大切なものを失えばどうなるかは目に見えているはずなのに

 ホオズキが目を覚ましたのは、まだ日の光が人類に一日の初めの挨拶をする少し前。普通ならば、みな眠いと体を丸めるか寝続けるだろう。
 しかし、ホオズキは起き上がり、幼少期から決してやめることのなかった習慣を続けた。
 それは剣術だ。
 ホオズキはほかの誰よりも覚えるのが早いが、それを実践するとなると話は別だ。そのため、剣術を磨くためには動き続けるほかはない。
 庭に赴き、愛用の木刀で素振りを行う。最近は仕事の量が増えてしまい、腕を使うことも多くなった。素振りをするときは歯を食いしばって同じ動作を繰り返す。単純かもしれないが長く続けることが難しい。それにホオズキにはツクシの件や嫁の件など、多くの問題を抱えているため、腕の疲れより今後の人生のほうが重い。
 逃げたくても逃げることができない。
 だが、実際にはホオズキはいつでも逃げることができる。なぜ逃げないかは言うまでもない。
「親父たちが食事の場であれほど真剣な顔で言うんだ」
 あの二人が今まで食事の場では、そういった話はしてこなかった。それもあって、ホオズキは逃げることができない。しかし、逃げたい気持ちはホオズキのほんの一握りの思い。そのほかは末代…いや、それ以上までこの家系を続けていきたい。親父たちが続けてくれたように。そう考えている。
「よし、覚悟を決める!」
 決意の表れに素振りを休めていた手を動かし、痛みに耐えるのを条件に覚悟を決めた。
 素振りを終えて周りに気を配るとすでに日がホオズキの身長より高く昇って余裕の笑みをこぼしているようだ。
「旦那様、お疲れ様です。もうすぐ朝食ですのでお迎えに参りました」
 背後から聞こえる声は、いつも呼びに来てくれるツクシのものだった。
「分かった、ありがとう」
 やはり慣れない。
 もう何度も呼びに来てくれるのだが、ツクシがいることもあって毎回剣術を行うときは上半身裸になる。好きな人に見られるのはいつになっても慣れない。
 しかし、それを表には出してはいけない。ツクシも私に興味がないのか、無表情のまま俯いて平然としている。
 呼びに来るついでにツクシが着替え用の服を持参してくれ、その服に素早く着替えて、食事場へ向かった。
 すでに親父たちがそこにいた。すぐさま自分の席に座り、食べ物を口に運ぶ。
「ホオズキ、昨夜の話の続きだが当日は馬車を用意するから、それに乗ってリンドウ家の舞踏会に向かってくれ」
 一旦、食べることをやめ、了承しました、という意を見せるために相槌を打ち、再び食べ物を食した。
 その後はいつもと変わらず、運ばれてきた自分のできる仕事をこなし、暇な時間にツクシが用意してくれた茶を飲み干し、再度仕事に戻る。
 そして食事の時間では食事場に赴き食べ、自室で寝て起きたら剣術を行う。
 それを舞踏会前日まで続けた。
 少し隈が目立つ。しかし、何とかツクシが自慢の化粧で補ってくれた。
 ありがとう。と軽く礼をしてなるべくツクシの顔を直視しないように心掛けた。
 もう出発の時間になり、親父が準備してくれた馬車に駆け込むように乗って執事やメイドたちが手を振って出発を見送ってくれた。家が見えなくなるくらいに薄っすらと玄関から出てくる親父たちがいて、見送ってくれなかったな、と悲しみに暮れ、ゆっくりと座り直す。
 しかしホオズキはきちんと見ていなかった。実際、親父たちは見ていた…いや覗き込むように玄関の扉から目を向けていた。
 ローリエ家の領土からリンドウ家の領土まで数時間はかかる。それまで馬車の中…ホオズキの頭の中はツクシのことでいっぱいだった。決意を固めたからと言ってホオズキも一人の男だ。すぐに諦めることはできない。
 だがもし仮にツクシよりもいい人を見つければどうだろうか。男とは言え、性欲には勝てない。魅了されては為す術なし。
 時間はあっという間に過ぎ、今回の会場が見えてきた。もう外は夕方になりかけ、舞踏会の食事は夜食として代用できそうだ。数時間も馬車を御してくれた者に謝礼をして、綺麗ないろんな色があちらこちらに彩られて美しいという言葉が似合う扉を押し、夜とはまた別な大きなシャンデリアに光を当てられ、眩しいと感じ、手を目の先に光を遮るように添えた。


