人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜

大きな窓から、朝の光が射し込んでいる。

 早くに目覚めてしまった私は、ふかふかのベッドに腰掛けて、レースカーテンの揺れと共に波打つ陽光を眺めていた。



 すると、



「おはようございます、ガーネット様」  



 アイザックが扉をノックし、部屋に入ってきた。片手には、盆に乗った白湯を携えている。



「……おはよう」

  

 私はそれを受け取り、一口すする。



 いつも通りの、丁度良い温度。まるで、昨晩の非日常的な出来事など、なかったかのように。

 だが、明るくて広い部屋が、皮肉にも家を失った事実を現実だと知らしめてくる。



 そしてそれは、私にもう一つの懸念事項を生んでいた。



「あの……」



「ん?いかがなさいました?」



「もう、私は貴族ではないのだから、そんな話し方じゃなくても良いのよ」

  

 家族も家も失った時点で、私とアイザックは既に、使用人と主人という関係ではなくなっている。だからこうして、甲斐甲斐しく世話をしてもらう義理もなくなっているのだ。



 しかし、アイザックはにっこりと笑った。



「わたくしがしたいから、しているのですよ。それとも、ご迷惑ですか?」



 そう聞かれては、私も、



「……いいえ」



 と答えざるを得ない。



 それにそれが、本心でもあった。



「であれば、良かったです」



 アイザックは、私に変わらない微笑みを向けてくれる。私はその優しさに、心底安心したのだった。











「ローザン一家の保護に失敗した?」



 クロム王が、頓狂な声を上げた。



「はい、大変申し訳ございません。急な襲撃に混乱が生じ、守る時間もなくあっという間に……」



 アイザックは王座の間で跪きつつ、昨夜の報告をしていた。

 

 ガーネットが生きていることは、伏せることにしたのだ。忠義を尽くすべき王に虚偽を述べるのは心苦しかったが、こうでもしなければ、囚われるのはガーネットかもしれない。そう考えると、アイザックは自然と嘘をつけた。



 それに、アイザックには奥の手がある。



「ですが、カーノヴォン連合国との繋がりを示す書類は入手しております」



 本来果たすべき任務は、十分に果たせている。よって、咎められるようなことは何もない。

 

 と、アイザックは自身に言い聞かせつつ、王に書類を手渡した。



 それを受け取ったクロム王は目を通しながら頷き、しかし、顔を曇らせた。



「そうか。やはり、カーノヴォンとの癒着があったのだな。しかし……、痛手だ」

 

 王の苦悩も、アイザックには理解できる。



 ローザン伯爵は、既にクロム王国内の輸出入を取り仕切る立場にあったからだ。



 当初の計画では、ローザン伯爵の謀反の証拠を掴み次第彼を投獄し、徐々に他の貴族に彼の貿易の権限を引き継いで行く予定だった。



 しかし突然、その重大な席に空きが出た。故に、貴族たちがその座を狙って、水面下で争い合う事態は避けられないだろう。



 クロム王はため息を吐きながら、告げた。



「下手をすれば、内紛が起こる。アイザックは引き続きローザン伯爵の交易相手を調査し、上手く貴族たちに利益を割り振れるようにしてくれ」



「御意に」



 アイザックは敬礼をし、王宮を後にする。ひとまず、ガーネットのことは怪しまれなかったことに安堵しながら、帰路についた。







 私はアイザックが不在の間、部屋の椅子に座っていた。

 つい習慣で、そこに居るのが自然なのでは無いかと思ったのだ。



 が、とうとう、居ても立ってもいられなくなって、立ち上がる。



 ドアへと踏み出す足が、震えていた。



 叱られないか。怒られないか。



 どこの誰に、なんてことを検討する余裕もないほど、根深く染み付いた思考が私を縛る。





 でも。それでも。



  

