「やれやれ……」と矴は溜め息をつく。
話を終えた三年生ふたりは花崎の自室にきていた。理央抜きで。
「まさかあんなふうに拒まれるとは思わなかったよ」
「……夜津は夕斗にべったりだったからな」
きみはほんとうに殺されるだろうね。矴のその言葉に、理央は嬉しそうに微笑ったのだった。
夕斗になら殺されてもいいです。そう、言って。
「あとは望みどおり彼が西永夕斗に殺されるのを見守るだけ――ってことにはならないよね?」
当然だ、と花崎はうなずく。
その口調も表情も理央がいたときとは別人のようだが矴に驚いた様子はない。
「夜津も夕斗も俺の後輩だ。夜津は死なせないし、夕斗にも親友を殺させはしない。絶対にたすける」
「……めずらしいねえ。いまの花崎がそこまで感情的になるのは」
「同じ寮の後輩だ。当然だろ」
「ほんとにそれだけ?」
「…………」
ほかになにがあるんだ、と花崎は独り言のようにつぶやく。追想に浸るように目を伏せて。
「俺は――夕斗も夜津も、幸せになってくれればいいって思ってただけだ」
矴は黙ってうなずく。
「ドア、開けてくれると思う?」
「こじあける。なんとしてでも」
話が終わると理央は自分の部屋にもどってしまった。真夜中の来訪者のことを予告されて怯えるどころか、むしろ待ちわびるように。
相変わらず過激だなぁと矴は笑みを浮かべる。
「夜津くんがいまの花崎見たら驚くだろうね。幽霊相手よりびびるかも」
「……うるさいな。相談しやすい、いい先輩だろ?」
「べつに茶化してるわけじゃないよ――ただ俺は中学時代のちょっと荒れてた花崎も気に入ってただけで」
花崎はそれを聞きながし、一番いいのは、とつぶやく。
「夜津をあの部屋から移動させて、夕斗の目から隠してしまうこと……」
「できると思う?」
「それがダメなら」
俺たちが夜津の部屋に行くしかないだろうな、と花崎はつづけた。ただの先輩と後輩というだけではない感情を完璧に押しころして。
◇◇◇
花崎先輩たちと別れてひとり部屋にもどった俺は、床に座って夕斗のベッドにもたれかかった。
シーツのしわの位置が変わってしまう、と思ったけど彼のことを感じていたかった。すこしでも。
夕斗になら殺されてもいい。それは本心だった。むしろ、それだけが俺の『正解』に思えた。
『あんたなんて産むんじゃなかった』
俺の両親は俺が小学生のときに離婚した。原因は父親の浮気。父が風呂にまでスマホを持っていくことを怪しんだ母は、父が眠っているあいだにスマホを覗き見て浮気相手とのメッセージのやりとりを見てしまう。
そのことはもちろんショックだっただろうが、一番許せなかったのは『妻のことはもう女として見れない。子供を産んでから肌にツヤがなくなったし、あと太った』という父親の言葉だった。
母は父を責めたてた。買ったばかりの家中に響くほどの、自分の部屋で布団をかぶって寝たふりをする俺の耳にまで届くほどの大声で。
最終的に父が慰謝料を払うかたちで離婚は成立したが、それまでに一年もの月日を要した。母が父と別れようとしなかったから。
母は自分の両親――俺からしたら祖父母――の家に俺を連れて帰り、毎日感情をあらわにして泣きさけび、そして新しい男を作ってでていった。俺は祖父母の家に残された。新しい男は子供がきらいだからという理由で。
――あんたなんて産むんじゃなかった
それが祖父母の家での母の口癖だった。ぜんぶあんたのせい。パパが浮気したのも、あんな頭からっぽの女に騙されたのも。絶対に許さないから。
――ねえ、はやく死んでよ
面と向かってそう言われたこともある。母が悪酔いしていたときだけど、でも、きっとそれは本音だったのだろう。
母が家をでていってから――母のまえで俺にやさしくすると、『私の子育てに文句あるの!?』と母が激昂するから――祖父母は俺を甘やかそうとした。でも俺はかれらから逃げた。ふたりのあたたかさが怖かった。
大好きだった母と父。絶対的なそれですら壊れることを知ってしまった俺に、信じられるものはもうなにもなかった。