「まだ、主役のヘリオトロープ女公爵はお見えではないのか?」
 世界一の美貌を持つと貴族の中では噂されているヘリオトロープ女公爵が今いる全体に対し半数の男がどよめいていないということはないと考えに至るだろう。
「しかし、ヘリオトロープ女公爵という者、一度でも目にしたいと思っていた」
 早速、長机に置かれた食事を一つずつ取り、健康にも気を遣った。



「今回は娘主催の舞踏会に来ていただきありがとうございます」
 今、話している者はヘリオトロープ女公爵の父であるリュウキンカだ。
 圧のある声だが、私はあの者の裏を知っている。そのため、今吐き出した言葉に家族思いの欠片も込もってないことは重々承知だ。
 その裏とはリュウキンカはヘリオトロープ女公爵のことや母、ガーベラのことを一ミリも家族として見ていない。見ているとすれば経済として、権力として。


 ──みなが口にするのだ。
「なぜ、ガーベラはリュウキンカと結婚をしたのか。……しかし、そのおかげでヘリオトロープ女公爵が生まれたのだから喜ばしいことだ」と。
 これはもう手のひら返しとそう変わりない。もう結婚した美しきガーベラには興味なく、その娘を狙い、目を光らせている。これぞ、男の本能というものだろうか。同じ男だが、本当にみっともないと思う。顔が良いだけで、恋に落ち、そして求婚をする。貴族社会では当たり前なのだろうが。私の人生ではそういった考えに至るまで相当な時が必要だ。
 結局、男にとって女は、性的な存在かつ経済的な存在にしか見えていない。私の初恋は、ツクシだが、元々はあの者の優しさに惚れたのだ。…それが七割。残り三割は…顔。だが、決して顔のみで惚れたのではない。断じて違う。
 もう考えるのはやめよう。せっかくの美味しい食べ物が台無しになってしまう。
 ホオズキは、そう思いながら目の前に並ぶ食べ物の数々にフォークを刺し、自分の皿にのせて口に放り込む。
 …美味しい。
 今、ホオズキの頭の中はそのことで一面に染められている。
「おい…あの美しい女、ヘリオトロープ女公爵じゃねぇか?」
 美味しい食べ物を堪能しているときに耳に届いた言葉は他の男の小言だ。美しさには興味ないとはいえ、公爵の名を持つ者なため顔を向けるほかない。
 そして今見ている者のほとんどがこう言う。
「お綺麗な女だ。ぜひ、嫁にもらいたい」
 しかし、その思いは叶うはずがない。
 なぜならば、その美しき者はある男のもとへ急ぎ歩き出した。まさに獲物を追いかける強き獣のように。
 その光景をホオズキは横目に気にも留めず、他の女性に目を向けた。ホオズキ以外のほとんどの男は美しき者に目を奪われ、その者の行動に理解が追い付いていない。
 ホオズキはヘリオトロープ女公爵以外の者を見て、良い人はいないか選別している。そこへ、会場端のソファに腰を休めている、今の会場に馴染めない者がいた。そして、瞬間にホオズキは目を奪われてしまった。もう、あの女性を忘れ、今は目の前に静かに座ってなんとか溶け込もうと必死な女性に。
「そこの美しい女性。私と話さないか?」
 その言葉には恐れや不安は一切なく、話したい一心だとお見受けできる。また、その女性もその問いに答えるように口を開き、こう申した。
