬなんて太陽が消滅するくらい考えられない。きっと本人は今頃退院して学校に向かっている。それでみんながびっくりするのを見て夕斗も目を丸くするんだ。え、なにがあったの、って。
なのにいつまで経っても本人はこなかったし、先生たちが勘違いを謝ってくれることもなかった。
夕斗が死んだって、ほんと? なにかの冗談だよな? クラスメイトたちも信じられないようにささやきかわしていたのに。
放課後に俺は来賓室まで呼びだされて警察から話を聞かれたけど、話せることはなにもなかった。
西永くんがなにか病気を患っていたということは? ありません。当日の様子は? いつもどおりでした。現実感がないまま俺は応え、警察のひとにもういいよと言われてソファから立ちあがった。そしてドアに手をかけたとき『あ、そうだ』と呼びとめられる。
『西永くんと一番仲がよかったのはきみだって聞いてるけど、あってるかな?』
だれが言ったんだろう。夕斗本人、と一瞬思ったけれどそんなはずはない。先に話を聞かれたというバスケ部のやつらか。
たぶん、と俺は短く肯定した。『ルームメイトだもんね』と警察のひとはうなずき、ありがとう、またなにかあったらよろしくね、と大人が子供を気遣うときの笑顔で言った。
ルームメイト。
もし一年のとき同室にならなかったら、俺と夕斗は仲よくならなかったんだろうか。
寮に帰る途中、そんなことを考えた。俺と夕斗はぜんぜんタイプがちがう。夕斗のことだから俺みたいなやつにも話しかけてくれただろうけど、きっとクラスメイト以上の関係にはなれなかっただろう。
そう思うと夕斗と暮らした部屋にはやく帰りたくなって、俺は気がつけば走っていた。息を切らし、汗をかきながら寮の階段を一気に駆けあがって自分たちの部屋に飛びこむ。
――おかえりって、俺、好きな言葉なんだ
去年の春。部屋に帰ってきた夕斗に、何の気なしに『おかえり』と言うと彼は嬉しそうに『ただいま!』と応えて、そうつづけた。
――なんかさ、家に帰ってきたーって感じするじゃん
――ふうん。じゃ、これからは憶えてたら言ってやるよ
――マジ? なら俺もりおが帰ってきたときは言うから
――おかえり、って
『……ただいま、夕斗』
部屋にはだれもいない。わかっていても俺はつぶやかずにはいられなかった。
どうしたんだよ。帰ってきたんだから、いつもみたいに言ってくれよ。おかえりって。
『夕斗……?』
何度呼びかけても応える声はない。
梅雨入りまえのすこし時化たような沈黙を聞いて、俺は夕斗が死んだのはほんとうなのかもしれないと考えた。彼がただ留守にしているときと、そのときの静寂は決定的になにかがちがっていたから。
『夕斗。……冗談だよな。夕斗』
それでも受けいれることが怖くて、俺は彼のベッドに向けてつぶやく。こんなのほんとうじゃないよな。みんなで俺を騙そうとしてるんだよな?
応える声はなかった。


