【完結】夏に溺れる。~俺のことがずっと好きだった親友は死んでからも俺を離さない~


 はい、と部屋に招きいれるなり花崎先輩が手に持っていたビニール袋を俺に差しだしてきた。反射的に受けとって中を見るとゼリー飲料やスポーツドリンクが入っている。

「ずっとなにも食べてないよね? 水分だけでも摂ったほうがいい」
「……ありがとうございます。あの、いくらでしたか」
「後輩からお金はとらないよ」

 俺は頭を下げる。
 先輩たちに適当に座ってくださいと言って、自分は夕斗のベッドに腰かけた。なんとなくここが一番落ちつく場所だと思ったから。

 冷蔵庫で冷やしてくれていたのか、ゼリー飲料は冷たくて飲みやすい。舌で甘みを感じたとたん頭が覚醒していくような気がした。思えば朝からなにも食べていない。
 あっという間に一本からにして、スポーツドリンクのキャップを開けた。

「今晩、僕たちはここですごそうと思う。かまわない?」と花崎先輩が言ってくる。俺が一気に半分以上飲みおわるのを待って。

 はい、と俺は応えた。「先輩たちがいてくださるのなら頼もしいです」

 プールの霊が狙うとしたら俺だろう。
 先輩たちは関係ない。ここにいても大丈夫なはずだ。

「……初めてだね。夜津がそういうこと言うの」
「そう、かもしれません」
「なんだか――」

 花崎先輩はなにか言おうとして、なんでもない、と首を振る。すこし明るくなったとか言おうとしたのかもしれない。

 彼は俺の椅子に、矴先輩はカーペットの上に片膝を立てて座っている。
 霊媒師――を自称されたわけじゃないけど――って、和服を着てオカルトグッズをいっぱいつけているイメージがあった。勾玉とか水晶のブレスレットとか。
 でも矴先輩は黒いTシャツにカーキ色のカーゴパンツ姿で、アクセサリーはなにもつけていない。

 こういうひともいるんだな、そういえば霊が視えるひとに会ったのってはじめてだな――と思って見ていると矴先輩と目が合ってしまった。この髪と目がめずらしいのかな、と聞かれる。

「あ、いえ……」
「母がイギリス人でね、俺はふたつの意味で彼女の血を受けついでるんだ。なんと彼女は魔女と呼ばれた一族の末裔で……」
「霊媒師のひとってもっとそれっぽいアクセサリーをつけてると思ったので、先輩がラフな格好してるのが意外で。気に障ったならすみません」

「……俺、いまちょっと恥ずかしいね?」と矴先輩が花崎先輩を見る。花崎先輩は肩をすくめた。

「そういうものをつけて霊力を高めようとするのも大事だけど、俺はべつにそっちの道で生きていく気はないからねえ。ちょっと霊が視れたり声が聞こえたりするくらいでお祓いとかはできないし。あ、だからお別れするのはいいけど取り憑かれたりなんかしないでよ? 祓えないからさ」
「……じゃあ花崎先輩が取り憑かれたときはどうしたんですか? それがきっかけで仲よくなったって言ってませんでしたか」
「うん、だから除霊はしてない。成仏させただけ」
「……?」

 ちがいがわからなくて首を傾げると、「霊っていうのはね」と矴先輩が説明口調になる。

「強い心残りがあるまま死ぬとなりやすいんだ。そして、それが果たされるまでは消えられない。だから花崎に取り憑いた霊が死ぬまえにやりたかったことをさせてやって、結果的に祓ったってわけ」
「具体的になにをしたか聞いても?」
「病院に侵入」
「え?」
「そのとき花崎に取り憑いてたのは三十代の会社員の男だったんだけど、奥さんが妊娠しててね。子供の顔を見るまでは死んでも死にきれなかった。でも自分は通り魔に殺された場所から動けない――だから花崎の体を借りて子供が産まれるところを見にいこうと思ったそうでね。まあ、望みを叶えてあげましたよ。予定日過ぎるのを待って、毎日新生児室に通ってさあ」
「はあ……」
「子供が成人するまで見守りたいって言われたらどうしようかと思ったけど、さすがにそれで満足したっぽかったね。子供の名前呼んですーっと消えてくれた。
 それ以降は俺があげたそのブレスレットがあるら取り憑かれ事件は起きてないみたいだけど、なんだっけ? 一度目が覚めたら北海道でかまくら造ってたこともあったんだったけ?」