「はい、わたくしとですか?」
 よそよそしく話す女性は、まだ晴れるまでに時間がかかる天候のようであった。
「私は、ローリエ・ホオズキ。あなたの名前は?」
「わたくしは、シオンと申します」
 彼女は家名を明かさず、名前のみ答えた。しかし、ホオズキにとってそんなことは大したことではないに等しい。それほどまでにシオンのことが気になり、心の中は彼女一色なのだろう。
「体調が悪いのか?」
 今のホオズキは、いつものように礼儀を欠かさずに話すことがままならない。だが、紳士らしく決して女性に話題を出させないように必死だ。
「…えぇ。生まれつき体調が悪くなる時が多々あります。今宵も、本当は体調を万全にしようと早めに寝たのですが、この舞踏会に来る際、馬車で酔ってしまい、今ここでお休みさせていただいています」
「そうか。では、ここで話を続けよう。……私と付き合ってくれないか?急に言ってすまない。私はあなたに惚れ、嫁として迎えたいのだ」
「………あなた様はわたくしのことをご存じでおっしゃっているのですか?わたくしの体は、今日のように晴天の昼でさえ、外に出てしまえば体を壊し、部屋に引きこもる形になってしまいます。そういったことがほぼ毎日ございます。それでも!……あなた様は求婚をしますか?」
 今、ホオズキの心は今後のことを軽い想像でしか物を言えない状態なので。
「あぁ、私はあなたが一緒にいてくれればうれしいぞ。その体も愛そう」
「その言葉に嘘偽りはありませんね?」
「ない」
 ホオズキは断言した。
 しかし、彼の心は今後どうなるのかは、今はまだ分からない。
 その後、二人は順調に進んだ。
 ホオズキの両親は、シオンを見るなり、嬉しく迎えた。そして、今でいうスピード結婚を行った。そして、離れに家を建て、二人と複数の執事、メイドを招き、暮らすことになった。
 だが、その人生は長くは続かなかった。
 ──あぁ、男はなんて自分勝手なのだろうか。
 いやそう思うのは、ホオズキだからなのか?
 結婚して何年かは、病弱に生まれたシオンを愛し、ベッドで横になる姿を見てもなお、美しいと思い、過保護に子を見るように看病していた。
 シオンが欲しいと言ったものはなんでも手に入れようと努力した。
 それは小さなものばかり。
 りんごを剥いてほしいだの、抱きしめてほしいだの、いやシオンのことだ。軽いものしか頼まなかったのだろう。
  とうとうホオズキは聞きたくなくなり、シオンへの愛が薄れていった。
 しかもその願いを煩わしく思う。
 だが、シオンはそれに気づいていても離婚を言い渡すことも距離を置きたいとも言わない。それはホオズキも同じ、一度は美しいと思ったのだ。簡単に愛情がなくなっても外見への考えは完全には消えなかった。いや、病気が治って今よりももっと美しく輝く女性になると、信じ願っている。
「あなた様は、私のことをもう愛してはくれないのですか。…いや愛してはくれているはず、ただこんな体に生まれた私が嫌いなだけ」
 シオンはもう壊れてしまった。
 希望を捨てることを忘れ、タイミングを失い、己やホオズキを傷つけないような考え方をして気をそらす。これこそが、愛に落ちた者たちの関係。
 事件……修羅場が今宵に起こってしまう。

