【完結】夏に溺れる。~俺のことがずっと好きだった親友は死んでからも俺を離さない~


 救急車が着くまでに黒川は息を吹きかえした。意識はもどらなかったけれど。

 腐った水の臭いがひどくなるなか、ふたりは言葉少なにこれからのことを相談し、救急車には花崎先輩が乗って俺と(いかり)先輩は彼の部屋で一夜を過ごすことになった。

「夜津もそれでいいね?」

 花崎先輩の問いかけに俺は無言でうなずく。
 自分の考えが甘かったと思いしらされたいま、俺にできることはもうなかった。


「……あんなことできるやつじゃないんです」

 救急車を見送ってから俺と矴先輩は彼の部屋へと移動した。
 サイレンの音が気になったらしく、数人の生徒が玄関まででてきて「どうしたの?」と先輩に聞いたが「熱中症じゃないかな」と先輩ははぐらかしていた。真実なんて言えるわけがない。

「この子、一晩泊めるから。内緒ね」
「彼女?」
「はいはい、そういう冗談言わない」

 寮は全体的に真新しい。
 先輩の部屋は三階の奥だった。ひとり部屋で、ひとつずつしかない家具が俺には新鮮だ。内鍵がないのも。
「適当に座ってよ」と言われ、俺はカーペットの上に座りこんだ。

 自分が見たものが信じられなかった。
 でも、現実だ。黒川が溺死しかけたのも。救急車で病院に運ばれていったのも。

「……プールの霊と夕斗はほんとうに混ざってるんですか」

 俺が苦手なもののひとつに他人の部屋の匂いがある。食べもの、衣服、そのひと自体の体臭……

 でも矴先輩の部屋はなんの匂いもしなかった。きれいにしている、というレベルを超えている。参考書が積まれた机や閉まりきっていないクローゼットなど、生活感がないわけではないのに匂いが完全に存在していなかった。

 残念だけどね、と矴先輩はベッドに腰かける。

「あいつ、黒川はきみの部屋に遊びにいこうとしてたみたいだね。花崎から聞いたことあるよ、なかなかの問題児だって――その黒川があんな目に遭ったんだ。
 “あれ“がきみの部屋にいこうとした途中で黒川を見かけて、()()()()()()()()()()()()と思ったと考えるのがふつうだね」
「……先輩たちがいなかったら黒川は死んでました。懲らしめるなんてものじゃない」
「ん、はっきり言葉にしていいの? 西永夕斗は――蕪木(かぶらぎ)優太郎は――あいつを殺そうとしたんだって」
「…………」
「動機もある。黒川は自分がお気に入りの生徒を痛めつけるのが趣味だったからねえ。蕪木優太郎が殺したいと思っても不思議じゃない。そして西永夕斗としても友達のきみを守るために、」
「……もういいです」

 認めなくちゃいけないのだろう。
 あれをやったのは夕斗と蕪木優太郎のふたり。ふたりが混ざったもの……マザリモノ、だと。

 でも、俺は言わずにはいられなかった。

「こんなことできるやつじゃないんです。夕斗は」
「蕪木優太郎だってそうだよ」
「…………」
「だれかを傷つけるくらいなら自分が傷ついたほうがいい。そう思った果ての死だったんだからね。
 でも霊になってしまえば生前の人格なんてなんの意味も持たない。“あれ“はもうきみが知ってる西永夕斗と別人だと思ったほうがいいよ」

 ……じゃあ、だとしたら。

「俺の声は……もう、夕斗には届かない……?」
「わからない」
「…………」
「きみが西永夕斗の心残りを解消できるならそれでいいと思った。でもね。問題はそれで新たな願いができる場合だよ」

 夕斗の心残りは俺に告白できなかったこと。
 だからそれを果たせば彼は成仏できる、と思っていたけど。

「新たな願いって――」
「ケースのひとつとして挙げたよね、子供の誕生を見られないまま亡くなった会社員の話を。
 あのひとは赤ん坊の顔を見て満足して現世からいなくなった。でも……俺が危惧したように、子供の顔を見たことでその子の成長をずっと見守りたいって願いが新しく生まれてしまうことだってあるんだよ」
「もしそうなったら、」

 その新たな願いが叶えられるまで成仏できない? 俺が言うと、先輩はうなずく。

「まあ、ひとつ未練が解消されれば霊を現世に縛るものもひとつなくなるから消えやすくはなるんだけど。これもケースバイケースだよねえ」

 俺に告白したかったという夕斗の心残り。もしそれが解消されたら――
 その、次は?

