日中は図書室に顔をだした。委員会の仕事の合間に小松左京の本を探したけど、やっぱり有名なSF作品しかなかった。
夕方、俺はふもとに降りる途中にあるコンビニまで行って体育館の扉の傍らにガムを供えた。
どこの部も熱中症対策に時間を前倒しにしているのだろう。扉は閉ざされていて、体育館には静寂だけがあった。
両手をあわせ、この世から失われた彼の肉体のために祈る。
蝉の鳴く音が頭蓋骨に響いてすこし頭痛がした。
子供のときは夏が一番日が長いのだと思っていた。でも夏至をすぎて、すこしずつ太陽が沈むのがはやくなってきている。赤く染まる西の空とは反対に、東の空は藍色に暮れはじめ、ぽつりぽつりと星が瞬きはじめていた。黒い影となった鳥たちが鋭く鳴きかわしながら巣へと帰っていく。
今日はちゃんと夕飯を食べよう。そう思い、シャワーを浴びてから食堂にいくと花崎先輩がすでに席についていた。
夏休みのあいだ、寮母さんは人数分作り置きすると昼で帰ってしまう。自分でタッパーから皿によそって――連絡が間に合わなかったのか、黒川の分もあった――先輩の向かいの席に座った。
「今日も“待つ“んだね?」
はい、と俺はうなずく。「俺の考えは変わりません」
花崎先輩はほとんど食べおえていた。箸を置き、「僕と矴も行くけどいい?」と尋ねてくる。
危ないですよ、と言うが釈迦に説法だとも思った。なにせ先輩たちはすでにプールの霊について調べているのだ。
「わかってる。それでも、夜津と夕斗のことを放っておけないから」
「……すみません」
「いいよ。でももしすこしは悪いと思ってるなら――」
先輩はちょっといたずらっぽく笑った。「花火、つきあってくれる?」
去年校舎に忍びこむときに使った立てつけの悪い窓は直されてしまったらしい。なので、先生たちが帰っていることをたしかめてから草創館のまえでやることにした。
黒川はまだ病院。意識はもどっていないという。
家の都合で今日まで残っていた一年は昼のうちに帰省したそうで、いまこの寮にいるのは俺と花崎先輩のふたりだけだ。
物置でブリキのバケツを見つけて、穴が開いていないことをたしかめてから水を溜めて玄関の外まで持っていく。
日が落ちるとこの辺りはぐっと涼しくなる。シャツから伸びた腕をなでる風に心地よさを感じながら、俺は花崎先輩が持っている花火のパッケージを覗きこむ。手持ち花火とか線香花火とか色々入っているらしい。
「夜津はどれが好き?」
「やったことないです」
「え?」
「花火。売ってるのは見たことあるけど」
花崎先輩は「そっか」と意外そうにつぶやいた。「じゃあ今日が初めて?」
「そうなりますね」
「……夕斗に悪いな」
「夕斗?」
なんでもないよ、と先輩は横顔で応える。
どうして初めての花火を彼とやることが夕斗に悪いことになるのかよくわからず、なにも言えないでいると、「じゃあ先輩がやり方を教えてあげよう」と微笑む。
矴先輩もくるものだと思っていた俺は「矴先輩を待たなくていいんですか?」と聞いた。
適当に合流するでしょ、と花崎先輩はやや冷たい。これがふたりのいつもの距離感なのかもしれないけど。
彼は手持ち花火を袋からだすと一本を俺に渡した。先端が紅色で持ち手の部分が黄緑色のやつだ。そのまま持ってて、と言って百円ライターで火をつけてくれる。
炭酸飲料が爆発したときみたいな音を立てて火花が先端から噴きだした。予想以上の勢いに、うわ、と驚くと隣で先輩が笑う。
「色変わるんだって、これ」
「え? 色?」
どういうことなのかわかっていない俺のまえで火花の色が黄色から赤に変わる。「うわ……」と今度は感動で声が漏れた。その次は青色になり、今度はまた黄色にもどる。
「え、これ専門店で買ったんですか」
「下のスーパーだよ」
「すごい技術……スーパーで買えていいんだ……」
花崎先輩はくすっと笑う。
「夜津ってさ、実は表情豊かだよね」
「……そうですか?」
「うん――」
先輩は持っていた手持ち花火の先端をこっちに近づけて火をうつす。先輩のほうは松葉のような光がぱちぱちと弾けるタイプだった。
いいな、と思ったのが顔にでていたのか「次はこっちにする?」と聞かれる。なんだか子供扱いされている気がしたけど、断るのも変だったので俺は正直にはいと返した。
「――去年の秋、だったかな。テレビで心霊特集してたよね」
ふたつの光を見つめながら花崎先輩が言う。そうでしたっけ、とすぐに思いだせずにいると彼はうなずいて、
「リビングで夕斗とふたりで見てただろ。邪魔するの悪いなと思って合流はしなかったんだけど、そのとき――」
「……あ」
「思いだした?」
思いだした。夕斗が見たいというからつきあったんだった。