「あ、あなた様。その女の方は誰なのですか?」
 久しぶりに体が動き、あの舞踏会のホオズキのように、自らが進んで彼の元へ歩み寄った。
 その考えに至ったのは、ある話を聞いたからだろう。
「ねぇ、聞きましたか?執事長。ホオズキ様がシオン様以外の女の方を好きらしいですよ」
「…ここで話すことではありません。誰かに聞かれていたらどうするのですか?シオン様がいたら」
「大丈夫ですよ。だってシオン様は……」
 シオンはその後の話が聞こえないほど、驚愕するような話を耳にした。
 ホオズキ様、わたくし以外を…。いいえ、ホオズキ様がそんなことをするはずがございません。
 噂です。噂だから、気にすることは…。
 シオンの目からは大粒の涙がいくつも落ち、止まることを知らない。
  ならば今夜、ホオズキ様の元へ行きます。今日はいつもより体が動きます。これも神様が私を前に押し出して噂が違うと証明させるためです。
 しかし、その場面はシオンにとっては最悪な結果。それが現実になってしまったのだ。


「あなた様、その横にいらっしゃる酔いに負けていらっしゃるお方は誰ですか?」
 周囲を見渡すと、お目見えした二つのグラスに多少のアルコールと思われるものが入っていると読み取れた。
 世間をあまり見てこなかったシオンでさえ、今の状況が理解できている。
 そう、噂通り浮気だ。
「シオン、これはその…誤解なんだ。ただ二人で話しているだけ!お酒は、気分転換だ!」
 ホオズキは次々と口から嘘を並べ立て、もう一息でぼろを出すような雰囲気だ。だが、シオンはそんなことを望んではいない。望んでいることは二つ。その女がいてもなお、自分のことを愛してくれるのか。そして今後その女以外にも浮気をするのか。
 元々、シオンは結婚自体できないと思っていて舞踏会での出来事は夢のようだと考えている。そして結婚という幸せを手に入れて、心が揺らぎ、ホオズキが浮気をするだろうと予知ではなく覚悟を決めていた。結果的には浮気をされたが、さほど彼女は悲しみも退廃的な思いも湧き出ることはなかった。出たのは、「それでも、私を捨てないでほしい」という願う言葉。
 だが、その言葉を聞けばホオズキはうつつを抜かし再び浮気をする。シオンも器が広いと噂されていても人間だ。いつかは限界が来る。時はまだ来ないだけ。
「ホオズキ様、わたくしのことはいいのでその女性と楽しまれてください」
 言い捨てるのと同時に開いたままの扉を閉めた。
 その扉は二つの意味を持つ。一つは現世の開いたままの扉。もう一つは、ホオズキへの軽蔑と哀れみ。
 そして噂好きなメイドが今回の出来事を館中に言い触らした。しかし、思ったよりもほかの執事やメイドは驚くことはなかった。
 あったのは一言。
「やはりですか」
 一つの糸が切れた瞬間、ホオズキは隠す必要がもうなくなったと安堵し、その後はシオンが近くにいてもお構いなしに女を呼んでは欲の発散に使うだけ。決してシオン以上の関係にはならなかった。これは、爵位のこともあるのか。はたまた…。
 彼女はその後に考えることはなかった。考えたくもないことをわざわざ考えるほど大馬鹿者ではない。
「シオン様!いいのですか?!ホオズキ様がシオン様以外と仲睦まじい様子になられても!」
 ある一人のメイドが注意のような言葉を発し、シオンは固まったまま沈黙を挟む。しかし返ってきた言葉に生気はなかった。
「いいのです。ホオズキ様が幸せであればそれで…わたくしはそれだけで嬉しいのです」
 メイドは絶句。部屋の中では哀れみと憎しみの混じった空気が漂うことも知らず、怒りも忘れ、堕落するのが素人でもわかる。
 それ以上、メイドはシオンに問うことはなく、必要最小限の動きで茶を淹れ直し、部屋を去った。
 立ち去った後の部屋には哀れみは残りつつ、憎しみが消え去り、悲しい雨が降り注ぐ。悲しい雨は雫一つが花びらに当たれば、円を描くように散って崩れる。
「あなた様は、きっと今も心のどこかでわたくしのことを思っていると信じています」
 ベッドで一つの動きさえないシオンは、口だけを動かし、自分の不安を払っている。
 シオンは知っている。もう、ホオズキが自分のことをあまり思っておらず、他に気を取られるくらいに精神が安定していないのだと。
 だが、それを分かって理解したうえで別れを切り出さず、今を生きている。もし、彼女自身から話せば、離婚という形にはできる。でもそれをしてしまえば彼女の人生は終わり、今よりも辛いものになると悟っている。
 また気が進まないのは彼女の勇気の無さだ。
 一つの言葉を言えば済むことを、あの人の思いという重い鎖で縛られて抜け出すこともできない臆病者だ。
 辛口で話さねば、シオンに同情してしまう。同情すると勇気の一つもできず、このまま進み死んでしまう。
 あの浮気事件からホオズキは浮気をする回数や頻度が増えてシオンが近くにいてもお構いなしになってきている。
 メイドや執事たちもシオンの同情を通り過ぎて呆れを感じている。

「シオン様⁉シオン様、大丈夫ですか!?」
 静まり返った深夜。窓から外を覗けば、いつも通り街灯がいくつか灯っていて町の者も眠りに就こうと急ぎ焦る時間帯。その明かりが消えるような町と息を合わせるようにシオンも冷たく、動きを失くした。
 慌てたメイドはすぐに寝間着の上から耳を押し当て、その段々と動きをなくす揺れを聞く。
 …ドクン…ドクン……ドク………ン………。
 消えゆく心臓の鼓動を正常化するために、メイドは呼吸を確認して、ないことに焦りを感じた。
「誰か!!医者を呼んできて!!」
 自分の知識をフル活用し、まずは胸の真ん中の固く窪んでいる場所に手のひらの付け根の固い部分を当てる。

