「今年は夜津も居残りだっけ」
終業式を終えて帰省組はばらばらと帰っていった。七月下旬、まだ巨大な太陽が照りつけるなかを。
S高は全寮制の男子高だ。急峻な山の中腹にあり、校舎が古いコンクリート造りなのもあいまって生徒からはよく冗談で『牢獄』とか『刑務所』とか呼ばれる。長期休みはいわば執行猶予のようなものだ。たとえその期間に何の罪も犯さなくても、かれらはまたここに帰ってくるしかないのだけれど。
「……そうですね。夕斗が死んだから」
言葉少なに返事をすると、「そっか」と花崎先輩はうなずいた。明らかに足りていない俺の説明を自分のなかで補完してくれたらしい。
――同じクラスでルームメイトの夕斗が死んだ。
だから今年は家に帰らずに寮に残って彼のことをじっくり考えたい、と。
S高の寮はいくつかあるが、俺が去年から暮らしている草創館は築五十年ともっとも歴史が古い。煉瓦造りで夏は熱気がこもり冬は底冷えがする最悪の建物だが、唯一、この館だけが部屋に内鍵があった。
だから俺は好きこのんでこの歴史的建造物みたいな寮に住んでいる。――こう言うと、俺が人間を信用していないみたいだけど。
「夕斗がいないとさびしいね」
「……去年はあいつ残ったんですよね。居残り組ってなにするんですか」
「特別なことはしてないよ。授業の代わりに自習時間を設けて、寮母さんがこない日は自炊して、たまに先生たちが様子を見にくるから話をして……」
ああ、でも、と花崎先輩はやさしそうな顔をほころばせた。
「去年は夕斗が花火を買ってきたんだ。どうせなら高いところでやろうって話になって、先生たちが帰ったのをたしかめてから校舎の屋上に忍びこんだ。ほかの寮のやつらも誘って。星空の下、みんなで子供みたいにはしゃいでね。楽しかったよ。屋上から見る星はあんなに大きいんだって、ここに入学してから初めて知った」
花崎先輩は見た目通りのおっとりしたひとで、夜中に校舎に忍びこむような思いきった行動をするタイプではない。
そんな先輩まで巻きこんでしまうほど夕斗の影響力はすごかったのだ。……すごかった、と過去形にしなければいけないことに気づいて胸がナイフで刺されたように痛んだ。
彼が死んでまだ一ヶ月。夕斗はもういないという現実に、頭も心も追いついていない。
「食事の時間はいつもどおりだから。もし夜津が食べなくてもだれかが食べると思うけど……そうだとしても一日に一回は食堂かリビングにでてきて必ず顔を見せて。約束できる?」
「……わかりました」
花崎先輩は寮監だ。だから残ったというわけではないのだろうけど、いつもなら頼もしい彼の気遣いがいまははっきり言って煩わしかった。
飯なんてどうでもいい。だれとも顔を合わせたくない。それがいまの俺の本音だから。
話が途切れた。その隙に、俺は「部屋、帰ります」と先輩に言う。花崎先輩はまたねと微笑んだ。
食堂――水を飲みにきたら遅めの昼飯を食べていた彼に話しかけられたのだった――から自分の部屋にもどる。俺と夕斗のふたりで使っていた場所に。
クーラーの風は廊下まで届かない。高地だからサウナまで、とは言わないけどじりじり暑い廊下を歩き、木製の階段をみしみし言わせながら二階へ行く。風を入れるために窓は開いていて、容赦のない蝉時雨が耳を打った。
もうほとんどの生徒が帰ったらしい。ただでさえひとけのない草創館の二階はがらんとしていた。
草創館は二階建てで、一階がリビングや食堂や風呂などの共用スペース。二階に個人の部屋がならんでいる。
どの部屋も鏡あわせに勉強机とベッドがふたつあるけれど、寮に関わらずふたりで使う決まりがある一年生以降もだれかと暮らしている生徒はめずらしかった。特に草創館で暮らす生徒はプライバシーを尊重する傾向にある、らしい。だから二年生以上でふたり部屋をほんとうにふたりで使っているのは俺と夕斗だけだった。
――え、夕斗と夜津って仲いいの?
