人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜

私は、願う。



 どうか、このまま何も感じずに。

 それをせめてもの、私の儚い人生の褒美としてください。



 空を飛ぶ代わりにと、私は手の中のユニコーンにそんなことを、願った。



 きらりと輝く鋭い刃が、眼前に迫る。

 私は、瞼を閉じた。



 私の命の灯ともしびが掻き消される、その瞬間────。













「やめろ!!!」

 

 ガシィン!という金属音が、鼓膜を揺らした。

 襲ってくるはずの痛みや衝撃は微塵もない。



 一体、何が起こったの。



 私は恐る恐る目を開いた。



「ガーネット様、ご無事ですか?」



 そこにあったのは、この屋敷の中で唯一、私に向けられ続けた笑顔だった。



「……アイザック」



 父親の斧を、白銀の剣で軽々と受け止めているのは、アイザックだった。



「な、ぜ」



 掠れた声が、喉から漏れる。驚きを取り繕う余裕が、今の私にはなかった。

 アイザックは、父親の全力を受け止めているにも関わらず、私ににっこりと微笑みかける。



「少々お待ちくださいね、ガーネット様。今、安全を確保いたしますので」



 くるりと、再びローザン伯爵に向き直るアイザック。

 が、その顔には優しい笑みも、温かさも、これまでローザン邸で彼が見せてきた表情は、何一つとしてなかった。

 ただ敵を仕留めんとする鋭い視線と、鉄仮面の如き冷徹な面持ち。アイザックの脳内を駆け巡るのは、どうすれば迅速に獲物を狩れるか、その方法のみ。 



 そこに居るのは、獰猛な猟犬だった。



「死ね、クズ」



 一時的にとはいえ仕えた主に、アイザックは吐き捨てる。



 瞬間、宙に、一閃。



 アイザックが剣を薙ぎ終わるのと、ローザン伯爵が事切れるのは、ほぼ同時だった。



「────、?」



 伯爵は、自身が死んだことすら理解していない、愕然とした形相のまま、首元から血を噴水のように吹き出して倒れていく。だがアイザックは、ローザン伯爵の胸に、さらに何度も剣を突き刺した。



 確実に息の根を止める徹底さ、残酷さを、アイザックは持っていた。



 しかし、再びに私に向き直った彼は、いつものアイザックに戻っていた。私が体調を崩した時のように、心配そうな表情を浮かべている。

 

 と、

 

「ガーネット様……っ」



「…………っ!」



 息が、詰まった。

 それは、アイザックに強く抱き締められているからだと、遅れて気が付く。



「間に合って、良かったです」



 耳元で、アイザックが囁いた。



 温かい。

 何よりも、温かかった。



 人の体温というものは、こんなにも高いものなのだと、生まれて初めて知った。

 同時に、心の奥底から、じんわりとしたものが溢れてくる。 

それはどんどん私の中を登ってきてそして、



 ぽた。



 目から、何かが零れ落ちた。



 いけない。



 私は、それを慌てて拭おうと手を上げる。



 感情を出してはいけない。いけない。いけな────。   



 が、私の腕は、アイザックにがしりと掴まれた。  

 アイザックは慈愛に満ちた顔で、諭すように言う。



「ガーネット様、わたくしには、見せてください。笑顔も、泣き顔も、夢見る顔も。どんなあなたでも、わたくしは、見たいのです」



「────っ」



 私の中の何かが、決壊した。



 これまで押し殺していた分が溢れているかのように、涙が止まらない。胸が、刺されたみたいに痛い。



 怖かった。辛かった。どうしてこんなことになったのか、訳が分からなくて、頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。



 よしよしと、アイザックが背中を撫でてくれる。

 その掌の熱に余計安心して、私は幼子みたいに泣きじゃくってしまった。



 だが。



 バタバタバタッ!!



 複数の足音が、部屋に近づいてきた。がしゃりがしゃりと金属が擦れる音に、アイザックは眉を顰める。

 

 開け放たれた扉の前に、黒い鎧の集団が現れた。    



「こいつらで最後だ」

  

 戦闘の鎧が、剣の切っ先を私たちに向ける。

 私の肩は、びくりと跳ねた。



 それでも、心配はいらなかった。



 アイザックは再度剣を握りなおすと、もう片方の手で私の頬を撫でる。大丈夫、と言わんばかりに涙を拭ってくれた。



「ガーネット様、もう少し、お待ち頂けますか?わたくし、不要物を処分致しましたら、すぐにお傍に戻りますので」



「不要物……?」



 私は尋ね返したが、アイザックは微笑むばかりで、答えなかった。

 が、背を向けた途端、とんでもない気迫が彼に満ちる。



「さっさと消えろ、ごみ共」



 アイザックは呟き、黒い鎧の集団の中に飛び込んでいった。







「お待たせしました、ガーネット様」

  

 お茶をお持ちしましたよ、と続きそうな柔らかい声音だが、当のアイザックの顔は血に塗れている。  

 アイザックは数分足らずで、十数名は居た鎧達を倒して戻ってきた。

 その背後の廊下は、燃え盛る炎と血液で、赤く染まっている。



「さあ、もう火がそこまで来ています。逃げましょう」

「……ええ」

 

 どうやって、と聞く間も無かった。



 ガシャアアアン!!

 

 アイザックは肘で窓ガラスを割ると、



「失礼しますね」



 と、私を抱えた。そして、2階から飛び降りる。 



「わあ……っ」



 浮遊感や落下による恐怖よりも。



 一面の星空が、目に飛び込んできた。



 窓から見えていたのは、広い広い空のほんの一部分だったのだと、私は初めて知った。



 まるで、ユニコーンの背に乗っているみたい。



 焼け落ちる実家を背に、私はそんなことを思った。





 ローザン邸から少し離れた所で、一呼吸置いた私たちだったが、私はまだ、夢を見ているような気分だった。

 だが、まずしなくてはならないことを、と考え、私は口を開く。

 

「ありがとう、ございます。助けて、くれて」

 

 2行以上話すのはいつ以来か。変だと、喋るなと、怒られないだろうか。



 ほんの少しびくびくしながらアイザックの様子を伺う。

 彼は一瞬、目を丸くしたものの、その後、にっこりと笑って頷いてくれた。

 私はほっと胸を撫で下ろした。しかし反対に、アイザックの顔は曇る。



「ガーネット様、家が……。それにご家族も……。これから、どう致しますか?」

 

 そう。私は、本当に全てを失ってしまった。家族も、使用人も、唯一あった自室も、全て。



 それに、どうする、と問われても何も答えられない。 

 親戚がいるのかも、居ない場合の寄る辺はどこにあるのかも、全く知らない。

 私はこの世のことが、何も分からないのだ。



 黙り込む私に、意を決したようにアイザックが提案した。  



 突拍子もない、提案を。



 

「ガーネット様。ひとまず、わたくしの家で暮らしましょう」





「……え?」





 私は、ええ、とは答えられなかった。