 一、二、三、四……。
 三十回したあとは休むことなく、人工呼吸を瞬時に行い、それを繰り返す。
「生きて!シオン様生きて!」
 叫びを動かす手の勢いに合わせて時間を忘れるくらい繰り返す。
 しばらくして、医者が大きな声を廊下に響かせながら近くに歩み寄った。そして、スムーズに交代して繰り返し胸骨圧迫、人工呼吸。
 心肺蘇生をしてから時間が早く経ったと感じたのは、医者の言葉を耳にしたからだ。
「……もう、無理です…ね。始まってから十分は経ったはずです。おそらく子供のころに罹った病気が再発してしまったのでしょう」
 病気…シオン様が患ったものは『散炭病(さんたんびょう)』という名を持ち、主な症状は吐き気、嘔吐、精神混乱、血液硬化、心拍減少、幻覚、そして唯一シオン様のみ持っていた症状で、脚の膠着状態(こうちゃくじょうたい)
 これらは数分耐えればよくなるもの。しかし、脚の膠着状態だけは異なり、いつどこでどのような形で発症するのかが分からない。だからこそ、歩くことさえ怖くなってしまう。
「ローリエ・シオン、死亡を確認」
 医者が優しく白いハンカチを顔に被せ、涙をハンカチの代わりに手で拭った。周りの人たちは、どうにか声を堪えても涙が出てしまっている。ハンカチで拭う者や拭うことも忘れ、泣く者もいる。
 しかしこの部屋…この館にホオズキの姿は見当たらない。
 見つけたとき、暗く闇に囲まれた世界から馬車を経て館へ戻ってきた。それも何も私は悪くないと堂々たる姿勢で。メイドたちはその姿を見て腹が立ち、泣くのすらやめて、怒りが芽生えた。 

「え、シオンが死んだ?…いやそんなはずはない。…嘘だ。嘘だ!」
 慌てた様子に声も震え、感情が揺らぐ。
 今の状況は簡潔に言えば、『当たり前だと思っていた大切なものを失って、消えてから大切なもののありがたさに気づき、当たり前だったものに後悔している』といった具合に己の心を責め立て嘆き崩れる。
 哀れた。
 そして悲しき者。
 失ったものは元には戻らないことを理解していないのがホオズキのダメなところ……いや、本来は想像してこそ、理解が深まるもの。
 今回の問題はホオズキの想像力の無さと己への甘えと愚かさ。
「シオンよ、すまない…すまない」
 膝を自室の冷たく悲しみに包まれた床につき、雪崩のように倒れ、朝の陽ざしが窓から差し込むまでホオズキは泣いた。頭が痛くなろうが、声が枯れようが、貴族という威厳が壊れようが、関係なく悲しんだ。
 周りの人はその姿を見ても「足りない」と言うだろう。それほどまでにシオンは慕われていて周りがシオンに支えられてきたのだと改めて実感した。シオンは優しく明るい方だった。何事にも怒らず、決して文句も吐かない。言うとすれば、冗談交じりの言葉と優しく朗らかな笑顔を添えて。
 ホオズキは確実に大切かつ大事なものを失った。
 しかし、その報いを返すことはできない。なぜならば、周りがなにを言っても貴族としての威厳という鎖に縛られて、ホオズキ自身が落下することを拒んでいる。
 結局、シオンの死因は病気の再発、という形となりホオズキの浮気は民に知れ渡ることはなかった。今までのホオズキなら喜ばしいことだろうが、今回は違う。失ったものが大きすぎるのだ。己の傷も深い。
「すまない…本当にすまないシオンよ。戻ってきてくれ……」
 今宵も願うが神はその願いを聞き入れることもしない。それが人生であり運命だ。もうホオズキの相手をしてくれる者は館には存在しない。館を出て民たちに相談をすれば少しは心が晴れるかもしれない。しかし今話せばほころびが出て、民たちにホオズキの浮気がバレて、信用を失う。そして今はそんな勇気を持ち合わせていない。持っていても現状は変わらない。

 大切なものを失えばどうなるかは目に見えているはずなのに。

 その後、ホオズキは死んだ。
 死因は自ら崖から落ちたことだった。
 その遺体が見つかったのは死んでから三年の月日が経ったころだ。それまでホオズキがいなくなっても探す者がおらず、その崖の下を探検家が歩いているときに生前、シオンから受け取った素朴で小さなネックレスが光ったそうだ。
 これは神がホオズキを助けるために仕向けたことではない。また神でさえ、ホオズキを助けようとはしない。だからこれは……。
 大切なものはいつか突然、離れ離れになる。だからこそ今、当たり前を当たり前だと思わず、大事にするしかない。



「シオンとホオズキよ、死の世界でまた出会い、そこでは失敗のないように。頑張りなさい」