 花崎先輩はうんざりした顔でうなずく。「思いっきり冬を満喫したかったんじゃないの? 知らないけど」

 彼の表情から察するにそういうケースはほかにも何件かあったのだろう。
 気がついたら北海道、じゃまともに生活なんてできない。苦労が忍ばれた。

「でもそれだと、除霊師っていうよりなんでも屋みたいですね。子供の顔見にいったり北海道行ったり」

「まあね」と花崎先輩は苦笑する。「でも……怖いのは幽霊は法律で縛れないことだよ。心残りがだれかを殺すことだったらどうする? 目が覚めたら目のまえでひとが死んでた、なんて笑い話にもならない。霊に乗っとられているあいだにやったことでも周りからは僕がやったようにしか見えないんだからね」

「……かなり危険な体質なんですね」
「だから剣道をはじめたんだ」
「え?」
「竹刀で幽霊を切れるかなって」

 俺は面食らったけど、どうやら冗談だったらしい。「夜津くんを困らせないように」と矴先輩が釘を刺す。

「今回のプールの霊――蕪木優太郎の心残りは自分を殺した五人がなんの罰も受けなかったことだろう。もしくは……五人が生きていること、そのものが」
「…………」
「五人を見つけて生け贄として差しだせば話ははやい、万事解決ってやつ。三十年分の怨みが蓄積してるから全員無事では済まないだろうけど。加害者五人の命を取るかS高生たちの今後の平和を取るか、トロッコ問題みたいだねえ」

 トロッコ問題。トロッコの進路を切りかえれば線路の先にいる五人は救えるけど、べつの線路にいるひとりは死んでしまうという話だ。

 数字だけ見ればひとりを犠牲にして五人をたすけるのが正しい。けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()五人は救えない。そしてそれは、裏を返せば自分の手でそのひとりを死にいたらしめるということでもある。

 去年、先輩たちはプールの霊について調べた。そのときだってきっと考えただろう。
 五人を見つけだして霊のもとに連れていけばもうだれかが襲われることはない――と。

 ……でも、今年も腐った水の臭いがした。先輩たちはえらべなかったのだ。
 五人の命を犠牲にして、ほかのだれかを救うという選択肢を。

「……その、蕪木さんっていうひとの心残りも果たさないと夕斗も成仏できないんでしょうか」

 矴先輩に俺は尋ねる。
 もしそうだったら――と考えそうになるまえに先輩が答えた。

「いや。マザリモノの場合、片方の心残りでも叶えてやれば消えるよ。叶えたほうだけだけだし、混ざってから期間が経ってると無理らしいけど……西永夕斗が亡くなったのは六月だったね。これくらいならまだぜんぜん余裕があるよ」
「――ほんとうに?」
「ひょっとして、西永夕斗の心残りに思いあたることがある?」

 夕斗の心残り。
 そんなの、ひとつに決まっている。

 俺は自分のベッドの上に置きっぱなしのノートに目をやった。
 先輩たちもつられたように視線を向け、「ダイアリー……ん? デイリー?」と矴先輩が眉根を寄せる。あいつこういうミススペル多かったんです、と俺は言った。

「ここに答えがあったの?」と花崎先輩。はい、と俺はうなずく。

「たぶんだけど。俺の考えがあってたとしたら、今夜で夕斗の心残りをなくしてやれると思います」

 そして俺たちは昨夜と同じ時間になるのを待った。0:02。先輩たちによると、これは蕪木優太郎が亡くなった時刻だと思われるとのことだ。

 すべてが終わったら花でも手向けにいこうか。三十年に亡くなった先輩に。そんなことを思いながらデジタル時計の数字を見つめていると廊下から悲鳴が聞こえてきた。

 男の悲鳴。
 それは、水のなかから聞こえてきているかのようにくぐもっていた。