一年の頃、夕斗がクラスメイトからそう尋ねられているのを何回か聞いたことがある。
明るい栗色の髪と目に、笑うと目立つ八重歯。前髪につけたヘアピン。耳にはピアス穴が何個か開いていて、教師にばれないよう普段は透明なピアスをつけていた。体格は俺と同じ中肉中背だったけど夕斗はなにを着てもスタイルがよく見えた。
一度も染めたことのない黒髪にシンプルな銀縁眼鏡の俺とは真逆の容姿。他人との関わり方も正反対で、夕斗はだれかれかまわず人懐っこく話しかけていた。怖いと噂の先輩でも、みんなから煙たがられてる教師でも、小中となんだか暗いと陰口を叩かれてきたルームメイトでも。
いままでスマートフォンを持っていなくても特に困らなかった俺でさえ、夕斗から連絡がくるなら祖父に頼んでみようかと心が揺らいだくらいだ。……揺らいだだけだったけど。
俺と夕斗がつるんでいるのが周りには不思議だったのだろう。聞かれるたびに夕斗は『りおと一緒にいると楽なんだよね』と笑っていた。
理央。俺の名前を舌っ足らずに呼ぶ相手は夕斗だけで、もう、どこにもいない。
一度、だれかが『夕斗がルームメイトだったらよかったのにな』と愚痴をこぼしていた。同室のやつと気が合わなかったのだろう。
そう言われた夕斗は『そんなこと言うなよ』と苦笑し、ちょっと真面目な顔になって言った。
――俺、りお以外と同室になるつもりないし
夕斗と夜津って仲いいよな。夕斗にかけられる言葉が変わってきたのは一年の終わり頃だった。
朝が弱いあいつを叩きおこして飯を食わせて、身支度をさせてから一緒に登校。バスケ部の朝練がない日は夕斗とホームルームが始まるまでどうでもいい話をする。昼もふたりで学校の食堂で食べて、放課後、部活があるあいつと図書委員の仕事がある俺はようやく離ればなれになる。
でもそれは束の間で、寮に帰れば当然ながら顔を合わせる。夕斗の部活が長引かなければ夕飯も風呂も一緒だった。そして、消灯時間まで部屋で思いおもいに過ごして寝る。
これが俺たちの毎日。こんなのを一年もつづければ周りからの認識も変わってくるのもあたりまえだった。
正直、家族以外でここまでだれかと長い時間を共有する日がくるとは思っていなかったしそのことがいやじゃないのも驚いた。
弟がいたらこんな感じなのかな。ある日つぶやいたら『家族だってここまで一緒にいないっしょ』と夕斗に言われた。
家族以上の友達。
俺にとって、夕斗はそういう存在だった。
俺たちの部屋は東側の一番奥だ。廊下の床板も足を踏みだすたびに鳴る。
ぱたん、みしみし。ぱたん、みしみし。スリッパと床板の退屈なやりとりを聞きながら奥まで行き、生ぬるくなった鉄製のドアレバーに手をかける。
そこに夕斗はいない。
わかっているけれど、声が聞こえそうな気がして「ただいま」と俺はドアを開けて言った。
――おかえり、りお
部屋は朝でたときのままだ。正面にある窓から太陽の光が射しこまなくなったくらい。
左側にあるベッドの掛け布団は足下に追いやられてぐちゃぐちゃで、枕は斜めになっている。足下のコンセントにはスマホの充電ケーブルが刺さったままだ。本体だけ、夕斗の血の繋がらない兄が回収した。
『あいつの荷物いらないからそっちで処分しといて。……あ、待って。iPhoneだけもらってく。データ消せば売れるから』
そんな理由で。
だから夕斗のスペースは彼が最後にここをでたときとなにも変わっていない。
乱れたベッドも、閉まりきってないクローゼットも、バスケの雑誌と漫画が詰めこまれたカラーボックスも、ミントガムのボトルが置かれた学習机も。
いつ夕斗が帰ってきても問題なく生活を再開できる。埃が積もらないよう俺がこまめに掃除しているし。
「……だから、」
帰ってこいよ、夕斗。