『りおを抱きしめたい』

「どう? 西永夕斗は、きみに新しいお願いをしてくると思う?」
「……わかりません」

 俺はそう答えるしかなかった。だって。
 好きなやつに告白したらそれで終わりにしろなんて、あんまりだ。

 夕斗はあんなに――あんなに悩んでたのに。

 ……けど、問題は俺以外に被害がでていること。
 黒川のことはきらいだった。でも、じゃあひどい目に遭っていいかと言うとそんなことはない。

 もしもこれから被害が増えるのならば――。

「一番いいのはきみがどこか遠くへ避難して、そのあいだに俺たちが“あれ“を説得することだけど……」

 俺は首を横に振る。
 ほかのだれでもない夕斗のことだ。他人に任せて終わりになんてできなかった。

 最悪、俺は死んでもいい。夕斗は――昼間、俺たちの部屋にきた夕斗は俺に生きてほしいと言ってくれたけれど。

 先輩たちやほかのひとを巻きこむことはできない。やっぱり自分の部屋にもどります、と言うと「まあまあ」と矴先輩は苦笑いする。

「ちょっとくらいいなよ。いまあの部屋にもどってもいいことなんてないと思うしね」
「先輩たちを巻きこめません」
「俺たちが勝手に首を突っこむって決めたんだ。きみに巻きこまれたわけじゃない。それに、ここできみを帰したら俺が花崎に怒られちゃうよ」

 部屋帰るって言ってもついてくしね? と矴先輩に言われて俺は引きさがった。俺みたいに価値のないやつのためになにかしてもらうなんて悪いとは思ったけど。

「そうだ、プールの霊について調べたときのノートがまだ残ってるよ。見てみる?」

 そのひとと俺とは関係がない。遠慮しようかと思ったけど、蕪木優太郎さんについて知ることは悪いことではないはずだ。
 見てみたいです、と俺は返事をした。

 矴先輩はベッドの下から段ボール箱をひきずりだす。そんなところにあったのに意外にも埃はかぶっていない。
 段ボール箱のふたを開けて一冊のノートを取りだすと、「はい」と言って先輩は俺にそれを差しだした。

『取りこわされたプールの霊についての記録』

 表紙にはマジックでそう書かれている。夕斗とはまったくちがう、楷書体のきれいな字だ。めくってみるとまず概要が書かれている。


 発生日時:XX/7/15 21:00前後
 被霊障者(ひれいしょうしゃ):S高一年E組 剣道部所属 相良(さがら)勇樹(ゆうき)
 訴え:腐った水溜まりを踏んだ
 検分の結果:これは三十年前に亡くなった生徒、蕪木優太郎の霊によるものだと考えられる。彼は悪質ないじめによってプール(現:草創館そばの雑木林)で溺死した。この情報と相良勇樹への聞き取りの結果を合わせると、以下のことが仮説としてあげられる。

 ・いじめ加害者を彼は憎んでいる
 ・水溜まりは警告である。これを踏んで相手が自らの所業を詫びない場合、『排除相手』と彼は認識する
 ・彼の本懐は自らを殺した加害者たちの命を奪うことであり、たとえ何人殺そうと当人たちを殺すまで彼は消えない

 また、二十年前にも蕪木優太郎が関わっていると思しき事件があった。
 野球部のある一年生が『試練』だと言って三年の先輩たちに全裸で雑木林を歩かされることになった。奥にある石の上におまえの財布を置いたから、それを取ってこいという。

 先輩たちは入り口で待っているはずだったが、そのうちのひとりが『黙って帰って困らせてやろう』と言いだした。全員がそれは面白そうだと賛同し、一年生の服を持ったまま帰ろうとした。そして、言いだしたひとりが水溜まりを踏んだ。

 雨なんて降ってないのに。

 そうつぶやいたのも束の間、彼は喉の奥から汚水を吐きだして悶え苦しむ。どうしたんだ、と三年たちはぎょっとしたが次々とかれらも濁った水を吐きだすこととなった。

 ぐぼっ、ぎょえ、ぐおぇええええええ。

 なんとか財布を取って引きかえした一年が見たのは、蟇蛙(ひきがえる)のような悲鳴をあげながら地面をのたうちまわる先輩たちの姿。だれもが目を見開き、口から緑色の水を吐きだし、そして()()()()()()()()()()

 ……このうちのひとりが脳に障害が残り、ひとりが喉が腐って声がでなくなり、ひとりが『腐った水の臭いがする』と四六時中言うようになって精神を病んでついには自死してしまった。

 被害に遭った一年(彼の境遇を鑑み、本名ではなくN氏とする)は家まで取材にきた我々にたいしてこう言った。
 ほんとうはもっとはやく救急車を呼べた。でも自分はしばらくかれらを見てました。
 怖かったから? いえ、ちがいます。

 嬉しかったからです。
 神さまはやっぱり見ていてくださるんだな、って思いました。

 自分も素っ裸だからすぐに通報できない口実があったしね。楽しかったですよ。あいつらが死ぬか生きるか、ぎりぎりのところを見極めるのは。
 殺さなかったのは、そのほうが生き地獄がつづいていいかなって。楽に死なせないって、そう思ったからです。

 もし蕪木先輩に興味があるなら今度一緒に行きませんか。お墓参り。
 自分も就職してS県からは離れちゃったけど、毎年お盆の時季には欠かさず行ってるんですよ。

 ちなみにそのときに――
 殺してほしいやつの毛髪をお墓に供えると、蕪木先輩が溺れさせて殺してくださるそうです。

 って、S高生なら知ってるか。え、知らない?
 効き目抜群なのになぁ……


   XX/8/10 S県精神医療センターにて