 アイザックの為に、何かをしたかった。



 どこかへ出かけたアイザックが帰ってくるまでに、助けてくれたお礼を、何かしたかった。



 私は、思い切ってドアを開ける。

 勉強でも食事でも無い時間に、私は初めて部屋を出た。



 だが、私を咎める人は、誰もいなかった。しんとした清潔な廊下が、そこにはあるだけだった。



 私は、ゆっくりと歩き出す。

 日光で明るいアイザックの家を興味深く眺めながら、彼に何が出来るかを考えていた。



 しかし、思考を巡らせば巡らすほど、私は焦燥に駆られる。



 私に可能なことは、ほとんどないからだ。温かい料理で迎えることも、新しい服を繕うことも無理。



 そんな私に、何が出来る。どうしよう。このままでは、何も──。



 焦る私は、ふと顔を上げた。その視線の先に、小さな庭を見つける。



 私は、閃いた。







 陽が傾き始めた夕方。

 バタン、と玄関のドアが開いた音がした。

 私はぱたぱたと、急ぎ足でそこへ向かう。



「アイザック……」



 そこに居たのは、待ち人だった。

 だがアイザックは、大きく目を見開いて固まっている。

 そして、感嘆の声を漏らした。



「名前……!!」



 そういえば、名前で呼んだのは初めてだった。

 

 そんなことで、喜んでくれるのか。



 だがアイザックは頬を緩めながら、さらに嬉しそうに続ける。



「それにお迎えまで……!わたくし、これほど嬉しかったことはないですよ。ありがとうございます」



 アイザックは一つ、深々とお辞儀をした。

 だがこれで話が終わってしまいそうだったので、私は意を決して、背後に隠していた両手を出す。



「あ、あの……。これ……」



 私は、青い花を一輪、アイザックに差し出した。



「助けてもらった、お礼。庭に咲いていて、色が、アイザックの瞳みたいだから……」



 しかし、アイザックは無言でそれを見つめている。なかなか受け取ってくれない彼に、私は途中で原因に思い至った。



 この家は、アイザックのものだ。つまり、庭もアイザックのもの。

 そこから勝手に花を摘み、さらにそれをプレゼントだなんて、厚かましいにも程があるのではないだろうか。



 失敗した。

 これだから、私はダメなのだ。



 頬が熱い。知らず知らずのうちに手のひらを握りしめていた。



 やっぱり、私には無理だったのだ。誰かにまともに感謝を伝えられることも出来ない────。



 慌てて、手を引っ込めようとした、その時だった。



「ガーネット様……!!」



 アイザックは両手で、私の手を包み込んだ。



「ああ、なんてわたくしは幸せなのでしょう。迎えてもらったばかりか、贈り物まで……!」



 ぎゅう、と花ごと手を握られ、私はその熱の高さに驚く。



「は、花が……」

  

 折れそうになったのを心配して、私は声を上げる。

 

 するとアイザックは、ぱっと手を離した。



「……っ!これは失礼しました。大事に、部屋に飾らせて頂きますね」



 アイザックはにっこりと、まるで宝石を触るかのように花を受け取った。



 そして、去っていく。   



 私はぼーっと、その背中を見送っていた。







 翌々日。



「ほら、見てください」



「わ……!」



 アイザックは私を、家のある一室に案内した。



 一際大きな部屋。その扉を開けると、中は沢山の物で溢れていた。

 本。ぬいぐるみ。花。絵。ドレス。化粧品。小さな子どものためのおもちゃから、大人向けのパズルまで。 

 それも新品のものばかり。

  

 あちこちをきょろきょろと見渡す私に、アイザックは言った。

 

「ガーネット様から頂いたお花の、お返しです。昨日、街で購入しました」

  

「わざわざ……?こんなに、私のために?」



 声も出せない私に、アイザックは柔らかい声音で続ける。



「もうこの家のものは、あなた様のものなんです。あなた様を閉じ込めるものは、もう何もないのです。だから自由に、気ままに、お使い下さい」



 そしてアイザックは、私を背後から緩く抱きしめる。



「わたくしも含めて、ね」

  

 耳元で、囁かれた。

 吐息が耳元をくすぐって、こそばゆい。



「……え、ええ。分かったわ」



 こくこくと、私は頷くことしか出来なかった。





 こんな調子で、日々が続いていくのだろうか。





 それは、温かくて心地がよい。でも同時に、どきどきとして、胸が苦しそうだと、私は思った。