産まれてくるべきじゃなかったのに産まれてきてしまった。
母が俺のまえから消えてもその想いは消えなかった。
俺さえいなければ父は浮気しなかった。ふたりは離婚しなかった。ずっと幸せでいられた。俺のせいで、すべて壊れた。
毎日、祖父の書斎にこもって本を読んだ。主人公が苦悩する話が、報われない話が、最後に死んでしまう話が好きだった。自分を投影した主人公が物語のなかで死ぬことでなにかを許された気になっていたのかもしれない。
生きている理由なんてどこにもなかった。
あとは死ぬだけの毎日だった。俺は自分が死ぬべき理由をいつもどこかに求めていた。
……それだけ、だったのに。
『ただいま、りお』
夕斗が俺のまえに現れて、あっという間に俺の日常を変えてくれた。灰色しかなかった世界にたくさんの色をくれた。彼に出会って俺は自分が笑える生きものだということを思いだした。化石みたいに眠っていた心がよみがえるのを感じた。夕斗が――俺の生きている理由になった。
大切な、家族以上の友達。
あいつのためならなんだってしてやれたのに。
――なんで夕斗だったんだろう。
何度も何度も考えたこと。考えて、それでもどうにもならないこと。どうにもならないとわかっていても考えてしまうこと。
その答えなんてわからないけれど。でも、夕斗も同じことを思っていて。俺と同じように悔しくて。俺と同じように――また会いたいって思ってくれているのなら。
「……いいよ。俺は」
眼鏡を外し、シーツに横顔をくっつけて俺はつぶやく。
夕斗になら殺されていい。体も、心も、すべてあげていい。
ベッドの上に彼が座っている気配がした。あぐらをかいて俺を見下ろしている。
――なんでそんなこと言うんだよ
「……だって。夕斗がいなかったら、生きてく意味なんて俺にないし」
そんなことないよ、と夕斗は訴えるように言う。ちょっと泣きそうな顔で。
――これからりおはたくさんのひとと会うんだよ。そのなかにはきっと俺より気があうひともいる。それなのに、ここで死んじゃったらもう会えないよ
「べつにいい。夕斗より気があう相手なんているわけないし」
――わかんないじゃん、そんなの
「わかるよ。……夕斗だってわかってるだろ」
――…………
「おまえがいないなら。もう、生きてたって……」
しょうがない。俺がそう言おうとしたとき、夕斗が身を乗りだすようにして俺の頭をなでた。そよ風みたいにやさしく。
そんなこと言うなよ、といまにも泣きだしそうな声で言われた。
――好きなひとが自分のせいで死んじゃうなんて、俺、やだよ
「…………」
――りおが死んじゃうなんていやだ。そりゃ俺はもう死んじゃったけど。でも、りおのこと大好きってことだけはずっと変わらないから
――生きてよ。俺のぶんも
――俺が大好きなりおのこと、もっと大切にしてよ
――それに俺は、もう、
「夕――」
俺が顔をあげるとそよ風はどこかに消えてしまった。まるでうたた寝したときに一瞬だけ見た夢のように。
でも、わかる。ベッドの上にかすかにあたたかさがある。……陽だまりみたいな、そんなやわらかい熱が。
「…………」
俺は夕斗がいたところを見つめる。
彼が好きだったミントガムの匂いがしていた。
◇◇◇
もしドアが開かなかったら鍵をこじ開けてでも夜津を連れだす――花崎はそう考えていたが、夜十時、理央の部屋をノックすると以外にもドアは内側から開いた。
理央の顔つきは昼間とはまったく別ものになっている。いまにも消えてしまいそうだった昼とは真逆の、はっきりとした輪郭を持った少年は花崎と矴の顔を見かえす。
「ここをでろっていう話ですよね」
「……まあ、そうだね」
彼が部屋に閉じこもっているあいだになにがあったのか。疑問を顔にはださず花崎が答えると、ひとつだけお願いがあります、と理央は言った。
「今夜だけでいい。俺がここに残ることを許してください。……夕斗と、」
「夕斗と……ちゃんと、お別れしたいから」