定番の都市伝説を集めたもので、最初はそこまで怖くなかったのにだんだん番組側が本気をだしてきて、番組がはじまって三十分後、俺はソファの向かいにいた夕斗の隣に移動しなければならなくなったのだった。
「僕が見たときは『てけてけ』やってたかな。夜津、すごい怖がっててさ。こんな顔するんだって思ったな」
「怖がってないです……」
てけてけとは電車に轢かれて体がまっぷたつになってしまった女性の霊だ。人間を憎んでおり、上半身だけでこちらを追いかけてくるという。
血まみれのてけてけはいまにもテレビからでてきそうだった。俺が夕斗にしがみつくと、『だ、大丈夫だから』と彼は俺の肩を抱いたのだった。
「あいつ、『俺ならてけてけの横抜けるから』って言ったんですよ。バスケじゃないっつうのに」
「そうだったんだ?」
「それで、『俺が絶対りおのこと守るから』って。『俺のそばにいれば大丈夫』って――」
突然、火花が萎れると光が消えてしまった。光っているときはあんなに眩しいのに消えてしまうときはあっけない。
俺は名残惜しく紅色の和紙が巻かれた先端を見つめてから、バケツのなかに入れる。
ほどなくして先輩のほうの花火も終わってしまった。
さっきみたいに先輩から手渡された花火に火をつけてもらい、かがみこんで、いつかは消えてしまう光を星空の下で眺める。こんなにそばにあるのにつかめない光を。
「……夕斗ってそういうかっこつけなところあったんですよ。本人から聞きました? 黒川から俺をかばった話」
「知らない、なに?」
ぱちぱち弾ける光に急きたてられるようにして俺は夕斗の話をつづける。まるで、彼の話をしていればこの花火がずっと輝いていてくれるとでもいうように。
「俺が寮の廊下で黒川にからまれてたら、あいつ走ってきて『俺のもんにさわらないでもらえます?』って言ったんですよ」
「それはかっこいいね」
「でしょう? 漫画みたいですよね。あとで照れてましたけど」
花崎先輩が笑ってくれたのが嬉しくて、俺は勢いづいた。
「ほかにも……」校舎裏で不良っぽい先輩たちにからまれている生徒を見て、かつあげだと思って助けに入ったら魔法少女アニメのDVDを貸していただけだったという話。中学のとき、木から降りられなくなっていた野良猫を助けようとして木に登ったら猫が夕斗の頭を踏みつけて降りていった話。小学生のとき、産休で休みに入る先生に代表で手紙を読みあげるはずが間違えて漫画を持ってきてしまったのでアドリブでやりきったという話。
ひとと話すことが好きではない俺でも夕斗の話なら何時間でも話していられる。
「あと去年の体育祭で――」とさらにつづけようとしたとき、ふいに花崎先輩に肩をつかまれた。
「……先輩?」
いつの間にか俺が持っていた花火も彼が持っていた花火も終わっていた。火薬の匂いは風に流れ、辺りを照らすものは草創館の玄関灯と窓から漏れる光だけになっている。
俺の肩をつかんだのは無意識だったのか、花崎先輩ははっとしたように手を離すとぎこちなく顔をそむけた。
「ごめん、……なんでもない」
なんでもない、という声ではなかった。
俺は――自分が夕斗の話ばかりしていたせいで、先輩が彼のことを思いだしてつらくなってしまったのだと思った。すみませんと謝る。
「俺、無神経で……」
「そんなことないよ」
花崎先輩は無理をして笑顔を作る。「そんなことない、ほんとうに……」
そして地面に置いてある花火のパッケージに目を留め、「つづきやろうか」とその傍らにかがみこみながら言った。襟付きのシャツの下の体が彼から受けるやわらかい印象とは裏腹に引きしまっていることを俺はこのときはじめて意識した。
――俺は、彼のことをなにも知らない。
先輩は小さな置き花火を離れたところにおいて火をつける。導火線の火が本体にふれてすぐ、赤や青色の光が噴水みたいにあふれた。
「なんで同じ花火なのにこんなに光り方がちがうんでしょうね」
「知りたい? なら講義してあげるよ、理央」
「いや、大丈夫です……」
長くなりそうな気配を感じて断ったあとで、彼に下の名前で呼ばれたことに気がついた。夕斗とはちがう。りおう、とちゃんとした発音で。
……ああ、夕斗に会いたいな。
急にさびしさが降りかかってきた。
また俺の名前を呼んでほしい。りお。りお、って。
口を開いたら泣いてしまいそうで俺はなにも言えなくなってしまったけれど、花崎先輩は気にすることなく俺のそばにいてくれた。いつかは必ず消えてしまう花火に、なにかの祈りを込めるように次々と火をつけて。
生まれて初めての花火は。
焦げくさいような火薬の匂いとともに、俺のなかに刻みこまれた。


